雑誌『日本語学』3月号に「『書けない』生徒が増えている」という特集が組まれています。このタイトルは難ありですが、問題意識はわかるし、参考になる実践事例が多く載っているので、メモとしてここに書き残し、お薦めします。
最初に断っておくと、この特集のタイトルには僕は批判的です。何を以て「書けない」と定義するのかはいったん置くとしても、そもそも「書けない」生徒が増えているという特集の前提となる事実が論証されていないか、あるいは著しく不充分だと思いました。
目次
「書けない」生徒は増えているのか?
僕の知る範囲では、日本の国語教育の文脈での書くことに関する大規模な調査はそう多くありません。古いものでは、国立国語研究所の報告『児童の表現力と作文』(1978年)に小学生の文章表現力テストや作文指導の時間についての実態調査があり、新しいものでは、日本国語教育学会の研究部門が行なった試験的全国調査「『書くこと』の指導と評価」があるくらいでしょうか。
国立国語研究所『児童の表現力と作文』
http://db3.ninjal.ac.jp/publication_db/item.php?id=100170063
他では、渡辺哲司・島田康行『ライティングの高大接続』では、著者のお二人が大学生に高校までの書く経験を尋ねた調査を行なっています。
他にも、大正大学など各大学での初年次教育で新入生を対象にした調査はあるようですが(大正大学については、下記リンク先のフォーラムで発表される予定です)、生徒の書く力の変化や書くことの授業の実態に関する大規模な長期的研究を、僕はまだ知りません(ここまで書いておいてアレですが、僕が知らないだけというオチはあり得ます。不勉強でごめんなさい…)。
この特集ではどう述べているのか?
この特集では、田中宏幸先生が、国立教育政策研究所の2006年度「特定の課題に関する調査(国語)」の「長文記述に関する調査結果」や、近年の全国学力・学習状況調査を引きながら「状況は一層深刻化していると言わざるを得ない」(p8)と書かれています。ただ、この二つはそもそもが違う調査ですので、両者の比較から「『書けない』生徒が増えている」というのは苦しい….と感じました(田中先生もそれはご承知のような書きぶりですが)。
特定の課題に関する調査(国語)調査結果(小学校・中学校)
また、この特集の巻頭論文に当たる位置付けの高木展郎「書けない生徒が増えている」には、「今日、学校教育の中で「書くこと」の時間や場面が減っている」(p2)とありますが、これも、どのような調査が根拠で書くことの時間が減っていると言えるのか不明瞭なままでした。実際に書けない生徒が増えているのかどうか、書くことの授業時間が減っているのかどうか、この調査は容易ではないはずです。こういう大切な点の立証が不十分なままで特集が組まれている点は残念でした。
「書ける」への具体的なアプローチ
ここまでは特集題に関する苦言が続きました。でも、基本的にここに収められている実践論文の数々は、とても面白く読みました。著者の多くに通底している問題意識は「書けない」生徒とは、いったい何が、なぜ「書けない」のかという問いです。そして、書けない生徒を「書ける」に繋げる具体的なアプローチが書かれています。
「安心できる場」から「書ける」へ
まずはお世話になっている甲斐先生の、甲斐利恵子「中学校入門期における『描写』を学ぶ指導」。何と言っても甲斐先生がご自身の教室を再現して書いているのが特徴ですが、その折々に挟まれた次のような言葉に、つい頷いてしまいます。
……「書ける」主体の中にはある種の精神の揺れや高まりが存在するのであるし、表現する以上、それを受容してくれる場への信頼感や安心感があった方が良い。中学に入学して新しい環境に身を置いている彼らは見た目よりずっと緊張しているし、他人の目に映る自分の評価を気にしている。国語教室は、そういう絡まった気持ちを解きほぐしながら、目の前のことに夢中になっているうちに、自分の中にある表現欲に気づいたり、友達の発想力のすごさに素直に驚いたりする場所だということに慣れて欲しいと思っている。「安心できる学びの場づくり」が入門期にとってはもっとも優先されるべき課題だと考えている
「学びの場づくり」「安心・安全な環境」とは、よく小学校の先生から聞かれる言葉ですが、中学校以降も「学びの場づくり」を「もっとも優先されるべき課題」だとする甲斐先生の言葉は、「書けない」問題を考える上でも示唆的です。僕がまだできていないところでもあります。
甲斐先生の授業は、「安心できる学びの場づくり」をする仕掛けに満ち満ちています。例えば、甲斐先生の授業を見て「ああ、自分はこれはやっていないなあ」と思うのが、「優れたものを共有する」のではなく、「生徒全員ぶんを、一人も欠けずに共有する」こと。この論考でも40人近くの生徒が自分の書く題材を発表する場面があります。「時間がかかるから、良い作品だけでも良いのでは…」のように思えても、安心できる学びの場づくりをする上で、「全員が」発表することに大きな意義があるのでしょうね。
また、甲斐先生の文章指導の特徴に、ナンシー・アトウェルと同じ、生徒一人一人との「カンファランス」(対話)がありますが、甲斐先生はこれも「安心できる教室」づくりと関連して把握していました。
