今年度はなかなか充実したスタート!2024年4月の読書生活。

月はじめ恒例の前月の読書エントリ。2024年4月はあわただしい中にも、けっこう記憶に残る本との出会いがあって、なかなかよかったんじゃないかと思う。では、さっそく行ってみよう!

目次

今月「ベスト」はやっぱりこの本!

今月、いちばんの思い入れを持って読んだ本は、やはり澤田英輔『君の物語が君らしく 自分をつくるライティング入門』です(笑)。むかし、作家の佐藤紅緑が、自分が書いた『あゝ玉杯に花受けて』を「面白い、実に面白い。傑作だ」と涙を流しながら読んだというエピソードを聞いたことがあるけど(真偽は不明)、実際に本を出した人って、完成した本をまた丁寧に読むか、わかってるしもう読まないか、どちらなんでしょう? 僕は前者のタイプでした。

自分なりに頑張ってつくった本だから、「いい本だなあ」と思って読みましたよ、ええ。ただ、他の人がどう読んでくれたか気になるし、やっぱり多くの人に手にとって読んでほしいので、Amazon、ブログ、note、SNSなどでのレビューをお待ちしています。読んでくださった方、ぜひ! 未読の方は、連休後半の読書の候補に加えてやってください。

安房直子コレクション、ついに読了。

4月、もうひとつ大きなトピックは、昨秋から読み続けてきた安房直子コレクションが、安房直子『安房直子コレクション7 めぐる季節の話』をもって読了したこと。「花豆の煮えるまで」シリーズの作品も素敵だけど、一番安房直子らしさを感じさせるのは「緑のスキップ」。桜の花びらがちるのをなんとかふせごうと、みみずくが夜も寝ずにその木の番人をするお話で、絶対に最後は失敗するのがわかるだけに、それでも運命に逆らえない人の業のようなものを感じてしまう。「エプロンをかけためんどり」も、タイトルはちょっとユーモラスながら、めんどりの魔力に子どもたちが惹かれて、亡き母のことを忘れて懐いてしまうことに対する父親のいらだちや、めんどりを殺してしまおうとする気持ちもとてもよくわかる。やっぱり、僕はこういう作品群に惹かれてしまうな。

全7巻を読み終えて、安房直子の作品群、ほんとうによかった。小学校中学年の頃に読んだ「青い花」の印象だけが、作者の名前もわからないまま残っていたけれど、40代も後半になって僕の人生で再会できてよかった作家だった。こういう読書体験があるよってことを、子どもたちにも伝えていきたい。

物語つながりで言うと、今月はマイケル・モーパーゴ『西の果ての白馬』も読んだ。御年80歳を超えるモーパーゴの新刊で、コーンウォールのゼナーという実在の村を舞台にした連作短編集。いずれも、人間と異類の者の交流を描いた話だが、少女アニーが、小人ノッカーに借りた白馬との交流を描いた「西の果ての白馬」、足の悪い少年ウィリアムがアザラシとともに生きることを選ぶ「アザラシと泳いだ少年」などが印象に残る。描写の美しさと、全てがハッピーエンドと言い切れない結末に、なんとなく安房直子と通じるものを感じる良作。

川原礫『ソードアート・オンライン アインクラッド』は、高1息子のおすすめで読んだシリーズ第1作。電子世界の中にある巨大浮遊城「アインクラッド」にとじこめられ、クリアするまで脱出不可能のMMO、ソードアートオンラインの中で活躍する二刀流のソロプレイヤー・キリトとレイピアの名手・女流剣士アスナがパ^ティーを組み、最上階を目指す物語。ゲーム感覚が満載で、電撃文庫でNo.1の人気があったのも頷ける。物語の後半でもまだ75階だったので、続きは2巻かな..と思っていたらそのあとの急展開にびっくり。現実

「褒める子育ての時代」の問題とその処方箋

すでに独立したレビューをたてているので、ここではさらっと扱うが、藪下遊/髙坂康雅『「叱らない」が子どもを苦しめる』は、出会えてよかったと心底思える名著である。さっそく職場の同僚にも貸している。「褒める子育て」が正解とされている現代において、どんな困難が子どもに生じて、それにどう向き合えばいいかを、スクールカウンセラーである著者が論じている。

すでにベストセラーとなっているが、同じくちくまプリマー新書から出ているベストセラーの鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』と同様に、現代の子育ての処方箋になる一冊だ。

[読書]ネガティブな感情に向き合える子をどう育てるか?藪下遊/髙坂康雅『「叱らない」が子どもを苦しめる』

2024.04.15

国語系では『国語を楽しく』を再読

国語の授業系では、首藤久義『国語を楽しく』を再読した。4月は首藤先生がオンライン勉強会でナンシー・アトウェルの『イン・ザ・ミドル』(ただし翻訳した版ではなく、第2版)をとりあげて国語教育論を語る会があり、そのために再読したもの。

