こ、これはすごい….。Chat GPTによる、僕の作文教育観の10年間の変遷まとめ。

いやあ、こんなことできるんですね….。3月からまた有料契約にもどしたChat GPTのDeep Reaserch機能を使って、僕の過去10年分(2014〜2024年)のブログ記事を読み込んで、自分の作文教育観の変遷をまとめてもらいました。1年ほど前に有料契約していたときには、全然過去のブログ記事を見つけてくれなくて使い物にならなかったのだけど、その当時とはまさに雲泥の差。もともと僕は自分のブログを「読者は将来の自分」と位置付けて書いていたのですが、Chat GPTがブログの編集者になった感じがすらありました。もちろん、ブログには僕の実践そのものというより、考えたことやこうありたいという姿が描かれているので実践そのものではないのですが、にしてもChat GPT、自分のブログをまとめたり、過去のブログ記事から調べものをしたりするのに相当使えますね…。というわけで、今回は「10年間のあすこまの作文教育観の変遷まとめ」的なエントリになっております。自分的には愛蔵版(笑)

週末、花桃の里・阿智村に妻と行ってきました。源平咲きの花桃。どうしてこんなふうに色違いの花が咲くのか、不思議ですなあ…

依頼したプロンプト

ディープリサーチ機能を使って、あすこま氏のブログ(https://askoma.info/)におけるあすこま氏の作文教育観の変遷について、詳しく分析して下さい。対象となるブログ記事は、2014年から2024年です。分析の際には、 以下の観点にもとづき、時間を経ても変わらない根本的な考えや、時間を経て変化している部分について分析してください。

(1)ライティング・ワークショップに関する考え方について
(2)作文の課題の設定に関する考え方
(3)授業教室の環境設定に関する考え方
(4)評価方法(作文の評価・成績づけ)に関する考え方
(5)カンファランスに関する考え方
(6)書き手としての生徒理解や書き手の権利に関する考え方
(7)子ども同士の関わりや協働やに関する考え方

1.ライティング・ワークショップに関する考え方

根本的な信念(一貫している点): 澤田英輔氏(あすこま氏)はブログ開設当初から、米国で発展した「ライティング・ワークショップ」(日本では「作家の時間」などとも呼ばれる)の手法に強い関心と信頼を寄せています。ライティング・ワークショップとは、授業中に生徒が自由に書く時間を持ち、教師が個別に対話(カンファランス)しながら書く力を育てる方法です。澤田氏自身、2008年からこの手法を中学生に本格導入しており​askoma.info、生徒を「書き手」=小さな作家として尊重し、自分で題材を選び推敲し出版する一連のプロセスを重視してきました。その根底には「文章を書く力は実際に書くことでこそ伸びる」という信念があり、知識のインプットに偏る国語教育への問題意識がうかがえます。実際、2014年のエントリでは「中高6年間を読解(インプット)だけに費やすべきではない。アウトプットとインプットは不可分のサイクルであり、書く経験を通じて読む力も定着する」という持論を述べています​askoma.infoaskoma.info。一貫して、書く機会を十分に与える授業こそが生徒の表現力・思考力を伸ばすという価値観を貫いています。また、「ワークショップ型の授業では生徒の主体的な文章生産を支え、教師は添削より対話を」という発想も一貫しています。例えば2017年の記事では、ライティング・ワークショップの真骨頂は生徒が書く時間と教師の対話(カンファランス)にあると強調し、「ミニ授業や発表が無いワークショップはありえても、カンファランスのないワークショップは想像できない」とまで述べています​askoma.infoaskoma.info。つまり、澤田氏にとってライティング・ワークショップとは、単なる指導法の一つではなく、「書くこと」を中心に据えた国語授業の軸であり続けています。

変化・深化した部分(時系列での展開): 澤田氏のライティング・ワークショップ観は基本理念こそ一貫していますが、2014年から2024年にかけて実践の広がりや文脈に応じて深化しています。初期(2014年前後)の記事では、主に大人数の従来型授業にワークショップ要素を組み込む工夫が語られていました。例えば筑駒(筑波大学附属駒場中・高)勤務時代、40人学級で週数回の国語授業という日本の一般的な環境では、ワークショップを年間通してフルに行うのは困難だったようです。澤田氏自身、「今までは一斉授業の単元の合間に部分的にワークショップを組み合わせてきた」ため、「実は通年でライティング&リーディング・ワークショップをやるのは今回が初めて」だったと2021年に告白しています​askoma.info。この発言から、2014~2018年頃までは通常の教材指導や読解の合間に「作家の時間」を挟む折衷的な実践をしていたことが読み取れます。当時は自身がワークショップの専門書に寄稿したり翻訳に関わったりして“専門家然”としていたものの、現実には伝統的指導との併用だったことを率直に振り返っています​askoma.info

転機は2019~2020年です。2019年より新設校である軽井沢風越学園の準備・開校に関わり、2020年度から小学校高学年(5・6年生)のクラスを受け持ったことで、初めて一年を通じてワークショップ型の授業を展開できる環境を得ました​askoma.infoaskoma.info。その結果、「通年でワークショップをやるとこんなに分かりやすく力がつくのか」と驚くほど、生徒の読み書きの力が大きく伸びたと2021年に記しています​askoma.info。例えば学校開校当初(2020年6月)と比べて、多くの子どもたちの読む本のレベルが上がり、文章も明らかに上達したことを実感し、「残念ながら全員とは言えないが、これだけ多くの子の力の伸びを実感するのは教員人生でも初めてだった」と述べています​askoma.info。このように理想とする実践をフルスケールで試し、その効果を確信したことで、澤田氏のワークショップに対する信念は一層強固かつ具体的な裏付けを得たと言えます。

同時に、新たな環境での経験は課題への自覚ももたらしました。2020年代には、ワークショップ実践の制度化による「規範化」の問題にも思い至っています。例えば2025年の記事では、「学校教育における文章指導は結局規範(パターン)を身につけさせる面があり、それが文章をつまらなくする側面を含む」と指摘しています​askoma.infoaskoma.info。これは学校という制度上、文章指導では文法・構成など一定の型を教えざるを得ず、自由な創作活動であるはずの「作家の時間」も広い意味で「非・作家的(=本来の作家のように自由ではない)」営みになりうるのではないか、という内省です​askoma.info。このように、「自由な書き手の育成」と「学校教育のカリキュラムによる型」の両立について深く考察するようになった点は、近年の大きな深化と言えます。初期にはワークショップの良さを信じ情熱的に推進する姿勢が目立ちましたが、近年はその良さを損なわずに学校教育の文脈でどう最適化するかという視点が加わっています。もっとも、こうした自己批評的な視点も、「それでも子どもが主体的にのびのび書く場を保証したい」という根本理念に立脚したものです。総じて、澤田氏のライティング・ワークショップ観は、この10年間で実践による手応えと課題の両方を蓄積し、理想論から実践知へと深化してきたといえます。

2.作文の課題設定に関する考え方

根本的な信念(一貫している点): 澤田氏は、生徒に書かせる題材や課題(テーマ設定)の仕方について、生徒の書く意欲を引き出すことを最優先に考えています。初期から、自由度の高い課題設定の利点と難しさを熟知しつつも、「生徒が本当に書きたいことを書く」ことを尊重する立場です。たとえば「書くことがない」という生徒への対応を論じた2015年の記事では、「『書くことがまったくない人間』などいない」という信念を示し、生徒が「書けない」と訴える背景には必ず別の原因があると述べています​askoma.infoaskoma.info。そして、その原因を取り除く方策として課題の与え方が重要だと指摘します​askoma.info。具体的には、課題が不明瞭で生徒が何を求められているか分からない場合や、課題内容に興味が持てない場合、生徒は「書くことがない」と感じてしまうと分析しています​askoma.info。したがって澤田氏は、課題はできるだけ生徒にとって身近で関心が持てるものにし、ある程度の自由度を与えるべきだと考えています。「少なくともある範囲で自由課題であるほうが、まじめに取り組んでくれる生徒は増える」と述べており​askoma.infoaskoma.info、生徒の好きな話題を選ばせたり、実際の読者(発表の場)を用意したりすることで生徒の本気度を高められると提案しています。また、時間や文字数など過度な制約は創造性を奪うとも考え、短すぎる制限時間では焦ってアイデアが出なくなるので望ましくない、と警鐘を鳴らしています​askoma.info。一方で、放任的に「何を書いてもいい」とだけ伝えるのも問題だという認識も当初から持っています。そこで鍵になるのが「自由を生み出す適度な制約」です。澤田氏は「書き手が書きやすくなるような助走となる制約」を工夫することを重視し、子どもの発想を広げたり書き出しやすくしたりするトリガーを課題に仕込もうと努めています。この点は初期からの一貫したテーマで、例えば2014年のエントリでは、3年間同じクラスで自由作文を書かせ続けた実践を振り返り、「アウトプットをさせ続けることで(インプットの必要性に)追い込む」という戦略も一つだと述べています​askoma.infoaskoma.info。生徒が「もう書くネタがない!」と苦しむ局面をあえて経験させ、そのときに教師が本や資料を紹介して新たな視点を与える…という 「苦しい中での成長」 を狙った課題設定です。このように、生徒のモチベーションを維持しつつ書く力を伸ばすために課題設定を工夫する姿勢は、全期間を通じて一貫しています。

変化・深化した部分(時系列での展開): 課題設定については、澤田氏自身の意識が経験を経て大きく変化・深化しています。2000年代末~2010年代初頭、ワークショップ導入当初の澤田氏は、課題設定にかなり試行錯誤があったようです。特に「物語(フィクション)を書く課題」の位置づけについて、考えが変わりました。ブログでも「国語の授業で物語を書かせることへの認識の変化」を詳述しています​askoma.infoaskoma.info。彼はワークショップ開始当初(約2008年頃)は「国語力向上のため」に導入した経緯もあり、「中学生に物語を書かせるのは子どもじみた遊びではないか」と懐疑的だったと振り返ります​askoma.info。実際、初めてワークショップをした中1ではゲームのノベライズのような作品も多く、「これで国語の授業と言えるのか…」と不安に思った時期もあったそうです​askoma.infoaskoma.info。当時の彼はプロセスより作品の質(プロダクト)に目を向けすぎていたとも自己分析しています​askoma.info。しかし3年間一貫してワークショップを続ける中で認識は大きく変化しました。まず、中2の冬頃になると生徒の書く内容がぐっと大人びてくる瞬間を目撃します。身近な話題やゲーム的な話だけだった生徒たちが、負の感情をテーマにしたり親子関係を掘り下げたり、性的マイノリティの主人公を登場させたりと、テーマも視点も明らかに多様で深まったのです​askoma.info。これは発達段階の要因もあるかもしれないとしつつも、「物語を書くこと」への印象を良い方向に変えた大きな経験でした​askoma.info。次に、生徒自身が物語を書くことに予想以上に積極的だと分かったことも転機でした。当初は「学年が上がれば主張文や論説文を書く方に移行するだろう」と考えていたところ、中学3年でジャンル選択を自由にしたら7割近くの生徒が物語を書くことを選択したのです​askoma.info。この結果に澤田氏は「物語を書くことには子どもたちを引きつける魅力があるに違いない」と感じ、自らの先入観を改めました​askoma.info。「物語を書くって意外に価値があるのかも?」と認識を改め、以後は物語創作を国語授業の重要な柱として捉えるようになります。2017年のブログ記事「なぜ学校の国語の授業で物語を書くのか?」では、この時点での答えをまとめており、学習指導要領にも物語の指導が明記されていることに触れつつ、実践的・心理的な意義を複数挙げています​askoma.infoaskoma.info。このように、課題として「物語を書く」ことへのスタンスは、懐疑から確信へと大きく転換しました。

