教師も書いている風景

僕の勉強仲間の一人でもあるベテランの先生が、今年もライティング・ワークショップに取り組んでいる。

 ▷  作家の時間開始。(ディベート×演劇)

まだ授業が始まったばかりのようだけど、読んでいて、ああ、いいなあと思う。具体的に特にいいなと思うのは、

(1)その先生自身も書いていて、創作ノートを見せていること
(2)先輩生徒の作品をモデルに使っていること

の2点だ。 

 文章を書く、特にそれが創作のときに、教師が「評価者」としてあるのか、「書く先達」としてあるのかは、教室の雰囲気に決定的な違いを与えると思う。文章で表現することは、楽しい面もあるけれど、他人から評価されることへの不安も大きい。自分だけその不安から遠い安全な場所にいながら「評価者」としてふるまう教師は、たぶん、そういう生徒の不安に気づけない。教師が、自分自身が書き手としてのモデルを示しながら「上手―下手」の基準とは異なる次元で書くことを楽しんでいる書き手の姿を示すときに、はじめて安心して書ける教室が生まれる。

大切なのは「書き手」のモデルを示すことで、「モデル作品」を示すことではない。教師の文章がうまいか下手かはあまり関係がない。上手いなら上手いなりに、下手なら下手なりに、その教室にプラスの効果を及ぼす、と思う。(そして、そうでも思わないと、自分の文章を生徒に見せるのは恥ずかしい(^_^;)) 

忙しい時、アイデアが浮かばない時、色々とあるけれど、やっぱり文章を書くことを教えるのなら、自分も書いていて、書くことの力を知っていることを生徒に伝えられる、そんな人でありたいなあと思う。 自分の場合は、創作ノートを見せるところまでは恥ずかしくてまだやれてない。あれは人に見せるものではないというのを言い訳にしてるけど、次はちょっとチャレンジしてみよう。

この先生の教室では、先輩の生徒の作品をモデルとして示しているのもいい。大人の感覚と生徒の感覚って本当に違うので、大人に評価される作品が子どもの間ではあんまり、ということもけっこうある。教師の作品や実際の作家の作品よりも、先輩の作品のほうが身近な目標にもなりやすい。

最近の僕の作文課題は、図書館やウェブ上の資料探索法や引用の仕方などを教えることも兼ねているせいで、調査レポート系が多い。でも、このブログを読んで、やっぱりまた創作をやりたいなあと思った。創作は楽しいし、生徒の多くは喜んで書くから。この先生の授業、参観に行きたいな。

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