生活に根ざしてその子が楽しく活動できるものに国語を紐づけて学んでいくという基本姿勢は、風越のマイプロジェクトやテーマプロジェクトの中での言葉の学びを考える上でも、とても参考になる。こちらの読み方が変わったのか、前に読んだときよりも、この本がとてもラディカルで射程の広い本だということが強く感じられた。しかし「国語を楽しく」というタイトルは、本書の性格を一言で言い当ててはいるものの、提言の内容からすれば穏当すぎるタイトルでもある。「すべてを国語に」とか、あるいは逆に「国語解体論」とか名づけてもいけたのではないか。

なお、僕はおおまかには首藤さんと近い考え方なのだが、首藤さんからすると「余計なおせっかい」をたくさんしているはずだ。一方で僕からすると、首藤さんの論は「できる子はそれでいいでしょうね」と思うところがある。「自然な読み書き」を重んじる首藤さんの論は「できない子はできないままでいい」と表裏一体だと思うが(実際それに近いことをおっしゃっていた)、僕はまだそう思えてはいない、ということだ。

国語関係だと、杉山亮『朝の連続小説』も読んだ。もう20年前の本だが、毎朝やる小説の読み聞かせを、読み聞かせと呼ばずに連続小説と呼ぶのが良いな。杉山亮の言葉の後に実践者の報告が続く。杉山亮『青空晴之助』『窓際のトットちゃん』『ルドルフとイッパイアッテナ』あたりが連続小説にむいているみたい。読書家の時間の読み聞かせ、今年は絵本じゃなくて、連続小説形式にしてもいいかも、と思った。

もう一冊、細谷功『13歳から鍛える具体と抽象』はとてもよかった。具体的事物を抽象化して行ったり来たりするトレーニング本なんだけど、それができる能力がなぜ大事なのかを語る時の比喩が秀逸。こういう比喩なら中高生にも届くと思う。そこが授業の参考にもなるので、手元に置いておきたい本だ。高1息子にも「たぶんあなたならすでにわかってることだけど、よく整理されてるから読んでみるといいよ」とおすすめしてしまった。

それにしても、具体と抽象をいったりきたりするトレーニングって、まさに国語の扱う領域そのもの。授業でもやっている人もいるだろう。国語教師じゃない人によってこの本が書かれてベストセラーになっているのは、ちょっぴり自分たちのふがいなさを感じる瞬間でもある。

ツアー登山の危険は、学校登山の危険でもある?

最後に今月の山読書からの一冊は、羽根田治・飯田肇・金田正樹・山本正嘉『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』羽根田治『十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕』以降、僕は羽根田さんの関わる遭難ものは信頼感を持って手にとっている。その『十大事故』本でも取り扱われた2009年のトムラウシ山縦走登山ツアーの遭難事故を取り扱ったのが本書である(出版の順番としてはトムラウシ山のほうが先だ)。

ガイドを含めた参加者18名のうち8名が亡くなったこのツアー、本書では証言をもとに遭難の過程を再現したドキュメント、生き残ったガイドの証言、低体温症や運動生理学の解説をまじえて、色々な角度からこの事故に迫っている。34℃が回復の境目になる低体温症のリスクは、この本を読むまでよくわからなかったと思う。なんと、最短で、症状が出てから2時間で死亡しているとは…。いったん低体温症にかかると判断力から鈍り始めるから、自分が低体温症にかかっていることが本人にわからなくなってしまうのが最大の怖さ。とにかく、体温が奪われる仕組み(対流、伝導、蒸発、放射)を知って、自分の体温を守るしかないと実感した本だ。やっぱり山は一歩間違えると命取りだなあ…。

学校登山のリスク

羽根田さんは本書の中で、本来は「自己責任」が原則の登山が、ツアーになることで「他人任せ」になってしまうことの危険に強く警鐘を鳴らしている。そして、学校教員として考えてしまうのは、このリスクが学校登山にもそのままあてはまることだ。登山の専門家でもなんでもない数名の教員が、ときには100名を超える生徒を引率して山にのぼる学校登山のリスクの大きさは、自分も初心者ながら山に登るようになってから実感したことだ。「登山大国」長野県も、コロナをきかっけに「学校登山」の伝統が急速に薄れつつあり、「学校登山の伝統を守ろう」という声も聞こえるが、個人的には素人の引率でそんなに大人数で行くものではないと思う。

とまあ、いろんな方面でわりと充実した読書ができた4月だったと思う。5月はどんな読書生活になるかな、楽しみだ!

 

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