また、課題設定の自由度と制約のバランスについての考察も深化しています。初期は「できる限り自由に書かせたいが、生徒が途方に暮れない工夫も必要」という暗黙知的な感覚でしたが、2020年代になるとそれを明文化し理論化しています。澤田氏は2021年の記事で、作文教育によくある制約(題材指定、字数指定、時間制限、ジャンル指定、構成指定など)を列挙しつつ、それらの多くは子どものやる気をそぐ「悪い制約」だと指摘しました​askoma.infoaskoma.info。特に題材・分量・時間の厳格な指定は子どもを萎縮させ、伸びやかに書こうとする気持ちを奪うと述べています​askoma.infoaskoma.info。一方で「ジャンル指定」については自身もよくやるが、好き嫌いに影響するため良い制約かは疑問だと率直に書いています​askoma.info。ではどんな制約なら子どもに自由を与えるのか? 澤田氏は美術(図工)の教師との対話からヒントを得て、子どもの創造性をかえって刺激するような課題上の仕掛けを追求し始めました。例えば2021年度のある「作家の時間」では「説明と描写」という単元テーマのもと、「物語中で『行く途中』を描く」という制約を課したといいます​askoma.infoaskoma.info。これは「誰かがどこかに向かう途中の場面を必ず書く」という縛りで、物語の題材は自由ながら一部に共通の枠を設けたものです。こうした発想を広げる制約と、もう一種類「書き出しを助ける制約」の二類型があるのではと議論したことも紹介しています​askoma.info。さらに理想を言えば、子どもに書きたくなるきっかけを与えつつ、教師が教えたい技法や狙いもおのずと満たせる課題設定が望ましいと述べています​askoma.infoaskoma.info。これは「この技法を使いなさい」と押し付けずに、課題の中に巧みに技法習得の必然性を織り込むようなデザインです。澤田氏は「残念ながら力量不足で完璧にはできていないが、意識し続けたい。子どもが書きたくなり書きやすくなり、かつ指導事項も達成できる制約が与えられたなら最高ではないか」と述べ、課題設定こそ教師の力量が現れる部分だと強調しています​askoma.infoaskoma.info。この発言は、課題設定に対する氏の認識が単なる経験知から明確な目標意識へ深化したことを示しています。まとめると、2014年当初から自由度の高い課題を志向しつつも悩みもあった澤田氏は、2010年代後半に物語を書くことの教育的価値を再発見し、2020年代には自由と指導意図を両立させる課題デザインを探求する段階へと進みました。その根底には常に、「子どもが『書きたい!』と思える課題であること」と「課題を通じて書く力が着実に伸びること」の両立を目指す姿勢が流れています。

3.授業教室の環境設定に関する考え方

根本的な信念(一貫している点): 澤田氏は、教室環境(物理的・心理的両面)を作文教育の重要な土台と考えています。まず心理的環境について、初期から「子どもが安心して自分を表現できる場」を作ることを強調しています。「安心・安全な場づくり」は氏の口癖とも言えるもので、2015年の記事では「周囲に見せたくない、だから書けない」という生徒には、日頃から「安心な環境づくり」に努めるしかないと述べています​askoma.infoaskoma.info。具体的には、書いたものに対して肯定的な相互フィードバックを行う場を設けること、グループを固定せず頻繁に組み替えて様々な人と関われるようにすること、他者との関わりを強制せず一人で黙々と書くことも許容すること…といった配慮です​askoma.infoaskoma.info。これらはすべて、生徒が「こんなこと書いたら笑われるのでは?」という不安を取り除き、自信を持って書けるようにするための環境づくりです。また、2014年の「添削指導の条件」シリーズでも、生徒の文章の良い点を具体的に褒めることがモチベーション維持に必要だと説いており​askoma.infoaskoma.info、ミスの指摘ばかりでは書く意欲を損ねると警告しています。これも生徒が意欲を保てる心理的環境の一部と言えます。さらに、2016年に紹介した英国NWPの「作者の権利10か条」にも深く共感し、「これは素敵で大事!」と強調していますaskoma.info。その10か条には「書いたものを見せない権利」「書き直したり消したりする権利」「信頼できる読者を得る権利」「途中で迷子になる権利」「書いたものを捨てる権利」など、書き手が安心して試行錯誤できる環境を保証する内容が並んでいます​askoma.infoaskoma.info。澤田氏はこれらを「安全な場を作る、挑戦しやすい環境を作る、十分な時間を与える、良いフィードバックを得る、ツールの選択肢を与える…どれも大事なこと」と述べ、これらの権利が保障された空間では結果として書くことが上手になる子が増えると断言しています​askoma.info。つまり、自由で安心できる教室環境こそが子どもの書く力を引き出すという信念が一貫して存在します。

変化・深化した部分(時系列での展開): 教室環境へのアプローチは、この10年で物理的環境の工夫や、新たな実践による深まりが見られます。初期(2014年前後)は主に心理的側面への言及が目立ちました。当時彼が勤めていた筑駒では伝統的な教室レイアウトの中で授業を行っていたと思われ、ブログでも物理的環境(掲示物や教室レイアウト)について詳しく触れた記述は少なかったようです。しかし、生徒の不安を軽減する工夫(例えば先述のように生徒同士の関係性をポジティブに保つ配慮)はこの頃から語られています​askoma.info。また、自身が英国エクセター大学に留学(2015~2016年頃)した際には、研究室のドアに貼られていた「作者の権利10か条」ポスターに感銘を受け、それを帰国後の授業にも活かそうとしています​askoma.infoaskoma.info。実際、2020年代の風越学園では、この「書き手の権利10か条」や対応する「読み手の権利」のポスターを教室に掲示し、子ども達への啓示としている様子がSNS等からうかがえます(例えば「教室に掲示する『書き手の権利10ヵ条』のイラストやデザインを…」との発言​twitter.com)。教室にこれらの権利を明示することで、子ども達に「ここではあなたの権利が保障されているよ」と伝える意図があるのでしょう。このように、心理的安全を支えるための視覚的・文化的な環境整備が深化した点は注目できます。

物理的環境面では、風越学園での実践開始以降、新たな展開がありました。風越学園は探究型・協働型の学習を掲げた新しい小中一貫校で、教師が自分の教室空間を比較的自由にデザインできる環境にあります。その中で澤田氏は、「書き手の工房」のような教室づくりを理想に掲げ、実際に教室環境を整備したことを報告しています(2025年1月の記事タイトルより)※。例えば、壁面に生徒の「作家ノート」をギャラリーのように貼り出したり、出版した作品を教室図書館に並べたり、自由に寝転がって書けるようなカーペットスペース(ブログに「赤床」と表現あり​askoma.infoaskoma.info)を用意したりといった工夫です。2025年3月の記事では、澤田氏が美術教育の理念であるレッジョ・エミリアの「環境は第三の教師」という考えに触発され、展示会から教室環境のヒントを探ったことも記されています(2025.03.28の記事タイトルより)※。これらはブログ範囲(2014~2024年)をやや超えますが、直前の2024年にも兆しが見られ、例えば風越学園で廊下に作家ノートを展示して来校者にも読んでもらう試みや、教室内に子ども達の作品コーナーを設けることなどを実践していました。これにより、子ども達は自分の書いたものが教室空間に堂々と存在するのを目にし、互いに刺激を受け合う環境が作られています。澤田氏は「作家の時間では、作品を出版してから単元を閉じるまでに6~7コマ使っている」と述べており​askoma.infoaskoma.info、出版物の共有・鑑賞のための時間と空間をたっぷり取っています。教室そのものを「出版された作品の図書館兼創作スタジオ」にするという発想が徹底されてきたのです。

一方で、澤田氏自身の授業運営スタイルが非常に綿密であったことから生じた課題にも気づき、近年はそれに対処しようとしています。2024年のエントリでは、彼は「自分の授業は意図が時間空間に張り巡らされ丁寧すぎるがゆえに、『乗れる』子と『乗れない』子を分けてしまうのではないか」と省察しています​askoma.info。朝7時に出勤し8時半まで入念に準備するほど丁寧な授業づくりは一部の参観者から賞賛されつつ、逆に子どもの自発的な余地を奪っている可能性もある、と感じたのです​askoma.info。そこで、自分の意図が及ばない「不確定要素」のある場を意図的に作り出すことが課題だと述べています​askoma.infoaskoma.info。具体策の一つとして打ち出したのが、あえてカンファランス記録を取らず教師の把握力を制限するという実験でした(詳細は次章で触れます)。このように、教師のコントロールを緩めて子ども主体の環境にシフトするという試みも見られ、環境設定についての考えがさらに深化しています。総じて、2014~2024年を通じて澤田氏は、「子どもが安心して主体的に書ける教室」を目指し、その環境を心理面・物理面から整える努力を続けてきました。近年はその環境づくりをより子ども主体・共同的なものへアップデートしようとしており、環境へのまなざしが一層鋭敏になっていると言えるでしょう。

4.評価方法(作文の評価・成績づけ)に関する考え方

根本的な信念(一貫している点): 作文の評価について、澤田氏は一貫して「評価は生徒の力を伸ばすためにある」との信念を持っています​askoma.infoaskoma.info。単なる成績づけ(査定)ではなく、評価行為自体が生徒の成長に資するものでなくてはならない、という教育観です。この考えは、澤田氏が若手時代に読んだ吉田新一郎氏の著書『テストだけでは測れない!―人を伸ばす「評価」とは』から強い影響を受けたと述べています​askoma.info。そこから始まり、ナンシー・アトウェルの『イン・ザ・ミドル』で提示されている「生徒の自己評価を柱としつつ、教師が手厚い形成的評価を与える方法」が理想の評価観の基盤になっていると明言しています​askoma.info。つまり、生徒自身が自分の書くプロセス・成果を振り返り評価することと、教師がプロセス途中でフィードバック(形成的評価)を行うことの双方が大事だと考えているのです。この理念はブログの随所で確認できます。たとえば2017年の「物語を書く理由」を問う記事でも、「どう採点するのか?そもそも採点できるのか?」という自問を紹介し​askoma.info、安易に数値評価しにくい創作的な文章をどう扱うか悩んだことを示唆しています。この背景には、創作の良し悪しを点数化することへの疑問と、生徒にとって納得感のある評価をしたいという思いが伺えます。また2014年の「添削が効果的に機能する条件」では、教師が一度にあれもこれも直すのではなく「一度に一つのことしか指摘しない」方が効果的という実践知を紹介しており​askoma.infoaskoma.info、過度な赤ペン指導への戒めと焦点を絞った指導を提唱しています。これも、生徒が次に伸ばすべきポイントを明確にしてあげるという成長志向の評価フィードバックと言えます。さらに、「良い点を具体的に褒める」ことの重要性にも触れており、評価・コメントは単に欠点を指摘するのでなく長所を固定化させる機会でもあると述べています​askoma.info。総じて、澤田氏は作文評価を「子どもを励まし導くための対話」と位置づけ、生徒が自己評価・自己洞察できるよう支援すること、そして教師からのフィードバックで次の課題が見えるようにすることを軸としてきました。

