これはカンファランス・アプローチの罠? 色々書けるが時間もかかる、書き手へのフィードバック。

先週・今週と作家の作品集のコメント書きのため休日出勤。いや、考えてみたらその前も作家の作品集の印刷のため出勤してたので、3週連続で週末の休日出勤でした。うーん、ちょっと良くないリズム。でも平日はなかなかゆっくりとコメントを書く余裕がないのと、いま風越の学年あたりの人数が増えている(現在50名強)ので、どうしても前よりも時間がかかってしまう…。今日はそのコメント書きをしながら考えたことのメモを。

写真はレンゲツツジが咲き誇る湯の丸高原。つつじ祭りの真っ最中でした。

「ファンレター」ではなく「フィードバック」

前回のエントリでファンレターの話を書いたけど、僕からの子どもたちへのコメントは、「ファンレター」(作品の良いところを見つけたコメント)ではありません。ポジティブな面もネガティブな面も入れて、「ぼくからはこう見えているよ」ということを書いた「フィードバック」ですね。以前は「ファンレター」的に書いていたこともあるのだけど、例えば本人がそんなに真剣に取り組めなかった作品に対して「ここが良かったよ」と書いてもあまり意味がないなと思うようになって、作品へのファンレターというよりも、取り組みへのフィードバックが中心になってきました。

プロセスだけでも、プロダクトだけでもなく

とすると、いきおい作品の出来そのものよりも、それを書いている途中のプロセスへのコメントが多くなります。今回も、「その子の作品」「その子自身のふりかえり」「その子のカンファランスの記録」の3つをみながら、場合によっては去年との比較のために去年の作品も閲覧しながらコメントを書いたので、そりゃまあ時間もかかるわけです。

でも、先週今週とコメントを書きながら、プロセスについて書くことが必ずしも良いわけでもないな、とも思いました。途中経過を僕に見せるのを好まず、作品の質だけで勝負したい書き手もいる。一方で、出版しないことにしたのでプロセスにコメントが集中する書き手もいる。作品としてはうまく結実せずに不本意な作品になってしまったけど、勇気あるチャレンジをした書き手もいる。あと、申し訳ないことに、実を言うとプロセスを十分に見とれていなかったので、作品へのコメントにならざるをえない人もいる….。とまあ、色々な理由で、ある人はプロセス中心のコメントになり、別のある人はプロダクト中心のコメントになるのが現実です。ライティング・ワークショップは「プロセス・アプローチ」の一派だけあって、プロセスへのフィードバックをするのが王道と思われがちだけど、そしてそれは実際にそうだけど、でも必ずしもプロセス一辺倒ではない。要するに、その人次第。

カンファランス・アプローチの罠?

この「その人次第で対応を変えられる」のが、カンファランス・アプローチの強みでもあるし、罠でもあるな、と感じます。経験を積めば積むほど、たしかに書き手のことが前よりも見えるようになってくるのだけど、そのぶんこちらの打ち手の数や考える可能性も増えるので、一向に楽にならない。どころか、かえって大変になる(笑) つまり、きりがないわけです。経験が浅いうちは、こちらのコメントも正直いくつかのパターンをアレンジするに止まっていたけど、今はほぼ個に対応して書いている感じ。「どう書くとこの子が受け取りやすいかな」と、相手の書く力量や性格も考えながら、コメントのトーンも調整している。極端な場合、人によっては「この書き手はそもそも文章でのコメントが受け取りにくいから、ここで書くのはこの程度にとどめて、あとは口頭で話を聞いてみよう」みたいなことまで考えながらコメントを書くから、いきおい時間がかかってしまう。

うーん、どうなんでしょうね、これは。昔よりも書き手としての子どもたちのことがわかってきた気がするのは嬉しい一方で、さすがにこれは、ちょっと沼だぞ、キリがないぞ…なんて思いながら帰宅する日曜の午後でした…。

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