[読書]高校での「書くこと」の教科書での取り扱いと実態がわかる。渡辺啓司、島田康行「ライティングの高大接続」

高校の教科書や授業では、書くことがどのように取り扱われているの? そういう実態調査は、意外に数が少ないもの。この『ライティングの高大接続』は、「高校生までの間に、いったいどんな書くことの学習をしてきているのか?」「高校での教育や入試を踏まえて、大学での書くことの教育はどのようにすれば良いか?」という問いに貫かれた本。著者がお二人とも大学の先生だけに問題意識はやや大学寄りだけど、高校の授業の実態や教科書での取り扱いに関する情報が多く、とても参考になる本だ。


ちなみに著者の渡辺先生のこちらの本も良いです…。

目次

やはり…そもそも授業で書いてない

この本からいくつか興味深いデータを拾っていこう。まずは著者たちの勤務大学における「高校時代の書く経験」に関する質問紙調査。国語の授業で400字以上のまとまった分量の書く経験をしなかった(つまり0回の)生徒が41.2%もいて、3年間で3回(年間1回)までの生徒が、全体の3分の2近くに達することがわかる。また、学習指導要領の項目のうち学ぶ機会の多かったものを選んでもらう別の調査からは、結局高校生が授業で学んでいるのは読むことに偏っている現状がうかがえる。さらに、現行の学習指導要領で言語活動の充実がうたわれても、結局書く学習の授業は増えていないことも、別の調査で明らかになっている。端的に言って、高校生は国語の授業で文章を書いていないのだ。

高校の教科書では、「書くこと」はどのような扱いか?

また、高校の国語教科書では「書くこと」がどのような扱いになっているのかという各種調査も面白い。気になったところだけ抽出してみる。

「レポート」の意味が高校と大学では違う

高校までの国語教科書では、「レポート」の平均的定義が「調査や研究の結果としてわかった事実を他者に伝える(報告する)文章」となっている。つまり、必ずしも書き手の意見や考察を含むものになっていない。書き手が自分の考察を論理的に述べる文章は何かというと、「意見文」、入試も視野に入れれば「小論文」と呼ばれるのが普通である。一方、大学の授業では、提出課題のほとんどが「レポート」と呼ばれ、それは書き手の意見や考察を含むものである。こうした「レポート」という用語の扱い方の違いが、学習者の混乱の原因の一つである可能性がある。

高校までで教えられない「書く技術」

高校までの教科書では、次のような項目がカバーされていない、あるいは、カバーされてはいるが程度が低い状況にあるという指摘も面白かった。

  1. 文章を「組み立てる」技術(パラグラフ・ライティングの技術)
  2. 引用の具体的技術
  3. 推敲の具体的技術
  4. 再帰的な文章構成(文章を書くプロセスが行ったり来たりするものであること)

ライティング・ワークショップをやっている方ならすぐにわかることだが、これらの技術のうち、推敲や再帰的な文章構成については、実際に文章を書く経験を積めば必須のはずのものだ。それが教科書にもないのは、やはり「書くこと」自体が軽視されているということなのだろう。パラグラフ・ライティングや引用は(希望的観測として)大学に行けば習うものではあるが、引用は新学習指導要領では触れられているので、教科書の記述は増えるはず…。

どんな「型」が扱われている?

国語の教科書では、どんな文章の「型」が扱われているだろうか。校種をまたがってほとんどの(64%-91%の)教科書に記載されているのは、大学のレポートでも一般的な「序論・本論・結論」の「型」だ(小学校の「はじめ・なか・おわり」もこれと同じ型である)。他には、「頭括・尾括・双括」や「起・承・転・結」などが型として教えられている。

近年の高校教科書では、「序論・本論・結論」が圧倒的に多くなり、また、段落の扱いも、主題文があるパラグラフを教える事例が増えてきているという。大学での書くことの指導に高校側が対応しようとした結果だろう。

高校の実態を押さえ、大学へつなげるために

ここでは僕の興味のあるところのみ言及したが、高校での書くことの指導の実態を押さえ、大学への接続を考えようという、全体としてとても良心的な本だと感じた。高校の国語の先生方は、また、大学で「高校までで何を教えてるんだろう?」と思った経験のある方、ぜひご一読を。

また、この話題に関連する調査としては、以下のエントリも参照して下さい。

[資料]「書くこと」の指導と評価に関する試験的全国調査

2018.08.09

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