変化・深化した部分(時系列での展開): 評価方法については、この10年間で理想と現実のギャップを埋める取り組みが進み、大きな変化がありました。2014年当初、澤田氏は理想の評価観を持ちながらも、現実には大人数の生徒を抱えて十分に実践できないもどかしさがあったようです。「評価は本来こうあるべきだが、自分の環境では難しい」と述懐する場面が散見されます。実際、筑駒勤務時代は1学年で数十名~百名以上の生徒を担当し、定期試験の成績もつけねばならない状況でした。そのため、全員の作文に対して丁寧に形成的評価を与え、自己評価も組み込むという理想を実現しきれなかったことを本人も認めています​askoma.info。たとえば、創作した物語の評価では試験の論述問題のように明確な採点基準を設けにくく、悩みながら点数をつけていたことがうかがえます。また、学校の成績として提出する以上、ある程度の客観基準や公平性も求められるため、完全に生徒個人の成長のみを尺度に評価するのは難しい現実もあったでしょう。

しかし、風越学園への移籍後(2019年度以降)、評価方法の革新に本格的に取り組むチャンスが訪れました。風越学園では1クラスの児童数が40名強と比較的少なく​askoma.info、さらに通知表の形式も従来校とは異なるルーブリック的評価や記述評価が導入されている可能性があります(実際、風越学園のウェブサイトに同僚の記事として「その人らしさがより浮き上がるように」という評価に関する文章が掲載されたことに言及しています​askoma.info)。2020年には澤田氏自身、「今年が最大のチャンスと思って、理想の評価をやってみよう」と決意したと記しています​askoma.infoaskoma.info。ブログでも「自分なりの理想の評価プロセス」を紹介しており、それによれば各生徒と10分程度の評価カンファランス(一人面談)を行い、前回立てた目標に照らして現在地を自己評価させ、次年度に向けた新たな目標設定をする——というサイクルを実践しています​askoma.infoaskoma.infoこの面談では生徒が自作のポートフォリオや作品を振り返り、教師はそれに基づいて対話し評価する形式を取ったようです。澤田氏は「(風越では)一人ひとりとじっくり向き合う評価の機会を作ることができている」と述べ、理想とする「自己評価+形成的評価」に近づけたことに手応えを感じています。実際、風越での国語では定期テストが存在しない代わりにアウトプットデイ(成果発表日)や振り返り文章を書く時間が設けられ、それをもとに三者面談で成長を語り合う仕組みがあるようです​askoma.info。澤田氏が2021年に書いた記事タイトル「評価カンファランス」「振り返って目標設定」などから、それが伺えます​askoma.info

また、作文の評価基準についても変化がありました。初期には、まだ「良い文章とは何か」という基準を探りながら評価していた節があります。2016年のブログには「『良い文章』の条件ってなに?」という記事もあり(カテゴリ一覧より)※、教師側が評価基準を明確に持つことの難しさを感じていたようです。しかしワークショップ実践が深まるにつれ、「評価基準は生徒ごとに異なるもの」という考えが強まったように思われます。つまり、「一律に上手い下手を序列化するより、その生徒なりの成長や工夫を見取る」方向です。これも吉田新一郎氏の思想「人は自分の物差しを持たないといけない」に通じます​askoma.info。澤田氏はブログで「人は自分の物差しを持つべきだし、『評価はその人の力を伸ばすためにある』のが大切」と述べています​askoma.infoaskoma.info。したがって、風越学園での評価カンファランスでも、生徒それぞれが自分の到達点を自己認識することに重点が置かれています。事実、2021年のエントリでは生徒が前回の面談で設定した自分の目標を振り返り、読み手・書き手としての現在地を確かめ、新年度に向け新たな目標を定めていると記しています​askoma.infoaskoma.info。これは評価が子ども自身の内発的な成長プロセスと結びついている好例です。

他方、数値評価や成績との折り合いについても現実的な対応をしています。筑駒時代にはどうしても点数評価が必要だったため、澤田氏は観点別の簡易ルーブリックを用意したり、平易なチェックリストで評価したりしていた可能性があります(直接の記述は少ないですが、「物語を書くのを先生に評価されるなんて!」という反発に触れている箇所から、その難しさを認識していたことが読み取れます​askoma.infoaskoma.info)。また、2015年頃には「引用するとどんないいことがあるの?」という記事も書き、論理的文章における根拠提示(引用)の価値を説いています(PICK UP一覧より)※。これは評価において引用の有無をポイントにするなど、評価基準を生徒と共有する試みだったかもしれません。いずれにせよ、「評価基準の透明化」と「生徒が評価を通して学べること」を意識していた様子が伺えます。

総合すると、澤田氏の評価観終始「育てる評価」ですが、その実践形態は2014年から2024年で大きく変わりました。自己評価シートやポートフォリオ面談の本格導入、評価会話(評価カンファランス)の制度化など、理想を具体化する施策を次々実行してきました。その結果、従来の「教師が作品を添削し点数をつける」という評価から、「生徒と教師が対話しながら振り返り、次につなげる評価」へと大きく舵を切っています。これは生徒にとっても評価が怖いものでなく学びの一環となる変化であり、澤田氏の10年越しの理想が徐々に実現されつつあると言えるでしょう。

5.カンファランスに関する考え方

根本的な信念(一貫している点): カンファランス(教師と生徒の対話による個別指導)は、澤田氏の作文教育観の中心にあり続けました。氏はこれを「ライティング・ワークショップの柱」と位置づけ、ブログでも「カンファランスのないライティング・ワークショップは想像できない」とまで述べています​askoma.infoaskoma.info。ワークショップ型授業は、生徒が書いている間に教師が机間巡視して1対1で対話するスタイルを重視しますが、まさにその考えを強く支持しているのです。澤田氏はアトウェルら米国の実践家を参考にしつつ、教師が生徒一人ひとりの「書き手」としての状況を把握し、適切な助言や質問を投げかけることが作文指導の肝だと捉えています。2017年には「アトウェルのワークショップの真髄はカンファランスの凄み」と題した記事で、著書に掲載された彼女のカンファランス例を詳細に紹介し、その短時間で的確に問題点を指摘し解決に導く技量に感嘆しています​askoma.infoaskoma.info。これは、自身も生徒との対話を通じて書く力を伸ばすことを理想としている表れです。事実、筑駒時代からどの生徒といつカンファランスをしたか、どんな助言をしたかをスプレッドシートに記録し続けていたほど、澤田氏は個別対話に力を注いできました​askoma.info。同僚に「仕事を増やしてますね」と呆れられつつも、「自分にはエピソード記憶力がないから記録は欠かせない」とまで言い切り、カンファランスログを指導の命綱としていたのです​askoma.info。このように、生徒一人ひとりと向き合う時間を最大化すること、そしてその内容を踏まえて次の指導につなげることが、氏の揺るぎない基本方針でした。40人規模のクラスであっても工夫を凝らし、例えば授業間の空き時間に生徒の書いたノート(大福帳)を全員分読み込んで課題を把握**し​askoma.infoaskoma.info、次回カンファランスすべき生徒を7~10人ピックアップしておく​askoma.info、といった周到な準備をして臨んでいたことが記されています。2018年の記事では、こうしたカンファランス手順を詳述し、「30分の書く時間でいかに多くの生徒の様子を把握し適切な支援をするかが教師の踏ん張りどころ」と気合いを入れていました​askoma.infoaskoma.info。このように、多忙でもできる限り多く・質の高いカンファランスを行おうという信念は一貫しています。

変化・深化した部分(時系列での展開): カンファランス観については、その重要性を疑うことはないものの、実践方法や位置づけに関していくつかの転換点がありました。まず、生徒数と時間の制約への対応として、2000年代末~2010年代前半にはピア・カンファランス(生徒同士の対話)を積極的に取り入れていました。前述のように筑駒では1クラス40人×複数クラスという状況だったため、「教師による1対1カンファランスは到底全員にはできない。だからピア・カンファランスを導入するしかない」という立場だったと述懐しています​askoma.infoaskoma.info。実際、澤田氏がワークショップを本格開始した2008年当初から、生徒同士がペアになって互いの文章を読み助言し合う相互カンファランスを導入していました​askoma.info。さらに2009年には発展させて、4人1組のグループ・カンファランス「編集会議」を始めています​askoma.infoここでは相手の下書きに意見ではなく質問をする形式にし、お互いの作品の質を高めようと試みました​askoma.info。このように、当初は限られた教師リソースを補うため、生徒同士でお互いに「対話による支援」を行う仕組みづくりに熱心でした。しかし、2011年頃まで続けたそのグループ・カンファランスは、一度ワークショップ実践自体を中断した2012年を境に取りやめたといいます​askoma.info。再開後も復活させなかった理由について、2025年の記事で振り返っています。その反省点は主に二つです​askoma.info。一つは、「他者の作品を良くする目的で有効な質問をする」のは中学生には非常に難しいと気づいたこと​askoma.infoaskoma.info。相手の狙いや現状を理解した上で適切な問いを投げるのは高度な技能で、生徒に要求するのは無理があると思うに至りました。もう一つは、質問に徹するよう求めても結局生徒は意見や感想を言いたくなってしまい、それを抑制すること自体に不自然さを感じてしまったことです​askoma.infoaskoma.info。当初目指した「質問だけにするメリット」を追求したものの、現場では違和感が残り、澤田氏自身も次第に編集会議の形にフィットしなくなったのでしょう。こうして、2010年代中頃にはピア・カンファランスへの熱は一旦冷め、教師による個別カンファランス中心の体制に戻っていきます。実際、2017~2018年の記事では「40人学級では教師のカンファランスは難しい。だからピア・カンファランスを」という立場ではある」と述べつつも​askoma.infoaskoma.info、現実には教師自身ができるだけ多くの生徒と話す努力をしていたことが記されています​askoma.infoaskoma.info。ピア活動を完全になくしたわけではないものの、教師カンファランスの比重を高めざるを得なかったのが2010年代後半までの状況でした。

