「良い書き手」が育つには「良い読者」が必要

これは直感ベースの話なのだけど、もし「文章を良くするために一番必要なもの」を選ぶなら、「良い読者の存在」と答えると思う。

文章は基本的に誰か他の人に見せるもの。この時、誰を読者に想定するかで同じ内容でも書き方がずいぶん変わってしまう。良い書き手はそのことを十分に知っていて、想定読者に応じて、一番効果的な(書く目的を達成する)書き方をする。

ただ、多くの書き手にとってその想定は難しい。だから授業中、生徒にお互いの文章を読み合わせると、「この書き方で伝わると思っていたのに、実は伝わっていなかった」ことが、あちこちで判明する。そして、ここに推敲の必要性が生まれて、ここで自分の表現に自覚的になり、練り直すことで、書き手は成長していく。つまり、そもそも書き手が成長していくサイクルには読者が必要なのだ。

では「良い読者」ってどんな読者かといえば、それはこの「書き手の成長サイクル」を上手に回してくれる読者だ、ということに他ならない。端的に言うと、書き手に「よし、頑張って次はもっと上手に書こう」と思わせてくれる読者。書き手によってその具体的な像は異なるだろうけれど、大まかにいえばこんなイメージ。

(1)書き手を安心させ、励ます
(2)書き手の文章の(本人も気づいていない)良いところを見つけられる
(3)文章の不明な点について良い質問ができる
(4)文章表現についての豊富な知識があり、それを上手に伝えられる

文章を人に読んでもらうのは緊張する。反応が気になる。自分が否定されないかと不安になる。だから、その書き手の緊張を和らげ、安心させ、最終的に次につながるように励ます。たぶんこれが一番大事なことだろう。文章の不明な点や改善点を直していくのは、重要性で言えばその次だ。書き続けていれば少しずつでも上達する。もしある文章の改善点を一度に全て指摘して「完璧な文章」にしたところで、その書き手が萎縮して自信をなくし「自分には書けない」と思ってしまったら意味はない。

良い読者は、その文章を良くするというより、もう少し長い視野にたって書き手を育てる。その文章を良くすること自体をゴールにしなければ、書き手の文章はだんだん良くなっていく。

作文教育でも、おそらく一番書き手を育てるのは「教師が良い読者になること」「生徒がお互いよい読者になること」 だと思う。そして、教師が生徒全員の相手をすることは物理的に不可能なので、理想としては「生徒がお互いよい読者になること」が最も効果的なはず。自分でさえなかなか難しいのを実感しているのに、生徒同士となると、そんなこと無理でしょという気にもなってくるけれど…。

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