添削が効果的に機能する条件(1)

過去のこのツイートが、なんの拍子か先日からまたRTされている。350RT、500Favなので、僕のツイートの中では相当多いほう。


添削指導とは、生徒が書いた文章に教師が赤ペンで修正やコメントを加えるという、作文教育の伝統的かつ代表的な手法。ただ、添削は誰がどんな風にやっても効果があるというわけではないし、実のところ僕は、「添削上手」な指導者がコメントしても、ある条件を満たしていないとあまり有効に機能しないとさえ考えている。たぶん長文になるので、何回かのエントリに分けてその条件について考えてみたい。

でも今日はまず、添削が機能する条件の話に入る前提として、おおまかに添削指導のメリットとデメリットについてまとめておく。

一般的に添削指導とは、生徒の作文に対して教師が修正やコメントを加える指導を指す。ただし、これにはどうも「修正すべき箇所を赤ペンで指摘して正しく直す」イメージがあるけれど、「間違いを正しく直す」だけが実際の添削ではない。(これにはそもそも「正しい文章とは何か」という問題もあるのだけど、それはいったん脇に置いておこう)。実際には、良い点を積極的に見つけて褒めるのも、添削者に必要な力量である。

というのも、間違いを直しているだけでは、よほど書く動機・目的意識のある生徒を除けばモチベーションが維持できないからだ。(できれば生徒が気づいていないような)良い箇所を具体的に褒めることが、自信をつけ、モチベーションを維持する上でも必要だ。また、褒めることはその文章の良さを定着させることにもつながるのだから、その観点からも必要な指導だと思う。

添削指導の最も良い点は、なんといってもこれが個別指導であるという点だろう。文章を書くということは実はとても認知的な負荷が重い作業で

書くことはそれだけで「挑戦」

2014.10.24
しかも、その熟達度合いには個人ごとの差が大きい。だから、作文教育は理想的には個別指導でないといけない。その点をクリアしているだけでも添削指導の意義は大きい。負担が大きい中で添削指導を熱心にされている先生が全国各地にいらっしゃると思うが、ほんと頭が下がる。

しかし、添削指導には本質的な難しさもある。それは、これが基本的に「書き上げた作文」を指導の対象にするということだ。「生徒がともかくも文章を書き上げる」ことが前提の指導法なので、書く途中のプロセスで指導することができない。極端な話、「書き始めることができない」生徒に対しては、添削指導はほとんど無力である。最悪の場合、書けない生徒に向かって、「あの生徒は真面目に課題も提出しない」と反応してしまう。実際には文章は書き始めるまでが一番難しいのに、だ。

したがって、添削指導は、プロセスへの介入を意図した他の指導法と組み合わせる必要がある。また、そのような工夫をしたとしても、実は添削指導がうまくいくにはいくつかの条件がいるのではないかと思う。

それはどのような条件なのか。次回以降、ちょっとずつ考えてみたい。

添削が効果的に機能する条件(2)

2014.10.29

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