その中で、教師カンファランスの質も深化しています。経験を重ねるにつれ、より効果的な対話のコツを掴んでいった様子がブログから読み取れます。一例として、前述のグループ・カンファランスの研究過程で得た学びがあります。澤田氏は「良い質問とは何か?」を専門家と検討し、生徒たちが「これは良い質問だった」と感じた質問を分析しました​askoma.info。その結果、当初澤田氏が予想した「書き手の発想を広げる質問」や「作品に大きな影響を与える質問」ではなく、**「書き手の書いたものに寄り添い、不明確な点を明らかにしたり内容を確認したりする質問」**の方が生徒にとって「良い質問」と捉えられる傾向が強いと判明しました​askoma.infoaskoma.info。いきなり新しい視点を考えさせる質問より、まず今の作品に共感し寄り添う質問の方が受け入れられやすい、というわけです​askoma.info。この経験は澤田氏のその後のカンファランスにも影響を与え、「最初はいきなり不足点を指摘したりせず、書き手の意図や文章内容をよく聴くこと」を意識するようになったと述べています​askoma.infoaskoma.info。実際、2016年の記事では、自身が大学院で指導教授から受けた添削フィードバックを例に挙げ、「人の振り見て我が振り直せ」と題して、自分も生徒に対し欠点ばかり指摘していないか省みています​askoma.infoaskoma.info。その中で、「全体の字数制限との兼ね合いで、何を削り何を書くかを一緒に考えるには、コメントを書くより対話(カンファランス)の方が適している」と気づいたと述べています​askoma.infoaskoma.info。このように、カンファランスでの教師の振る舞い(質問・助言の仕方)が洗練され、書き手の主体性を尊重する方向に深化していきました。

2020年代に入り、風越学園で少人数相手に十分カンファランスができる環境になると、澤田氏のカンファランス実践は新たな段階を迎えます。人数的余裕からほぼ毎回全員と個別対話できるようになり、評価カンファランスも制度化されました​askoma.info。2020~2021年の実践報告では、「今学期の個人的テーマはカンファランスだった」と語り、下書きノート(大福帳)を活用した効率的なカンファランスサイクル(前述のような記録と計画)を完成形に近づけています​askoma.infoaskoma.info。また、**「適切なタイミングで適切な知識を教える」「教えることをためらわない」**というアトウェルの姿勢を念頭に、遠慮なく必要なミニ指導も織り交ぜる方針を取ったとも述べています​askoma.infoaskoma.info。これは、かつては「生徒の自主的な気づき」を重視するあまり躊躇していた文法知識の指導なども、必要と判断すればカンファランス内で教えるようになったということでしょう。実際2025年には「文法知識をワークショップでどう教えるか?」という記事も書いており、カンファランス等で最小限を教える試みを報告しています(2025.02.13の記事タイトルより)※。このように、カンファランスの中でミニレッスン的指導を行うことにも前向きになりました。言い換えれば、カンファランスを通じて個別最適化された指導を実践する段階に到達したのです。

ところが興味深いことに、2024年には一時的にカンファランスの記録をやめるという思い切った実験も行われました。澤田氏は「カンファランス魔」と自称するほどカンファランス重視でしたが、「今のままでは自分の授業は予定調和的すぎるかもしれない」と感じ、環境に不確定要素を増やすために「しばらくカンファランス(とその記録)をやめてみる」と宣言したのです​askoma.infoaskoma.info。その第一の理由は、以前から考えていた「今のままのあなたでいいよ」と「今のままではいけないよ」を両立させるにはどうするか、という難題に挑むためでした​askoma.info。丁寧すぎる自分の授業をあえて崩し、教師の意図が届かない場・コントロールできない場を作り出すことで、新たな発見を得ようとしたのです​askoma.infoaskoma.info。具体的には、毎回全員にカンファランスすることと、その詳細記録を一旦止めることで、教師である自分が子どもたちを綿密には把握できない状況をあえて作りました​askoma.info。その代わり、授業中に教師自身が一書き手・読み手として執筆・読書する姿を子どもに見せる時間を設けるようにしました​askoma.infoaskoma.info。自分も子どもたちと並んで「書き手」として教室に存在することで、子どもにとってより自然で主体的な学びの空間になるのではないか、との狙いです​askoma.infoaskoma.info。この実験はまさに長年の「カンファランス命」から一歩引いてみる挑戦で、澤田氏の中でカンファランスの意味を再検討する機会になったと言えます。結果については後日の記事で触れられる予定とのことですが、少なくともこの試みから、氏がカンファランス偏重による弊害の可能性にも目を向け、より柔軟な指導観へアップデートを図っていることが読み取れます。

以上まとめると、澤田氏は2014~2024年を通じてカンファランス重視の姿勢を貫きながら、その手法を環境に応じて調整・改善してきました。大人数時代はピア活動で補完し、少人数環境では理想形を追求し、さらに自身の成長に合わせてカンファランスの役割を再評価するといった変化がありました。根っこの部分では「生徒と対話し、生徒ごとの書くプロセスに寄り添う」ことの価値観は微動だにしていません。しかしその実現手段や力点配分は、文脈に応じて柔軟に変えてきたのです。近年の試みに見るように、澤田氏は今後もカンファランスの在り方を探究し続け、最善のかたちを問い直す探求者であり続けるでしょう。

6.書き手としての生徒理解や書き手の権利に関する考え方

根本的な信念(一貫している点): 澤田氏の作文教育には、「生徒一人ひとりを書き手(作者)として理解し尊重する」という哲学が一貫しています。生徒を単なる「未熟な子ども」ではなく「表現者」「物語の語り手」とみなし、その視点に立って関わろうとする姿勢です。これは前述のカンファランス重視や課題の自由度にも通じる根底の価値観です。具体的には、生徒には自分の書く内容やプロセスについて主体的に決める権利や、試行錯誤する自由があると考え、それを保障しようと努めています。象徴的なのが、2016年に紹介した「作者の権利10か条」への深い共感です​askoma.info。澤田氏はこの10か条(NWP UKが作成したもの)を「個人的にとても納得できるし、大事だ」と評価しました​askoma.info。そこには「書いたものを見せない権利」「書き直したり消したりする権利」「どこででも書ける権利」「信頼できる読者を得る権利」「途中で迷子になる権利」「書いたものを捨てる権利」「考える時間をとる権利」「他の作者から借りてくる権利」「実験したりルールを破ったりする権利」「(ツールを選ぶ)パソコンを使ったり絵を描いたり紙とペンで書いたりする権利」が含まれています​askoma.infoaskoma.info。澤田氏はこれら一つ一つが書き手である子どもにとって極めて重要で、安全な場・挑戦しやすい環境・十分な時間・学び合い・ツールの選択といった点で理にかなっていると称賛しました​askoma.info。そして「本来はこの10か条がとても大事だと思う点は変わらない」と述べ、自らの授業でも可能な限り実現したいとしています​askoma.infoaskoma.info。このことから、生徒には本来的に作者としての基本的権利があり、教師はそれを侵害せず伸ばす支援者であるという信念が読み取れます。

また、生徒を「書き手」として理解するとは、生徒の内面や個性、成長段階を踏まえて書く行為を捉えることでもあります。澤田氏は「文章を書くという行為は非常に複雑」だと繰り返し述べています​askoma.info。例えば「書けない」生徒に直面したとき、「この子は怠けている」「能力がない」と短絡的に決めつけるのではなく、「何がその生徒の筆を止めているのか」を丁寧に考えようとします​askoma.info。2015年の「『書くことがない』と言う生徒に会った時に」という記事では、書けない原因を(1)課題が不明でわからない、(2)課題に気が進まない、(3)課題についての知識がない、(4)時間制限に焦っている、(5)実はネタはあるが自分で「ダメだ」と決めつけて除外している、(6)他の子と比べて劣っていると感じ書きたくない——と細かく類型化しました​askoma.infoaskoma.infoaskoma.info。この分析からも、生徒の「書けない」という表現の裏に様々な心理・状況があることを理解し、それぞれに応じた手立てを考えていることが分かります。中でも(5)や(6)のような本人の内面的要因について、(5)であればカンファランス等で他者から質問してもらい、自分のアイデアが本当にダメかどうか確認したり次の発想を得たりできる、と対策を示し​askoma.infoaskoma.info、(6)であれば即効薬はなく日頃から安心できる教室文化を醸成していくしかない、と述べています​askoma.infoaskoma.info。さらに「どうしても書けない」という生徒に無理強いしないことも、近年強調するようになりました。2015年当時から既に、「なんとか書かせようと焦って失敗した苦い経験がある」と明かし、最近では「それでも無理なら『まあ、難しいよね』と一旦受け入れるくらいがいいのかも」とさえ述べています​askoma.infoaskoma.info。これは、生徒の書けない辛さに寄り添い、書くこと自体が挑戦であり苦痛になり得るという認識に基づく発言です​askoma.info。実際、「書くことはそれだけで『挑戦』」という2014年の記事も紹介しながら、書くことの認知的負荷の大きさを踏まえている様子が伺えます​askoma.info。このように、生徒の状態を書き手本人の視点で理解しようと努め、その権利やプライドを傷つけない配慮をすることが、澤田氏の根底に流れる信念です。

変化・深化した部分(時系列での展開): 書き手としての生徒理解や権利に関する考え方は、理念自体は一貫しつつも、より明確に言語化され教育活動に組み込まれる形で深化しました。2014年当初、澤田氏は既に生徒をリスペクトする姿勢で指導していましたが、それを「書き手の権利」という枠組みで捉えるようになったのは留学経験や国際的な情報に触れた影響が大きかったと考えられます。2016年に「作者の権利10か条」と出会ったことはエポックメイキングでした​askoma.info。これにより、自身が大切にしてきた価値観を端的なリストとして生徒や同僚にも提示できるようになりました。実際、その後この10か条を教室に掲示したり、Twitter上で画像化して共有したりと(2023年の投稿​x.comやNapkin AIでの図示​twitter.comの言及)、積極的に活用しています。言い換えれば、生徒の書き手としての権利を守ることが澤田氏の教育の旗印の一つとして前面に出てきたのです。これに伴い、授業内の具体的ルールや文化も変化した可能性があります。たとえば、先述の**「書いたものを見せない権利」を保障するために、無理に作文を全員の前で発表させないとか、日記的な内容は教師も読まずに封印できるページを作るなどの措置が取られたかもしれません(実際詳述はありませんが、十分考えられます)。また「書いたものを捨てる権利」に対応して、嫌な文章は提出しなくてもよいとか、自由作文ノートは成績評価しないなどの配慮もした可能性があります。さらに「信頼できる読者を得る権利」**は、教室内の人間関係づくりとも絡み、互いに批判ではなく応援し合う文化の醸成に繋がっています。このように、権利10か条を意識することで、生徒の自己決定やプライバシーをより尊重する授業運営へと深化したと推測されます。

