読者としてのチューターの立ち位置

昨日は雨の中、いつもの勉強会。今日はロンドン大学教育大学院(Institute of Education)の一年間の修士コースに留学していた勉強仲間の報告を聞くのがメイン。

彼女の研究はライティング・センターにおけるチューターと生徒のセッションを質的分析にかけてそこの対話で何が起きているのかを論じたもの。論文を読んで話を聞くと、やはりライティング・センターのチューターという独特の立ち位置が見えて面白かった。

ライティング・センターとは、そこに生徒が様々な文章(課題であれ、プライベートな文章であれ)を持ち込んでチューターに相談するところ。理念としては、「チューターが添削や校正をする場」ではなく、「あくまで主導権は書き手にあり、チューターは書き手が考えを深める支援をする場」。アメリカの大学では数多く設置されていて、日本でも近年の大学改革で広まってきた。しかし、中高での事例はまだとても少ない。



文章上達には、まず「読者」の存在が必要だということを書いた。

「良い書き手」が育つには「良い読者」が必要

2014.10.05
学校教育を念頭に置くと、「読者」の候補として考えられるのは以下の人たちだ。

(1) 教師
(2) 生徒
(3) 地域や保護者
(4)ライティング・センターのチューター

それぞれの読者としての特性を考えると、(1)教師は、「知識があり文章指導の専門性は高い」一方で、「評価者でもあるので、生徒から文章を書く主導権を奪いやすい」「生徒全員に対応する余裕がなく、仮にフィードバックができても時間がかかる」というデメリットがある。また、(2)生徒同士で読み合う場合は、「短時間で多数の作文にフィードバックが与えられる」「読者になることが作文力の向上につながる」という大きなメリットがある一方、「クラスの人間関係が持ち込まれる」「そのことを恐れて作文を見せ合いたがらない」「専門性が低い」という欠陥もある。(3)地域や保護者の人々を巻き込めたら、学校空間とは異なる評価軸を持ち込める可能性がある。とはいえ、イベント的な関わりならともかく、日常的に生徒全員に対して、というのは現実的にコーディネートが難しいだろう。

こういうことを考えた時、(4)ライティング・センターのチューターには、

・文章指導の専門性を持っている
・「教師」とも「生徒」とも異なる「外部の人間」として生徒に関われる(生徒が作文を開示しやすく、また、対教師に比べて主導権を維持しやすい)
・日常的に生徒に関わることが可能である

という読者特性があって、これはなかなか面白い存在。

もちろん、設置と運営、チューターの研修にはかなりお金もかかるし、何より理念から言ってライティング・センターを訪れる生徒は全体からすると一部なので(もしもライティング・センターの利用を生徒に義務づけたら、チューターはただの「先生」になってしまう)、ライティング・センターを作ったからといってそれでOKということには全くならない。日常の作文指導と組み合わせることで、より大きな効果をねらう、というものになるはず。いつかうちの学校でも設置できるといいんだけどな。

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