教師として成長するための大切な視点。授業づくりネットワーク軽井沢集会に参加して。

先週の日曜日7/14、軽井沢中央公民館で開かれた授業づくりネットワーク軽井沢集会にゲスト参加した。他の登壇者は授業づくりネットワーク理事で軽井沢風越学園所属の片岡利允さん、同じく風越学園の井上太智さん、それに僕の風越学園のメンバー3名に加えて、授業づくりネットワーク理事長の石川晋さん。集会の内容は自分の教師としての歩みを振り返りつつ、教師教育の観点から自分の経験を語るというもの。この集会、終了後の登壇者での飲み会も含めて、教師の成長についていくつか大事な視点をもらえた。断片的だけど、メモしておきたい。

写真は会場そばにある長倉公園。木立がたくさんある素敵な公園です。

リフレクションに伴走者が必要な理由

石川晋さんは、現在、全国各地の学校をめぐりながら個人や学校単位でのふりかえりに伴走している立場。もうすぐその経験をまとめた本も出版される。そんな石川さんと話していると、リフレクションに伴走者がいることの意味を改めて考えしまう。教師の成長にはリフレクションが不可欠。でも、僕自身が経験しているのは、リフレクションを自分一人で書いて(話して)いると、視野が狭くなって、ポジティブな方向にもネガティブな方向にも「安定」してしまうということ。少なくとも僕って、どんな形であれ「安定」を作り出したいんだなと思う。

だから、リフレクションを他の人に読んでもらったり、コメントしてもらったりすることの価値は、自分の葛藤を解消することにではなく、葛藤を作り出すところにあるのだろう。

教室を複数の目で見ることの意味

また、僕は石川晋さんと、同じく風越学園の井上太智さんの理科の授業や、甲斐利恵子先生の授業を一緒に参観して、多くのことを学ばせてもらっている。石川さんと僕の間には歴然とした見る目の「差」があって、それを実感させられたのだ。

どんな「差」があったかについては、下記エントリ参照。井上さんとその後同僚になるとは、この時点では夢にも思わず…

「今日、何します?」からはじまる授業。井上太智さんの授業見学記。

2018.07.20

貴重な経験でした。甲斐利恵子先生の授業を、石川晋さんと一緒に見る。

2019.01.15

この日の集会ではこの時の経験を思い出して、やはり「授業の良さを見抜く目」の重要さや、他の人と一緒に授業を見て、それを教わることの大切さを改めて思い出した。良さを見抜く目がないと、「一斉授業だから良くない」「アクティブ・ラーニング型だから良い」のような、愚にもつかないことを言ってしまう。そして、その「良さを見抜く目」はある程度は訓練可能なのだと思うし、思いたい。

実際問題として、授業を見る時の解像度が高い人(=石川さん)とそうでない人(=僕)は確実にいる。そして同時に、いくら解像度が高い人でも、その人の見る風景はその人のレンズでトリミングされてしまうから、全てを見ることはできない。だから異なる見方を他の人が持ち込むことで、授業の全体像により近づくことができる。そこにも複数で見ることの意義はあるのだ。

モデルを目指すか、自分から出発するか

ナンバー1を目指す実践者は、敵を作る。僕は40代の半ば頃から、ナンバー2で良いと思っていたから、可愛がってもらえた」と、集会後の飲み会で石川さんが述べていたのも印象に残った。石川さん曰く、僕はナンバー1を目指すタイプらしい。

僕には、他の人と比較して1番になりたい欲望はあまりないと思う(そもそも教育のナンバー1ってなんだ?)のだけど、一方で確かにナンシー・アトウェルのような優れたモデルを追いかけて学びたくなる欲望が強くある。アトウェルと同じ景色を見てみたい気持ちもある。そういう意味で、やっぱりナンバー1を目指すタイプなのかな。

このあたり、片岡さんが、「どんなにすごい人に出会っても、その人の真似をしたいとは思わない」とおっしゃっていたのとは対照的。片岡さんは、あくまで自分自身から授業を出発させたいタイプ。僕は、優れた先達に学びながら、実践史の流れのどこかに自分の身を置きたいタイプ。こういう違いは面白いなと思う。

ちなみに「ナンバー2でいい」とおっしゃっていた石川さん。同時に、「けれど凡百の教師で良いなんて思っていなかった。だから、たくさん読んだし書いた。そんなの当たり前のことだろ?」とおっしゃっていたのも、矜持がうかがえて印象深かった。矜持。いつまでも持ち続けていたい。

国語教師として成長するために、必要なのは何だろう?

僕はこの春からの生活環境の変化や小学校免許のための勉強で、それまで通りのことができなくなった。それでいくつか苦い思いも抱えている。それについて石川さんに話すと、「読書しないと成長できないという考えを手放してみたら?」という趣旨のことを言われたのも印象に残っている。実際問題として、読書をやめたら国語教師は終わりだと思うけど、現場も対象にする子どもの年齢も変わった僕がこれまでのやり方をそのまま続けるのが無理な以上、国語教師として成長するためには、どこかでアプローチを変える必要はあるな。それはさてなんだろう?

そう思ってしばらくあれこれ考えているのが、「教室内の人間関係にアプローチすることの是非」だ。僕自身は、教室内の人間関係を意図的にある方向に誘導したり、人間関係を使って何かしようとすることへの忌避感がとても強い。だから、例えばリーディング・ワークショップやライティング・ワークショップの授業でも、「学び合う集団づくり」の視点は僕にはない。この辺の問題をどうするのか、もうちょっと考えを進めていかないといけないな、と思っている。それはいつかまた別のエントリで。

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