生徒理解の面では、個別のケースへの対応力が増した点が変化として挙げられます。2015年の記事で「書けない」原因を分析したように、生徒の多様な実態を捉える視野が広がりましたが、その後さらに低学年(小学生高学年)の指導に携わったことで、新たな視点が加わったでしょう。例えば、小学生の場合は中高生と比べ書く体力や語彙も未発達なので、「書けない」理由も違うかもしれません。澤田氏は2023年の記事で、担当する5・6年生の中にも出版まで苦戦する子が当然いると述べつつ、「『書けない』現象とどう向き合えばいいか」について改めて考えを綴っています​askoma.infoaskoma.info。その中でまず「『書き方』を教えれば誰でも書けるようになる、というほど単純ではない」と断言し​askoma.info、書けないにも色々あると前提を置いています​askoma.info。大学初年次教育の知見も引用しつつ、やはり画一的な指導ではなく個々のつまずきに寄り添う必要を説いており、この点は中高生対象の頃からの姿勢と変わりません。しかし、小学生を含めた指導経験により、例えば筆記速度や漢字運用力といった技術的ハードルにも目が向いた可能性があります。権利10か条の1つ「パソコンを使ったり、絵を描いたり、紙とペンで書いたりする権利」は、小学生段階では特に重要でしょう。風越学園ではおそらくiPad等も活用しており、手書きが苦手な子は音声入力やタイピングを使わせるなど、ツール面での柔軟な対応もしていたと考えられます​askoma.info。このような発達段階や個人差に応じた理解と支援がよりきめ細かくなったことも、変化の一つです。

さらに、澤田氏自身の著作活動もこの観点の深化を示します。2022年には澤田氏の単著『君の物語が君らしく 自分をつくるライティング入門』が出版されました(2023年3月ブログに重版報告​askoma.info)。タイトルからわかるように、「書くこと」が自己形成(自分をつくる)につながるという理念が謳われています。これはまさに書き手である生徒本人の内面的成長にフォーカスした内容と思われます。ブログでも「書き手としての自分をつくる大切な時間」という表現で作家の時間を紹介する記事があり​askoma.info、ワークショップの価値を単に文章力向上だけでなく自己発見・自己表現の喜びに置いています。澤田氏は初期には「国語の学力向上」のためワークショップを始めたと述懐していました​askoma.infoが、現在では「自己を表現し、自分を知るために書く」ことの意義を強調するようになったのです。この価値観の広がりも、生徒を書き手=表現者として見る視点の深化と言えます。つまり、書くことの意義を、生徒にとっての人格的成長やアイデンティティ形成まで包含するようになったのです。この変化は教育観の成熟として注目できます。

総じて、澤田氏は2014年から2024年にかけて、「書き手である生徒」の尊重という軸をぶらさずに持ちながら、それを具体的な権利リストとして提示したり、指導法や教材に落とし込んだりする形で発展させてきました。生徒一人ひとりの声にならない声(書けないというサイン)にも耳を傾け、その権利を守り抜く姿勢は一貫しています。そして近年は、生徒が文章を書き綴ることで自己を発見し成長していく存在であることを強調し、作文教育の目的をより人間教育的な次元にまで引き上げて語るようになった点が、大きな深化と言えるでしょう。

7.子ども同士の関わりや協働に関する考え方

根本的な信念(一貫している点): 澤田氏は、作文の過程における子ども同士の関わり合い(ピア同士の協働・交流)を重要な要素と考えています。ワークショップ型の作文指導では、執筆は個人作業であってもクラス全体が執筆コミュニティとなり、お互いに読み合ったり感想を述べ合ったりすることが特徴です。澤田氏も当初からその点を重視し、生徒同士がお互いに良い影響を与え合う場を作ろうとしてきました。根底には、「書くことは本来孤独な作業だが、教室では仲間と励まし合うことでより楽しく有意義になる」という信念があります。例えば、「書けない」と悩む生徒への対処法として、他の生徒とのグループ・カンファランスで質問を受け話してみると、自分のネタが実は面白いと気づいたり次のアイデアが湧いたりする、と述べています​askoma.info。これは仲間との対話が行き詰まりを突破するきっかけになるという発想です。また、2014年の「添削指導の条件」では、教師一人で全員の作文を細かく見るのには限界があり、**「数週間後の教師の丁寧なフィードバックより、生徒同士の即時フィードバックのほうが効果的」**との研究結果を引用しています​askoma.info。このことからも、仲間からすぐ意見や反応をもらえることの価値を認めていたことが分かります。つまり、生徒同士が互いの読み手・聞き手となることで、フィードバックのスピードと量が増し、学習効果が上がるという信念です。

また、作品の共有や発表を通じた子ども同士の刺激にも注目しています。ワークショップでは最後に書いた作品をクラス内で共有する「オーサーズ・チェア」(作者の椅子)などの時間を設けますが、澤田氏も各単元の「出版後」に作品を読み合う時間を十分取っています​askoma.info。子ども達はクラスメイトの作品を読み、感想を書いたり話し合ったりします。この過程で**「他の子の作品から学ぶ」ことや「互いに励まし合う文化」が醸成されると考えています。澤田氏が評価する「作者の権利10か条」にも「信頼できる読者を得る権利」や「他の作者から借りてくる権利」があり​askoma.info、まさに仲間からの学びを肯定しています。澤田氏自身、「良い文章を書くには良い読み手・聴き手の存在が不可欠」という趣旨のことをたびたび述べており、それは子ども同士が互いに良き読み手・聴き手となることを期待しているからです。

変化・深化した部分(時系列での展開): 子ども同士の関わりについては、この10年で形態の変遷と方針の微調整が見られました。まず、前述の通りピア・カンファランス(生徒同士の相互助言)は2008~2011年頃にかけて非常に重視されました。澤田氏はグループ・カンファランスという仕組みまでつくり、生徒同士が編集者役になって質問し合う協働学習を追求しました​askoma.infoaskoma.info。当時は科研費を取って実践を継続・研究するほど熱心で、「編集会議」で公開授業まで行ったと記しています​askoma.info。これは、生徒同士の協働を作文指導の中核に据えようとする試みでした。しかし前述の理由で2012年以降はピア・カンファランスを公式には行わなくなりました​askoma.info代わりに教師が個別に回る形式に戻したわけですが、それでも生徒同士の関わり自体を断ったわけではありません。たとえば、2015年の記事では、悩む生徒に対し「生徒同士のグループ・カンファランスをすると良い」と解決策に挙げています​askoma.info。実践として組織的にグループ活動を課さなくとも、必要に応じペアやグループで話させることは適宜行っていたでしょう。また、「作品の合評会」のような形で生徒にコメントを書かせ合う活動も取り入れていたようです(推測ですが、筑駒時代の公開資料に生徒同士で作品講評し合うプリント例があったとの情報もあります)。

大きな変化として挙げられるのは、2019年以降、風越学園での実践で子ども同士の関わりが新たな形で活性化したことです。風越学園は学校全体で協働的な学びを重視しており、作文教育にも保護者や他学年を巻き込んだコミュニティの形成が見られます。澤田氏は2020年以降、「出版ウィーク」「オーサーズ・トーク」「ファンレター」といった新しい取り組みを報告しています。例えば**「出版ウィーク」ではクラス内外に作品を公開し合い、互いに読み合う期間を設けました​askoma.info「オーサーズ・トーク」では出版を記念して作者たちが自分の作品について語る機会を設けています(2025.02.13の記事より)※。中でもユニークなのが「ファンレター」の取り組みです。2023年度から導入したこの実践では、生徒たちがクラスメート(や場合によっては保護者や他の教員)から自分の作品宛に寄せられたファンレター**を受け取り、それに丁寧に返信を書く活動をしています​askoma.infoaskoma.info。澤田氏はこの「ファンレターへの返信」が子どもたちにとって非常に価値ある時間になっていると述べています​askoma.infoaskoma.info。実際、普段「書くのめんどくさい~」と言っている男子生徒たちまで、もらった手紙に嬉しそうに返事を書いていると報告されています​askoma.infoaskoma.info。中にはファンレターを10通近くもらい、授業中に書ききれず昼休みにまで書いていた子もいたとのことです​askoma.info。このように、**仲間からの温かいフィードバック(ファンレター)は生徒に強い動機付けを与え、書く喜びを倍増させました。澤田氏はファンレター返信の教育的効果として、「風越学園では手書きの機会が少ない中での筆記練習になる」「自然な文脈で実用文(手紙)の練習になる」「ファンレターを通じて自分の作品を読み直し価値を再認識できる」「書くことを通じて保護者と子どもの間に関係ができる」といった点を挙げています​askoma.infoaskoma.info。特に3点目と4点目は注目で、生徒同士・保護者との間に作文を媒介としたコミュニティが形成される効果を見出しています​askoma.info。実際、2023年5月には「たくさんのファンレター!書くことを通してコミュニティができるといいなあ。」という記事も投稿しており​askoma.info、生徒同士+周囲の大人も巻き込んだ「書くことによる共同体づくり」にまで視野を広げています。

こうした新しい動きから見えてくるのは、澤田氏の子ども同士の関わりへの再評価と進化です。2010年代半ば、一度はピア活動に慎重になった澤田氏ですが、2020年代に入り別の角度から子ども同士の学び合いを活性化させました。それは単に「互いに添削し合う」ような関わりではなく、互いにファンや読者として支え合うというポジティブな関わりです。例えば2025年初頭には、「今学期は久しぶりにグループ・カンファランスをやってみる」と方針転換した記事もあり、Facebookで「最近は作文教育での制度化されたピア活動に慎重だったけど、ちょっと考えを変えてみます」とコメントしています​m.facebook.comm.facebook.com。15年ぶりにグループ・カンファランスを復活させた経緯を2025年2月の記事で語っていることから、澤田氏は当初の試行錯誤を踏まえつつ、改めて生徒同士の対話に価値を見出して再挑戦しているようです​askoma.infoaskoma.info。おそらく風越学園で数年実践した結果、子ども達が互いに質問し合ったり意見交換したりする力も徐々に育ってきたため、再びグループ・カンファランスに手応えを感じ始めたのではないでしょうか。「制度化されたピア活動に慎重だった」が「考えを変えてみる」に至ったのは、子ども達の成長と授業文化の醸成により、今度はうまく機能するとの見通しを得たからと推察できます。このように、子ども同士の協働に対する澤田氏の考えはジグザグを経て発展しています。当初は期待をかけ、大きな役割を担わせ、挫折し、その後は教師主体で進めつつ裏で支え合い文化を醸成、そして十分文化が育った段階で再び公式に協働活動を導入する——という流れです。根本には常に「書くことはコミュニケーションであり、人と人をつなぐもの」という信念があり、それを実現する方法論を模索し続けてきたと言えます。