僕は、カンファランスをこの側面からは考えていなかったので、「なるほど!」でした。甲斐先生の論考は、一つの単元の流れを丸ごと書いて、しかも生徒達の発話まで再現している箇所があるので、甲斐先生の実践について知る良い手がかりにもなると思います。このときの対話があるから、子ども達の文章を見たときにすぐに内容がつかめる。手直しするときも子ども達の思いを大事にできる。力の具合も把握できて直すときの方向性も見えてくる。「安心できる教室」はこうやって子ども達を知ろうとすることから生まれてくるのではないかと思う。
「子どもの実態」から「書ける」へ
吉川芳則「書くことの実態を踏まえる、つまずきを取り除く」には、いまの子どもたちが「書けない」(と大人から言われてしまう)背景に「書き言葉」からSNSを中心にした「打ち言葉」への移行を見ています(「打ち言葉」については下記エントリを参照)。
そして、打ち言葉での「書く」場の特性を以下のような特徴に見て、こうした特徴を反映した書くことの指導として、深谷純一「カキナーレ」を紹介しています。こういう「実態から始める」アプローチは大変勉強になります。
- 身構えずに気軽に書いていること
- 気軽に書くための環境(ハード)が身近にあること
- 規範的な文体にこだわらないこと
- 手軽で簡便な評価システムがあること
- 相手意識を明確にした書く場であること
- 書くことが必要な状況が設定されていること
深谷純一さんの実践「カキナーレ」は、書き慣れることを目標にしたフリー・ライティングの実践。どことなく妹尾和弘さんの「今、ここで」実践を想起させますが、創作・虚構を認めて遊びの要素を高めているのが特徴でしょうか。
僕も去年ジャーナルで似たようなことをやったので、こういう「書き慣れ」の大切さは感じています。ただ、あれはさすがに大変すぎて、一年間頑張って、今年はやめちゃいました。きっと深谷先生もとても手間をかけられたのだろうなあ…(遠い目)。
「子どもの実態から始める」問題意識は、稲崎由依「生徒の『書くこと』に対する思いにどう応えるか」にも見られました。そもそも「書けない」問題の背景に読解主義(正解主義)の弊害を見たり、「簡潔に伝える」ことが良しとされるSNS普及によるコードの変化をあげており、「書けない」原因が子ども内部にあるという見方を排しています。そこから、詳述に慣れていない現代の子どもたちが「書き慣れる」ためにどういう手立てが考えられるかを提案しています。ここでも、書くことへの抵抗感を減らすために「思ったことを言っていい、書いていい環境づくり」がまず挙げられていました。甲斐先生と同じですね。
「読む活動」から「書ける」へ
深澤公貴「作文嫌いから一歩前に進めるための実践」も、とても印象的な実践論文でした。表現するための語彙をいかに獲得するか、という観点で書かれた実践。そして、そのために「読むこと」をとても重視されています。しかも、その語彙の獲得を、本の一部を引用してのポップづくりや、図版や写真集などの「美しさを訴える本」の視点の説明など、学校図書館の活動と関連づけているのが僕好みでした。
読書活動も重視しているのですが、一冊の絵本(『としょかんねずみ』)に出てくる架空の絵本を実際に作って小学校にプレゼントする素敵な創作の授業もされてて、これは「うわー、いいなー、やってみたい!」の一言。僕は存じ上げなかった方なのですけど、静岡市立美和中学校の先生。こういう先生がリーディング・ワークショップやライティング・ワークショップを展開されたら、きっと素晴らしい成果をあげるだろうなと思ってしまうほどでした。
高大接続の「書くこと」について
最後の立和名猛(たちわな・たけし)「高等学校における「書くこと」の実際と指導の工夫」は、高大連携意識の高まりの中で、論理的文章が書けるようになることが求められている高校現場の状況がよくわかる論考。そして、
「書けない」生徒は「対象を明確にできない」「向き合い考える方法を知らない」「向き合い考え続けることができない」という問題がまず先立つのではないかと思う
という認識を示し、その状況への対応として、新書を活用した読書指導や教科書を使った書くことの指導などが報告されています。こうした取り組みはオリジナリティの高い深澤実践とは対照的ですが、良い意味で標準的と思えるものでした。
また、この論考の中で立和名氏も一人一人の生徒を見取り、見極め、その良いところを評価によってより伸ばそうとする「助言」「アドバイス」に関わる視点が、書くことの指導においてとりわけ大切と述べていたのが、個人的には興味深く感じました。この「助言」はライティング・ワークショップの肝であるカンファランスのことですが、ライティング・ワークショップとはまるで異なる文脈でも同じ視点が出てくるのは面白いものですね。
読み応えのある特集です!
「書けない」子が「書ける」ようになるために何をすべきか。もし僕が付け加えるとしたら、「題材を指定しない」「自由を与える(選択肢を持たせる)」「作者の権利10か条を尊重する」「教師も書く」(これは甲斐先生の論考では触れられてましたね)とか、その辺になるでしょうか。
でも、この特集で提案されているアプローチも、もともと大事だよなあと思っていたことも多くあって、参考になりました。というわけで、最初にタイトルには文句を言いましたが、内容には結構満足。読み応えのある論考が並んでいます。興味のある方は是非読んでみてください。