8人の著者(春日美穂・近藤裕子・坂尻彰宏・島田康行・根来麻子・堀一成・由井恭子・渡辺哲司)が集った『あらためて、ライティングの高大接続』は、大学のアカデミック・ライティング指導に関わる研究者が、高大を接続するために「新入生のライティング経験」を調べた本である。前著の『ライティングの高大接続』に続いて、地味だけどとても大切な取り組みをしている本だ。大学で書くことの指導を担当する人が最も適した読者だろうけど、高校の国語科教員が書くことの指導について考えるきっかけになる。
前著との違い、前著からの変化
タイトルに「あらためて」とあるように、本書は2017年に刊行された『ライティングの高大接続』の「続編」だ。前著も下記エントリで感想を書いたけど、良い本だった。
「あらためて」の本書の、前著との比べての特徴は以下の通り。
- 前著では優秀な大学の学生に調査対象者が限られていたが、本書ではより幅広い学力層の学生が対象になっている。
- 前著では、高校までの教科書を中心に、「何を学ぶことになっているか」を調べることに力点が置かれていたが、本書では、実際の学生の意識調査が中心になっている。
- 前著から本書までの3年間の高校のライティング指導が変化している可能性について言及している。
全体を通して、「大学でのライティング指導法を語る前に、まずは実際の新入生の状態をちゃんと把握しようよ」というスタンスなのが素晴らしい。そうそう、まずは教える相手のことを知らないと「教える」なんてできないもの。アカデミック・ライティング関連本って「書き方」本がどうしても多くなるけど、「まずは学生のことを知ろう」というスタンスのこの本は、地味だけどとても大事な仕事をしていると思う(あと、個人的には、2019年の大正大学のフォーラムでご一緒した春日先生や由井先生の調査もまとまっていたのも嬉しかった)。
僕はいま小中の現場にいるけど、例えば中学校の先生が、小学校で子供達が書くことについて何を学んでいるのかを知る機会って、なかなかない。中学校まででこういうことをしましたよと高校に伝えることも難しい。それを知らないままに、肌感覚だけで「書く力が落ちている」とか「こんなことも知らない」とかいうのは、他の現場に対しても生徒に対してもとても失礼だ。そう考えると、『ライティングの小中接続』『ライティングの中高接続』本も必要だなあ…と思った。
また、内容で一番面白かったのは、学生のアンケート調査を通じて、高校でのカリキュラムが変化しつつあることが読み取れること。学習指導要領の変化を受けてというよりは、大学入試で記述式の導入が喧伝された影響との見方が妥当そうだけど、少しずつ、でも多分確実に、高校での書くことの指導が充実しつつある手応えを感じ取れるデータが並ぶ(詳しくは本書を読んでください)。今後、高校で新学習指導要領が実施されて、70時間中30〜40時間が「書くこと」に配当される『現代の国語』が実施されると、また、大きく変わるんじゃないだろうか。この調査、その意味でもぜひ継続的に続けて欲しい。
「高大接続」の時に気をつけたいこと
同時に、この本を読みながら、別のことも考えた。簡単に言えば、書くことの高大連携を「アカデミック・ライティングの充実」という視点だけで捉えると、取りこぼしがあるよなあ、ということだ。
当たり前だけど、中等教育までの「書くこと」指導は大学の下請けではないし(そもそも、大学進学率は半分強に過ぎない)、アカデミック・ライティングも書くことの多様なジャンルの一つに過ぎない。高校までの書くこと指導のゴールがアカデミック・ライティングではないし、高校でアカデミック・ライティングの真似事をすれば「良い実践」になるわけでもない。
また、別の視点で捉えれば、大学生の実際の「書くこと」の生活も、必ずしもアカデミック・ライティング(レポートや論文)で完結しないはずだ。社会生活が拡大する彼らは、レポートや論文以外にも様々な種類の文章を読み書きし、時にはその契約に自分で責任を持つようになる。また、自己表現として様々なジャンルの書くことに手を伸ばす人も少数ながらいるだろう。もちろん、どこまでを高校や大学の授業で扱う領分にするかは当然議論はある(何しろ時間は有限だ)。でも、個人的には、そういう言語生活者としての大学生の姿まで視野に入れた「高大連携」であって欲しい。
上記の点を踏まえた上で、高大連携の観点から、中等教育までの書くことの指導がどうあるべきかを考える必要がある。もちろん、一般的な論理的な文章の書き方も引用の仕方も中等教育で一度は経験するべきだ。それができていなかったら、まず、ちゃんとしよう。その前提で、他のジャンルの書くこともたっぷり経験して欲しいなと思う。個人的には、大学では書く機会がほとんどなくなる物語や詩歌やエッセイは中等教育までで経験して欲しいし、大学生の生活に関わる実用文も、できるだけ真正に近い文脈で書く経験ができると良いと思う(後者は『現代の国語』でけっこうでき流のかも?)。そして、おそらく一番大事なのは、ジャンル意識を超えて、書くことについてのプロセスの指導(特に、「書くことがない」状態から書くことを見つけるまでのプロセスの指導)を丁寧にすることなのだろう。書くプロセスの理解ができれば、大学でアカデミック・ライティングという新しいジャンルに出会ったところで、その書き方を教われば書けるようになるはずだから。前期中等教育(中学校)の国語科教員として、そこは最低限頑張って、高校や大学の先生たちに「後はお願いします」と引き継いでいきたい。
大学新入生の書くことの実態をちゃんと踏まえた上で、高校までの中等教育の書くこと指導のあり方まで考えさせてくれる本である。地味だけど、とても大事な研究だと思う。数年後にまた続編が出ることを期待したい。
著者#8の渡辺です。拙著の刊行意図を的確にとらえた上でのsupportiveなコメント、まことに有難うございます。お世辞でも嬉しいものです。
3回も出現する「地味だけど」には少し引っかかりましたが、一呼吸おいて、それも自分らしいと思い直しました。そもそも自分が書中で同じ語を使っています(p. 165)し、振り返れば、かつてバスケットボールのいんちきコーチだった頃も、まともに教えられたのは堅牢な「マンツーマン・ディフェンス」と、そのためのフットワークぐらいでした。いまの仕事(本業)もまさに”縁の下”。私の為すこと、いかにも地味です。
「中等教育までの『書くこと』指導は大学の下請けではない」と仰るのは、まことそのとおりだと思います。そして、実は私自身(とうに大学教師ではないし)、徐々に〈高大接続〉から手を引き始めています。そちらはより多くの、なるべく若いリーダーたちの手に委ねていこうと(もとより、一人が持つ力や時間ではどうにもなりませんし)。
ただし、一方で〈高大接続〉は議論のためのよい足場でもあります。そのため、そこに多くの人の耳目を集め、ゆくゆくは日本の言語技術(「書くこと」だけに限らぬ言葉の)教育をよりよい形に発展させ、次代へと引き継いでいくようにしたい――と目論んでいます。
そんな感じですから、これからご一緒に(ゆるりと連携しながら)やってまいりまんせんか。