総括すると、澤田氏の2014~2024年のブログからは、作文教育における子ども同士の関わりを軽視した時期は一度もなく、むしろその関わりをいかに良い形で促進するかに心を砕いてきたことが分かります。ピア・カンファランスの挫折も踏まえ、現在では互いに作品のファンになる、コミュニティを形成するといったより成熟した協働の形を実現しています。子ども達が単に同じ教室で書くだけでなく、仲間として互いの書く姿を支え合い、高め合うことこそ、澤田氏が目指す作文教育のゴールの一つなのです。それは、「書き手の権利10か条」の第4条「信頼できる読者を得る権利」にも通じるものであり、澤田氏はこの10年で教室という場を子どもたちにとっての「信頼できる読者たちの共同体」へと育て上げてきたと言えるでしょう。

最後に、同じくブログの2014年〜2024年までを範囲にして、あすこま氏がどのような人や文献、経験に影響を受けながら上記のような作文教育観の変遷を辿ってきたかをまとめてください。

8.澤田英輔氏の作文教育観に影響を与えた要因の分析

文献から受けた影響

  • ライティング・ワークショップ関連の文献: 澤田英輔氏(あすこま氏)は米国の「ライティング・ワークショップ」理論に基づく実践書から大きな影響を受けています。教師生活初期には、ラルフ・フレッチャー&ジョアン・ポータルピ著『ライティング・ワークショップ ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方』などを手に取り、そのエッセンスを学びました​askoma.info。同書は氏が「最初の一冊」と位置づける基本書ですが、「実際には色々なタイプのライティング・ワークショップがあり、これが『正しいライティング・ワークショップ』とは思いこまない方が良い」​askoma.infoと述べ、特定の方法に固執しない柔軟な姿勢も示しています。続いて、新評論のシリーズである『作家の時間』実践編(2008年)など日本の実践記録にも触れ、小学校現場での応用に学んでいます​askoma.info

  • ナンシー・アトウェルの著作: 何より澤田氏の作文教育観に決定的な影響を与えたのは、ナンシー・アトウェル(Nancy Atwell)の実践と著作です。アトウェルの代表作 In the Middle(1987初版/2014第3版)を2010年代前半に読み始め、「このブログでも読んだ感想を書き続けている」ほど熱心に研究しました​askoma.info。アトウェルが提唱するライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップを車の両輪としたカリキュラム(読み書きの自立した学習者を育てる実践)に強く共感し、自身の授業にも取り入れています​askoma.info。氏は「アトウェルは僕にとって大切な『先生』です」​ncode.syosetu.comとまで述べており、実際にアトウェルの学校を訪問して教室環境を観察・写真撮影するなど、その理念を直接学ぼうとする姿勢が見られます​ncode.syosetu.comncode.syosetu.com。アトウェルの手法から、徹底した個別対応(カンファランス中心)や生徒の選書・題材選択の尊重といった原理を自らの信条にしています。澤田氏はアトウェルの著作を「僕にとっても大切な一冊」であり、自身を導いてくれた書だと語り​ncode.syosetu.com、後年その日本語訳出版に訳者の一人として参画するまでになりました。このことからもアトウェルの思想が澤田氏の作文教育観の核となっていることがわかります。

  • 作文指導・書くことのプロセスに関する文献: ライティング・ワークショップの核であるカンファランス(対話的指導法)について、澤田氏は日本語・英語双方の文献から学んでいます。例えば、早稲田大学ライティングセンターの実践をまとめた佐渡島紗織・太田裕子『文章チュータリングの理念と実践』(2013年)は「どのようなカンファランスが効果的かを考える上で非常に有用な一冊」​askoma.infoとして紹介し、その知見を高校の作文指導に応用しました。また、岐阜県の国語教師・木村正幹氏の『作文カンファレンスによる表現指導』(2008年)からは、「ワークショップの本質はカンファランスにある」として日本の大人数学級に適したグループ・カンファレンスの手法を学びました​askoma.info。澤田氏自身、当初グループ・カンファランスを熱心に実践していた時期があり(後述)、木村氏の提唱する生徒同士の話し合いによる推敲支援は大きな示唆を与えたと推測されます(※明示的な引用はないものの、ブログでグループ・カンファランスの効用に言及する際に木村氏の着想と共通する視点が見られます)。さらに、Carl Andersonの Assessing Writers(2005年)など海外の評価・指導論も読破し、カンファランスで生徒の書くプロセスを支援し評価する方法論を吸収しています​askoma.info

  • 教育学・認知心理学系の文献: 澤田氏は作文指導の実践書だけでなく、教育学の研究成果も貪欲に摂取しています。特に米国教育研究所 (IES) の報告 Writing Next(2007年)に注目し、176本の論文をメタ分析した効果的作文指導法のエビデンスをブログで紹介しました​askoma.info。この報告から、「プロセス・アプローチで教える」ことの有効性と教師研修の重要性を知り、教師が適切な研修を受ければ効果量が向上するとのデータに「なんとなくわかる気がします…」とうなずいています​askoma.infoaskoma.info。つまり、感覚的に良いと信じていたプロセス重視の指導が、研究でも裏付けられていると確認し、自身の指導方針に一層自信を深めました。また認知心理学者D.ウィリンガムの『教師の勝算―勉強嫌いを好きにする9の法則』等の一般教育書からも示唆を得ており、読み書きの認知プロセス動機づけに関する科学的知見を授業デザインに取り入れています(具体的な引用箇所はありませんが、ブログの随所で「認知負荷」や「動機づけ」といった視点に触れており、これらの文献に影響を受けたことが推察されます)。

  • 近年接した国内の教育文献: 2020年代に入り、澤田氏は従来あまり読んでこなかった日本の国語科作文教育の古典的文献にも目を向け始めました。例えば2023年には野口芳宏『作文で鍛える』(1988年初版)の復刻版を初めて読んだとブログで報告し、「さすがの必読書。…作文教育の基本はやはりここにある」と深く共感しています​askoma.infoaskoma.info。野口氏が提唱する「書くことを学ぶには、量第一主義で日々たくさん書かなければならない」という原則(長文より短文、長時間より短時間、完成品より練習重視)に対し、「実際のところ僕はほとんどすべて同意する」と述べ​askoma.info、自身の信条(日常的に書く習慣づくり書く量の重視)が改めて言語化された形です。このように、日本の先行実践にも学ぶ姿勢を示し、自らの指導観をアップデートしています。また池田修『作文指導を変える:つまずきの本質から迫る実践法』(2024年)といった最新の実践書にも関心を寄せ、作文指導上の細かな課題(アイデアの出し方支援や行事作文へのアプローチ等)について具体的解決策を得ている様子です(※池田氏の本への直接の言及は2025年のブログエントリにありますが、その内容から2024年時点で澤田氏がピア活動(グループ・カンファランス)の再評価に踏み切った背景に、同書等で得た示唆があると推測できます)。

英国留学(2015〜2016年)で得た知見・経験

  • 異文化の教育研究との出会い: 2015年より英国エクセター大学大学院に留学した経験は、澤田氏の視野を広げました。エクセターで教育学修士課程(Educational Research)を履修する中で、国内外の教育理論・実証研究に深く触れ、実践を客観化する視点を養ったと考えられます。実際、留学中のブログでは自ら取り組んだ研究課題やレポート執筆を通じて得た学びを共有しています。例えば英語で1,500〜5,000語のアカデミックエッセイを執筆する中で、従来の「アウトラインを作ってから調べ、それから書く」という手順では執筆開始のハードルが高いことに気づきました​askoma.info。そこで発想を転換し、「内容が乏しくてもまず書いてみて、不十分な点を後から調べて書き直す」という方法に切り替えたところ、何を調べるべきかが明確になり執筆が進んだと報告しています​askoma.info。この“Write thenResearch”のアプローチは、書くプロセスそのものを思考の一部と捉える実践知であり、帰国後は「書くことに苦手意識を持つ生徒にも、最初にあまり調べすぎず書き始めてみるよう勧めてみようかな」​askoma.infoと、自身の指導法に取り入れる意向を示しています。留学での学術的執筆体験が、生徒の調べ学習作文においても**「調べたことを書く」より「書いてから調べる」方が有効な場合がある**という洞察を与え、作文指導観に新たな幅を持たせました。

  • ピア・フィードバック(書き手同士の協働執筆)の有効性: 英国での学びには、異なるバックグラウンドを持つ同僚との協働も含まれます。澤田氏は留学中、チリ人のクラスメイトと週1回互いのエッセイ草稿を読み合いコメントし合う勉強会を自主的に行いました​askoma.info。この「誰かと一緒に書く」取り組みは非常に有益で、「シンプルだけど本当に強力」な方法だと実感しています​askoma.info。具体的な効果として、締切を細分化して執筆ペースを守れること、他者視点のフィードバックが得られること、相手の文章を読むことで自分の文章にも学びがあることなど、ピア・レスポンスの効用を身をもって体験しました​askoma.info。この経験は、日本で先に実践していた生徒同士の添削・助言活動に対する確信を強めるものとなりました。実際、「これは自分だけでなくチリアンさん(相手)にも喜んでもらえたし、日本での経験をこちらで活かせてよかった」​askoma.infoと述べており、日本で培ったワークショップ型授業の経験が留学先でも役立ち、逆に留学で得た協働執筆の手応えが帰国後の生徒指導への自信につながったことがうかがえます。

  • アトウェルの学校訪問: 留学中の2016年春休み、澤田氏は渡米して米国メイン州にあるアトウェルの創設校「CTL(教師と生徒のための学習センター)」を見学する機会を得ました​askoma.info。ブログの連載記事「アトウェルの学校見学レポート」では、写真は控えつつ授業の様子を詳細に記しています。それによると、教室では複数の学年が混ざり、広いスペースで読み書きのワークショップが行われ、教師は徹底して個別対応(1対1のリーディング/ライティング・カンファランス)に徹していたとのことです​askoma.info。澤田氏は「授業中の雰囲気は大体つかめる」ほど観察を重ね、アトウェル自身の著作や教材(DVD等)と照らし合わせて理解を深めています​askoma.info。この見学経験により、ワークショップの理想形を実地に確認し、「徹底した個別化」の威力や教室環境の工夫(教室内の読み書きコーナー配置など)について多くを学んだと考えられます。後にこの訪問で撮影した写真を日本語訳『イン・ザ・ミドル』に掲載するなど​ncode.syosetu.com、自身の実践のみならず日本の教師への共有にも役立てており、留学中の貴重な体験が彼の作文教育観を具体的なイメージでも支えました。

