[読書]石井英真『今求められる学力と学びとは―コンピテンシー・ベースのカリキュラムの光と影』

前にこのブログでも触れたことのある、日本標準ブックレットの100ページほどの薄い本。薄い本だが、内容は充実している。 コンピテンシー・ベースのカリキュラムについて、その理念や具体的な実践方法だけでなく、批判的側面についても言及しているバランスの良さが印象的だ。

 

思考スキルを直接教えることは思考スキルの育成につながるか?

2015.06.11


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上のエントリで引用した部分以外にも、個人的にメモしておきたい部分をいくつか抜粋しておく。

知識経済を勝ち抜く「グローバル人材」をめざすのか、経済成長がもたらす社会問題や環境問題などに「自分ごと」として取り組む「地球市民」を目指すのかに寄って、資質・能力やコンピテンシーの中身が大きく異なってくる点には注意が必要です。コンピテンシー・ベースのカリキュラムを構想する際には、こうした矛盾する社会像や人間像の間で、どのような方向性をめざすのか、そうした価値的な問いと向き合うことが求められます。
また、大人社会でたとえばICTの活用や異質な他者との対話による創造等が求められるからといって、学校教育のすべての場面すべての段階でそれらを強調するという短絡的な思考に陥らないことも必要です。大人社会の「実力」要求がそのまま学校教育で育むべき「学力」像となるわけではないのです。 (p18)


学校教育でやるべきこと。大人のミニチュアではない、子ども時代の意味。そういう理念的な問いを忘れてはならないということ。

教科指導における「真正の学習」の追求は、「教科を学ぶ(learn about a subject)」授業と対比されるところの、「教科する(do a subject)」授業(知識・技能が実生活で生かされている場面や、その領域の専門家が知を探究する過程を追体験し、「教科の本質」をともに深め合う授業)を創造することと理解すべきでしょう。
思考したり、実践したり、表現したりすることは、実際にやってみないと伸びて行きません。故に、「教科する」授業を創るには、まず学習の主導権を子ども自身に委ね、活動的で共同的な学びのプロセスを組織することが必要です。 (pp39-40)

アクティブ・ラーニングはこういう理念の問題であって、ペアワークやグループ発表などの方法の問題ではないのだと思う。

正答主義の学習観を組み替えるには、教師と教科書を中心とした関係性を崩し、子どもと教師が共に教材(対象世界)と向かい合い、真理を共同追究する(子どもとともに教師も「教科する」)関係性を構築する工夫が必要です。たとえば、先述の「江戸図屏風」の例のように、教師の正答で授業を終えない。正答を教師が最初に示してその解説を考えさせる(正答から授業をはじめる)。そもそも正答がない問題を提示する。あるいは、正答かどうかでなくそこに至るプロセスの発想力や説得力を評価する問題をテストに出してみることも、子供たちの正答主義をゆさぶるきっかけになるでしょう。(p44)

これもまたよくわかる話だ。特に国語の授業では「正答主義」の推理ゲームになってしまうといったい何のために小説を読んだりしているのかわからなくなるので、意識しなくてはいけない。しかし、実際に授業をしたり、テストを作って実施する段になると、なかなか悩ましいところもある。この話題はいずれまた別の箇所で書いてみたい。

授業や学習の中に埋め込まれることで、パフォーマンス課題は、評価課題であると同時に学習課題でもあるという二重性を帯びる事になります。学習課題としての性格を強調すると、作品制作過程での教師の指導、子どもたち同士の共同を重視することになります。しかしそうすると、課題に対するパフォーマンスは、個人に力がついたことの証明とはなりにくいという問題が生じます。この点に関しては、たとえば、大学の卒業論文の評価において、口頭試問が行われるように、「作品の共同制作+個々人による作品解説」、「共同での作品発表+(作品発表に対するフィードバックをふまえた)個々人による改訂版の作成」といった具合に、共同作業と個人作業の両面を保障することで、評価課題と学習課題のバランスをとることができるでしょう。 (p69)


この実践的な助言もありがたい。実際、グループ課題をさせた時にそれをどう評価するかということは大きな問題だ。これを「グループメンバー一律に評価」ということになると、個人のパフォーマンスをはかることにならないし、次のエントリで書いたような社会的手抜きも誘発する。共同作業と個人作業を組み合わせることが大事なのだと思う。

 

[読書]釘原直樹『人はなぜ集団になると怠けるのか』

2015.07.02

学ぶことの多い本である。同僚が、校内での教員有志読書会を企画していて、その第一弾の本としてこれを考えてる。9月予定なので残念ながら僕は参加出来ないけど、うまくいくといいな。この本をきっかけに、お互いの教育観や授業について話が広がればいい。

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