[読書]「読解力」をめぐる、アプローチの違う2冊の対話本。犬塚美輪「生きる力を身につける14歳からの読解力教室」&村上慎一「読解力を身につける」

つい最近、「読解力」についての2冊の本が出た。犬塚美輪『生きる力を身につける14歳からの読解力教室』と、村上慎一『読解力を身につける』である。どちらも「読解力」と銘打っているが切り口が全く違っていて、読み比べが面白い。

認知心理学ベースの「犬塚本」

まず、犬塚美輪さんは学芸大学で認知心理学ベースで「読解」の研究をされてきた方である(ぼくは下記の『論理的読み書きの理論と実践』を読んでいる)。

今回の本(以下、「犬塚本」と略記)も認知心理学をベースに「読むとはどういうことか」「暗記と理解はどう違うか」「読書は読解力を向上させるか」「読みの方略にはどのようなものがあるか」「メタ認知はなぜ重要か」などの話題について、犬塚先生と生徒たちの対話形式で書いている。

僕のようにライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップの実践者には、むしろ馴染み深い話題が多いかもしれない。アメリカのリーディング・ワークショップは、先生が生徒に読みの方略をはっきり教えて、生徒はそれを意識して使って…という授業展開が多いけど、この本でも「語彙のネットワークを頭に作ることが大事」「楽しんで読書することが大事」「方略を使って読むことが大事」「方略の明示的指導は効果的」などが強調されてて、それを彷彿とさせる。リーディング・ワークショップがなぜ効果的なのかを結果的に解説してくれている本でもある。

全体としては、「あとがき」で著者自身も言及している秋田喜代美「読む心・書く心」、西林克彦「わかったつもり」に並ぶような、認知心理学ベースで読むことについて解説してくれている本。あの2冊が好きな人は楽しく読めるし、国語科教員なら、犬塚本を含めたこの3冊は基礎文献として読んでおけ、くらいの本だと思う。

瑕瑾があるとすれば、冒頭で「読解力」を「説明文を理解するための力」と限っていることだろうか。これは「物語を無視するのがけしからん」という話ではなくて、この本で述べられていることの中には物語文を読む力にも繋がることがいっぱいあるはずだ、という意味。話題を説明文に限定することで、できることとできなくなっていることは何だろう、と考えてしまった。

また、これは言わずもがなのことだけど、実際に読解力を高めるには、文章をたくさん読み、その表現に沿って考えることが大事。この本は、読解力とは何か、という理論的解説はしてくれるけど、実際の文章の引用もないしそのレトリックの検討もないので、「読めば力がつく」本ではない。実際にはそのための副読本というか、読むことを教える人が知っておくべき知識、みたいな位置付けの本だろう。

国語教師の現場経験から生まれた「村上本」

一方の村上慎一「読解力を身につける」(以下「村上本」)は、長年高校で国語教師をしてきた村上さんの現場経験から生まれた本だ。前著「なぜ国語を学ぶのか」、自分でつけてる読書記録によると僕は2004年に読んでた。む、昔だ….。

今回も前著と同じく、そして犬塚本とも同じ先生と生徒の対話形式で「評論」「実用的な文章」「資料(グラフ)」「文学的な文章」というジャンルごとに、実際の例文や資料の検討を通して、読むときに大切なことが何かを語っていく。また、犬塚本と違い、村上本ではそれぞれのジャンルごとに検討すべき問題文が提示されて、それを巡って解説がされる。ここにじっくりと取り組めば、タイトル通り「読解力を身につける」本となるはずだ。

この本は、おそらく著者の現場教師としての集大成なのだろう。多くの国語科教員にとって馴染み深い「高校国語教師モード」と名付けたくなるスタンスがここにはある。「すぐに生活で役立つよりも、人生を豊かにする読解力を」という姿勢、「まずは意味段落に分けて、それから要約して…」という手順、「評論を読む力を鍛えれば、自ずと実用的な文章や資料の読解もできる」というジャンル意識…どれも、僕たち国語教師にとって懐かしささえある、語弊を恐れずにいえば「ひと昔前の」伝統的な良い国語の先生の姿そのものなのだ。

犬塚本と村上本を架橋する?

一見すると性格がかなり違う本が、同じ時期に「読解力」本として刊行される偶然が楽しい。キャラ化すれば、犬塚本は、大学院で教育心理学を学び、英語論文も読めば実践研究もする30代前半バリバリ国語科教員。村上本は、現場一筋40年くらいの定年間際の高校国語教師。そのくらいの違いがある。認知心理学をベースにした犬塚本に対して、村上本を支えるのは、著者の現場経験をもとにしてできたフォーク・セオリー(学問的経験の裏付けを持たない、個人や特定集団の経験知から紡がれる理論)である。

念のため書いておくと、「フォーク・セオリーの村上本よりも、認知心理学をベースにした犬塚本がいい」と言いたいわけでは全くない。確かに犬塚本は、学習全般を支える重要性を持つ、国語教師が知っておくべき基礎知識である。科学的知見を授業づくりに生かすのも、とても大切なことだ。

一方で、「段落分けとその要約」という実にオーソドックスな方法で読解力の育成を目指す村上本のやり方に、僕たち現場教師が学ぶところは大いにある。そして、犬塚本では触れられない「人生を豊かにする読解力」という(ピンとこない人からすれば嫌われそうな)キーワードも、僕にはやはり切り捨てられない。僕が村上本を「なつかしい」と書いたように、2000年代以降、この本に出てくる国語教師像は確実に過去のものになりつつあるし、新学習指導要領で育った世代が国語教師になる頃には、なおさら「古臭い」かもしれない。しかし、2030年代くらいの読解力をめぐる議論では、一周回ってホットになっている可能性すらある。

さしあたって興味があるのは、どちらも対話形式のこの本で先生役を務めている二人の「先生」が対話したらどうなるのだろう、ということだ。犬塚本の「先生」と、村上本の「先生」の、二人の対話。自分一人で二冊の本を行ったりきたりしながら想像して読んでいたんだけど、力不足でいまいち架橋しきれなかった。誰か興味のある人一緒にやりませんかー?

 

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