  • 異国の教育事情・研究者との交流: エクセター大学での学びを通じ、澤田氏は各国から集まった教育研究者・実践者とのネットワークも築きました。ブログには直接の記述は少ないものの、同級生の多くは博士課程の学生であり、彼らとの対話から国際的な作文教育事情を知る機会もあったと推測されます。また指導教授や講義を通じて、英国のリテラシー教育(例えばDebra Myhill教授による文法指導とライティングに関する研究など)についても触れた可能性があります。留学日記には「Ph.D.(博士号)は、世界で『ただ一人』のエキスパートになる旅」​askoma.infoといった考察も綴られており、教育を学問的に探究する意欲を刺激された様子もうかがえます。総じて留学経験は、澤田氏に実践の理論的裏付けグローバルな知見をもたらし、帰国後の実践に厚みを与える重要な転機となりました。

その他の人物・実践・経験からの影響

  • 国内の教師仲間・先達からの影響: 澤田氏は自身の実践を深める中で、多くの教師仲間や先輩教師から示唆を得ています。例えば福井県の高校教師・渡邉久暢氏との交流は、その代表例です。渡邉氏が東京勤務時代に澤田氏の勉強会に参加し、自作の国語授業実践(夏目漱石『こころ』の指導)の報告をしてくれた際、生徒の書いたノートの充実ぶりに澤田氏は「ああ、すごい先生だなあ」と感嘆しました​askoma.info。さらに渡邉氏から自分の授業を見に来てもらい鋭い助言を受けたことで、その的確さに感服し、「いつかこちらも授業を見せてもらいたい」と強く願うようになります​askoma.info。この縁から2015年に実現した渡邉氏の授業見学では、刺激を受けるだけでなく、自らも「ライティング・ワークショップの理念と日本での実践の試み」と題した講話を行い、アトウェルの実践を紹介しつつ彼女に影響されながら自分が作文授業をどう考えているかを語っています​askoma.info。このように同業者との対話は、澤田氏に自身の理念を言語化・再確認させる機会となり、互いの知見交換を通じて教育観を研磨する場となっています。

  • 教師コミュニティでの継続的学び: 澤田氏は早くから勉強会やメールでの情報交換など、教師コミュニティでの学びを大切にしてきました。実際、彼が2009年に勤務校の研究会向けに作成した小冊子「作文ワークショップ その紹介と実践の記録」には、ライティング・ワークショップの概要や自身の実践報告に加え、「当時実践しながら毎週勉強仲間に書いていたメールの文面」まで収録されています​askoma.info。これは同僚教師たちとの間で週ごとに実践の振り返りを共有し合っていたことを示し、現場教師同士の相互研鑽が澤田氏の成長を支えたと言えます。そうしたネットワークには、国語教育の著名人でワークショップ型学習の普及に努めた吉田新一郎氏も含まれていたでしょう。吉田氏はワークショップ関連の多数の文献翻訳を手がけており、澤田氏も吉田氏訳の書籍で学ぶとともに、後にはアトウェル著作の共訳者として協働しています​ncode.syosetu.com。吉田氏からは翻訳作業を通じて得た知見だけでなく、「ライティング/リーディング・ワークショップの文献を日本に紹介し続けてきた」その姿勢そのもの(新しい実践を日本の教育界に根付かせる使命感)にも刺激を受けたことでしょう。

  • 国語教育の大先輩・研究者からの影響: ブログには直接の登場は少ないものの、澤田氏は大村はま氏(「筆まめな人を育てる」を掲げた国語教育の先駆者)や野口芳宏氏(前述の『作文で鍛える』著者)といった先達の理念にも共鳴しています​askoma.info。大村氏の掲げた目標に通じる「日常的にたくさん書くこと」の重要性は、自身のワークショップ実践(毎日のように書く習慣づけ)と合致するものであり、これら先人の言葉から現在の実践の根拠を改めて得たと言えます。また現職の教育学者との対話では、苫野一徳氏の著書タイトルに触発されて研修テーマを考える​askoma.infoなど、国語教育に限らず広く教育哲学的な示唆も取り入れています。こうした学者・先輩教師の言葉は直接引用されていなくとも、澤田氏の思考の下敷きになっており、「どんな教育が『よい』のか」「書くことの本質は何か」といった問いへの姿勢に影響を与えています。

  • 授業実践からの省察: 澤田氏自身の教室での試行錯誤も、彼の教育観を形作る重要な経験です。たとえば、かつて高校でライティング・ワークショップを導入し始めた頃、生徒同士のグループ・カンファランス(書き手同士の相談会)の手ごたえに手応えを感じ熱心に取り組んだ時期がありました​askoma.info。しかし風越学園(小中一貫校)に転じてからは、「書き手の権利10か条」の「読まれない権利」を尊重する立場から、生徒に一律に発表や相互批評を強いる場は設けず、あくまで自主的な相談に留めるという方針をとっていました​askoma.infoaskoma.info。この転換は、新たな環境で多様な子どもの気質に向き合ったことで、生徒によっては「書いたものを他人に読まれたくない」場合もあると実感したためです。澤田氏は「他の書き手と関わりたくない人にとって、グループ・カンファランスは強引に開示をせまる機会になりかねない」​askoma.infoと述べ、ワークショップ型授業の一側面に内在する課題にも向き合いました。このような現場での気づきは、彼の作文教育観に柔軟性と配慮の視点を加えることになりました。一方で2024年頃になると、再びグループ・カンファランスを見直す動きも見られます。その背景には、現在の子ども達にとって信頼できる仲間との対話が有益だとの判断や、前述の新しい文献から得た示唆があったと考えられます(※実際2025年初頭のブログで「一周回ってグループ・カンファランスに再挑戦する理由」が語られており、子ども同士が互いに**「信頼できる読み手」を得る権利**を保障したいという信念が述べられています​askoma.info)。

  • 研修講師・発信活動の経験: 澤田氏は自身の実践をブログ以外でも発信し、他者に伝える活動自体が内省を深める契機となっています。2017年には高校国語教師向けに「『よい』作文教育とは何か?」という研修講師を務め、自らの指導観の変遷やライティング・ワークショップの概要、さらに研究による裏付けを紹介しました​askoma.info。この中で強調したメッセージが「生徒に書かせる課題を教師も一緒に書くと、良いことばかり」という点です​askoma.info。実際に澤田氏は自身のブログでも、授業で課す作文課題を教師自らも書いてみることで得られる多くのメリット(課題設定の妥当性検証、生徒の苦労への共感、良いお手本の提示など)を繰り返し説いており​askoma.info、この実践を通じて教師自身が「書き手」として振る舞う大切さを確信しています。研修で他教師に語ることで、自身の信条を再確認し、さらにその後の実践にフィードバックするという好循環が生まれています。また2019年には米国の国際リテラシー学会に参加し、40年以上の指導経験を持つローラ・ロブ氏のセミナーから効果的な作文カンファランスのコツを学びました​askoma.info。ロブ氏が提唱する「巡回しながら2〜3分で済ます短いカンファランス」と「じっくり5分かけるカンファランス」の二本立ては、日本で澤田氏自身が実践してきた方法と合致し「これは僕もよくやってます」とうなずける内容でした​askoma.info。加えて、生徒ごとに助言内容を付箋に書いて渡すアイデアや、時間がかかりそうな子には予定を組んで5分間の個別相談を用意する工夫など、より計画的なカンファランス運営のヒントも得ています​askoma.info。このように国内外の教育イベントや研修で得た知見を咀嚼し、自分の方法論を微調整・強化している点も、澤田氏の特徴と言えます。

以上のように、澤田英輔氏の作文教育観は、多彩な文献による理論的支柱と、留学を含む実践経験・人との出会いによる刺激を融合させながら形成・発展してきました。次に、その変遷を時系列で整理します。

時系列による作文教育観の変遷(2014〜2024年)

  • 2014年頃:プロセス重視への転換期 – ブログ「あすこまっ!」開設当初(2014年前後)の澤田氏は、すでに作文教育においてプロセス・アプローチへの強い関心を示しています。実はそれ以前の2000年代後半からワークショップ型の実践を始めており、2009年には公開研究会向け冊子を作成するなど先駆的取り組みを行っていました​askoma.info。2014年のブログ記事では「作文教育は、書かれた作品(プロダクト)の質を直接高めるよりも、書く過程(プロセス)の質を高めることに関心を持つようになってきた」と述べ​askoma.infoaskoma.info、当時の国語教育全体の潮流および自身の指向が結果より過程を重視する方向にシフトしていることを示しています。この背景には、前述したようなワークショップ法との出会い(フレッチャーやアトウェルの理論)や、従来型の「書かせっぱなし・添削指導」への問題意識がありました。澤田氏自身、かつては小論文の添削指導に携わっていましたが、それでは「良い作文教育」と言えないのではと疑問を抱き、プロセスに踏み込む指導へと舵を切ったと語っています​askoma.info。2014年時点のブログにも、ICTを活用して生徒の書くプロセスの可視化や共有を促進するアイデア​askoma.infoが綴られており、この頃にはすでに**「書くこと」=思考過程として捉える教育観**が確立されていたことがわかります。

  • 2015年:理論と実践の融合深化 – 2015年は澤田氏が留学直前だったこともあり、理論研究と実践交流が一層活発化した年です。1月にはWriting Nextのエビデンスを紹介する連載記事を投稿し、プロセス・アプローチの有効性が統計的に裏付けられると知って自信を深めました​askoma.info。一方、5月には福井県で渡邉久暢氏の授業を見学し​askoma.info、実践家同士の交流から得る学びを享受しています。この見学で触発された澤田氏は、自らの作文観を言語化して講演する機会も得ました。「アトウェルに影響されながら自分は作文の授業をどう考えているか」を語るこの講演準備​askoma.infoを通じて、自身の教育観を整理し直す契機となったことでしょう。また同年、ブログで「ライティング・ワークショップ参考文献リスト」​askoma.infoaskoma.infoを公開しており、影響を受けた文献を読者と共有しています。そこにはアトウェルの最新著(2014年第3版)の紹介もあり、「日本語訳、出ないですかねえ…」​askoma.infoと記すほど彼女の実践を日本に紹介したいという強い思いもうかがえます。これらの動きから、2015年時点で澤田氏は理論研究の知見と現場実践の知を統合し、自分の作文教育観を発信・普及させるフェーズに入っていたといえます。

  • 2015〜2016年:英国留学と視野の拡大 – 2015年秋から2016年にかけてのエクセター大学留学期間は、澤田氏にとって実践家から研究者への目線も獲得した時期でした。留学中のブログ「留学日記」カテゴリでは、英語でのエッセイ執筆や現地での学びを詳細に記録しています。2015年末の投稿では、英語論文執筆を通じて得た「まず書いてから調べる」という発見を紹介し​askoma.info、これは自らの作文指導論を補強する新たなアイデアとなりました。また、2016年初頭の投稿では、初めて英語5,000語の課題を提出できた喜びとともに、チリ人同級生とのピア・レビュー勉強会の成功体験を語っています​askoma.info。「お互いのエッセイの質を上げたと思う」と書いている通り​askoma.info、異なる視点を持つ者同士のフィードバックによって文章が洗練されていくプロセスを実感したことは、留学がもたらした大きな収穫でした。この経験は、帰国後に日本の同僚教師や生徒たちとの協働執筆・相互添削の価値を再認識させ、「書くことは社会的行為でもある」という観点を強めたと考えられます。さらに前述の通り、休暇中にはアトウェルの学校訪問も実現し、ワークショップ教育の理想形に直接触れました​askoma.info。この訪問は澤田氏の中で理論が現実の教育空間でどう具現化するかを目の当たりにする機会であり、帰国後の実践に生きた具体例として蓄積されました。留学期間の終わりには修士論文をDistinction(最優秀)の評価で仕上げ​askoma.infoaskoma.info、エビデンスに基づく実践探求の姿勢を確固たるものにしています。総じて2015〜16年は、澤田氏の作文教育観が国内の実践知から国際的・学術的知見へと飛躍し、より客観的裏付けと普遍性を備えた段階へと発展した時期でした。

  • 2017〜2018年:実践現場での検証と発信 – 帰国後、筑波大学附属駒場高校での教員生活に復帰した澤田氏は、留学で得た知見を実践に反映しつつ、自身の考えをさらに発信していきます。2017年にはブログ上でアトウェルの In the Middle 第3版の内容紹介や考察記事を複数投稿し、得た学びを国内の教師読者と共有しました​askoma.info。また同年夏には国語教師研修の講師として招かれ、自身の作文教育観の変遷を語りつつワークショップの模擬体験を提供しています​askoma.info。この研修で強調した「教師も生徒と同じ課題文を書くべき」というメッセージ​askoma.infoは、澤田氏が現場で実際に実践し効果を確認したものです。実際ブログでも「教師が一緒に書くと良いことばかり」と断言し、そのメリットを箇条書きで示すなど​askoma.info教師=書き手というスタンスを広めることに尽力しました。同僚と共に学校内外で実践を深める動きも見られます。2018年にはエクセター留学時代の友人を訪ねて再渡英する一方、国内でも他校の授業見学記を綴るなど、校外の実践から学ぶ姿勢を継続しています。総じてこの時期、澤田氏の教育観は大きく揺らぐことなく、むしろ留学前からの理念(プロセス重視・書き手の自主性尊重)を現場で検証し、自信を持って外部へ発信できるフェーズにありました。ただし同時に、ワークショップ運営上の課題にも直面しています。例えば2017年には作文の評価方法について問われ​askoma.info、評価基準の明確化や成績との両立といったテーマに向き合いました。このことは、理想的なプロセス重視の実践と現実の評価制度とのギャップに悩み、改善を模索する姿勢もうかがわせます。とはいえ、彼の基本信条はこの頃安定しており、生徒にとって書くことが楽しく力がつく授業とは何かを追求するブレない軸が感じられます。

  • 2019〜2020年:新天地での挑戦と適応 – 2019年、澤田氏は長年勤めた高校を離れ、新設校である軽井沢風越学園の立ち上げに参加します(2019年度は準備期間、2020年4月開校)。この転身は彼の作文教育観にも微妙な変化をもたらしました。風越学園は3歳から14歳までを育てるユニークな学校で、澤田氏は主に小学5・6年生を担当することになります​kazakoshi.ed.jpkazakoshi.ed.jp。ブログ「はじまりの一週間の私的雑感」では、小学生との関わりが始まった自分を振り返り、「正直、自分には小学校の先生の適性はあまりないかも」と苦笑しつつも、子どもを子ども扱いしない姿勢(子どもに無条件の愛情を注ぐことよりも、一人の人間として接すること)を同僚に指摘され救われたエピソードを紹介しています​askoma.info。この言葉は、まさにワークショップが子どもを主体的な書き手として尊重する考え方と通底しており、新環境でも彼の信念は活きていました。ただ、教育観の調整も行われます。中高生相手とは異なり、小学生では文章量や抽象度を抑え、「まずは自由に書く楽しさを」「他者からの承認より自己表現の喜びを」という基本に立ち返る必要がありました。風越学園で澤田氏は国語の時間を従来の教科書中心ではなく「読書家の時間」「作家の時間」と名付けて展開するカリキュラム作りに関わり​asahi.comasahi.com、ワークショップ型学習を学校全体の柱に据える試みに挑戦しました。副校長の甲斐崎博史氏ら経験豊かな小学校教員と協働する中で、発達段階に応じたワークショップの工夫(例えば低学年では絵本の自作、高学年では日記的文章など量より親しみやすさ重視の題材設定)にも取り組んだと思われます。この頃、氏のブログでは「評価カンファランスの発見」や「授業見学記」などが増え、他教員との対話から学ぶ姿勢が一層前面に出ています。さらに2019年秋には前述のローラ・ロブ氏のセミナー参加​askoma.infoなど国外の最新知見の収集も続け、風越学園での実践に活かそうとしています。2020年のコロナ禍で学校がオンライン対応を迫られた際の記述はありませんが、環境の激変に際しても「書くこと」を止めない工夫(オンライン日記交換等)をした可能性があります。いずれにせよ、2019〜2020年は彼にとって新たな対象(小学生)と場で信念を検証・適用する実験期であり、その中で「子どもの自主性尊重」という核は維持しつつ、方法面では柔軟な適応が行われました。具体例がブログに残るのは、前述のグループ・カンファランスに関する方針転換です。風越学園着任後、澤田氏はしばらく意図的にグループ・カンファランス(生徒同士の作品相談の場)を設けないようにしていました​askoma.info。これは小中学生の中には人前で作文を読まれたくない子もいると配慮したためですが、この判断は生徒の内面に寄り添った教育観へと深みを増した証といえます。

  • 2021〜2022年:理念の定着と課題の模索 – 風越学園での実践が本格化する中、澤田氏の作文教育観は大きなブレなく進化を続けます。ブログ記事からは、例えば低学年からの積み上げで読書・作文習慣が根付いていく様子や、一人ひとりの子どもが「自分の物語」を書けるようになる過程への喜びが読み取れます(※具体的な年度別エントリはありませんが、風越学園関係の記事やTwitter発信でうかがえる)。一方で、この頃から自身の実践を客観視する視点もより強まったようです。2021年にはアトウェル関連の翻訳プロジェクトが進行し、彼女の理論を改めて細部まで咀嚼する機会となりました。同時期、ブログやSNSでは「文章の書き方を学校で教わるほど無個性になる問題」や「作家の時間は非・作家的な営みか?」といった問いも発信しており​mobile.twitter.comワークショップ実践の光と影について思索を深めていたことが窺えます。これは、実践が定着するにつれ見えてくる課題(例えば型にはまりすぎるリスクや、生徒がかえって「お行儀の良い作文」しか書かなくなる危険)に直面し、理念の純粋さと現実とのバランスを考え始めた段階といえます。もっとも彼の基本スタンスは揺るぎません。2022年にはブログ読者に向け「作文教育に関心がある人は僕のブログよりまず古典的名著を読むべき」と述べつつ、自身も初心に返って学び直す姿勢​askoma.infoaskoma.infoを示しています。このように、新旧の知見を統合し直す内省期ともいえるのが2021〜22年でした。現場では子どもたちの書く力が着実につき、成果も感じる一方、「本当にこれで良いのか?」という自己問い直しを繰り返し、教育観に磨きをかけていたのです。

  • 2023〜2024年:集大成と新たな展望 – この二年間は、澤田氏の10年に及ぶブログ執筆と実践の集大成ともいうべき出来事が相次ぎました。まず2023年、『イン・ザ・ミドル』第3版の日本語版(抄訳)がついに刊行され、澤田氏は吉田新一郎氏・小坂敦子氏とともに翻訳者を務めました​ncode.syosetu.com。ブログには「この本を読み始めてからちょうど10年…僕の個人史にとっても、この10年の勉強の決算となる一冊」と綴られ​ncode.syosetu.com、アトウェルへの思い入れと自身の歩みを重ね合わせています。翻訳者あとがきには、アトウェルがいかに自分の教師人生を方向づけたかを熱く記したとのことで​ncode.syosetu.com信念の原点が改めて言語化されました。また同年、澤田氏自身初の単著『君の物語が君らしく──自分をつくるライティング入門』(岩波ジュニアスタートブックス)が刊行されました​askoma.info。これは中高生向けに書くことの意義や具体的な書き方を説いた入門書ですが、タイトルに「君の物語が君らしく」とある通り、ワークショップ的な自己表現としての書くことの哲学が貫かれています。澤田氏はこの本に「自分の人生がぎゅっと詰まった」と述べ​askoma.info、執筆に3年かかった経緯や葛藤もブログで明かしました。執筆中に同僚から「書くのが苦手な子はそもそもこういう本を読まないのでは?」と指摘され、一時筆が止まったものの​askoma.info、それ自体が「読者を意識しすぎて書けなくなる現象」として本の中で論じたテーマそのものだと気づき乗り越えた​askoma.infoというエピソードは、自らの提唱する書くプロセスを自分自身で体験的に検証した興味深い出来事でした。このように2023年は、理論と実践の双方で成果を形にし、公に示した年でした。さらに2024年には、ブログ上で自身の著書の裏話を披露する中で、同僚教師の助言やジョークにも翻弄された執筆プロセスを振り返りつつ​askoma.info、「助言を聞かない勇気を持つこと」(本書p.89)など自らのメッセージを再確認しています​askoma.info。同年末には池田修氏の実践書や他の教師の実践にも触発されて、次なる改善の意欲ものぞかせました。2024年時点で、澤田氏の作文教育観は自律的な書き手を育むという一貫した理念のもと、10年間の経験知が統合された円熟期を迎えています。ただし彼の探究は終わらず、新しい知見や自分自身の停滞にも目を向けています(「もしかして自分、飽きている!? 自分の『停滞期』と『書くこと』の関係を認める。」という2024年末の記事では、自らのマンネリにも率直に向き合い、常に学び続ける決意を記しています​askoma.info)。この自己省察的な態度は、教育観を止まることなく進化させる原動力となっており、まさにアトウェルが版を重ねるごとに進化したように、澤田氏も実践者・書き手として変化し続けているのです。

以上を総括すると、澤田英輔氏の作文教育観は、米国発のライティング・ワークショップ理論との出会いを起点に形成され、英国留学での学術的研鑽と実践的体験によって裏打ちされ、国内外の教師仲間や先人からの刺激で豊かに膨らみました。その変遷は、「書くこと」を子ども一人ひとりの自己表現と成長のプロセスと捉える一貫した信念が軸にありつつ、教育環境や新知見に応じて細部を調整・深化させてきた歩みと言えるでしょう。​askoma.infoncode.syosetu.comこうした文献・人物・経験からの影響を受けつつ紡がれてきた澤田氏の実践知は、今や彼自身の発信によって次の世代の教師や生徒たちへと受け継がれ始めています。その意味で、澤田氏の10年間の軌跡は、日本における作文教育観のアップデートの歴史の一部ともなっているのです。

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