楽しさ半分、悔しさ半分の学会参加でした(ILA2019の3日目)

国際リテラシー学会(ILA2019)の最終日3日目。この日は朝7時から始めて、合計で4つのセッションに参加しました。英語がほぼ聞き取れないセッションもあって、正直悔しかった一日…。次に国際学会に参加するまでの間にもう少し英語ができるようになりたいと強く思いました。今日は最終日と全体の感想をメモします。

「誤読の責任」は誰にあるのか...英語力の必要性を痛感中(ILA2019初日)。

2019.10.11

カンファランスも色々...ILA2019の2日目。

2019.10.12
写真はフレンチ・クオーターと呼ばれるニューオーリンズの繁華街。土曜日ともなると観光客と若者でごった返し、ジャズがあちこちで鳴り響く賑やかな通りです。この日は、女性カップルの結婚祝いのパレードまでありました。結婚おめでとう!

目次

どうやって教室を「読み手」でいっぱいにする?

この日、一番楽しかったのは、A School Filled with Readersというセッションでした。昨日のエントリでも触れたLaura Robbさん、その息子で学校の校長を務めるEvan Robbさん、現在中学校の国語科教員をしているTravis Crowderさんの3人によるセミナーで、学校図書館や、リーディング・ワークショップの実際についてのレクチャーでした。

最初はEvanさんが、本好きの子を育てるために学校図書館が大事だと、自校の学校図書館の充実を嬉しそうに説明していたけど、日本の充実した図書館を見学してきた身としては、「ふーん」な感じ…(笑) 

続いての現役教師のTravisさんによるリーディング・ワークショップの話が、僕にはとても興味深かったです。彼は、「読み取りの内容のリテラシーに重点を置くと読む喜びを奪ってしまう」と、「選択」と「読む自由」を重視する立場。「戦略はいらない。本そのものよりもパワフルなプログラムはない」と断言するところも僕には非常に共感できました。

セミナー後に話しかけて、「あなたは生徒が読んでいる本を読む?」と聞くと、「その答えは2通りですね。教師はモデルでないといけないから、できるだけたくさん読むようにします。でも、全部読むことはできないから、生徒が僕の読んでない本を読んでいるときは、その本を彼がどう読んだのかインタビューします」という答え。

昨日のエントリの「読まない」と即答したNancyさんとは明らかに違って、この方は明らかにアトウェル寄りの立場の人だと思います。

「誤読の責任」は誰にあるのか...英語力の必要性を痛感中(ILA2019初日)。

2019.10.11

若い現場教員でこういう方もいるんだと思わず嬉しくなって、著書Reflective Readers(まだ日本のアマゾンでは購入できない模様)を買って、サインまでもらってしまいました…。

その次のスピーカーは昨日に引き続きお目にかかったLaura Robbさん。彼女のお話も同じくアトウェル寄りで、実際にアトウェルを引用していました。教師と生徒が本について対話すること、対話型読み聞かせの大切さ、モチベーションの大切さ、そして何よりも教師が子どもを観察することが鍵であることなどを主張していて、ある意味では「アトウェルと同じ考えの人ならそう言うよね」と予想通り。

とまあ、このセミナー、僕にはとても居心地が良かったのですが、逆に言えば、「好みの話題だから、自分の英語力でも聞き取りやすいし、内容も耳に心地よい」のも事実。これだと単に自分の信念を強化しているだけなので、うーむ、という感じです。

 

作文教育でやっていいいこと、悪いこと

この日は、研究者が中心のセミナーにも2つ出たのですが、そちらは自分の英語力不足に泣きました。一つはDavid Pearsonさんが基調講演のリーディングのセミナー、もう一つはSteve Grahamさんが基調講演のライティングのセミナーで、どちらも業界の大御所なだけに、もっとちゃんと聴きたかった…という思いが募るばかり。謙遜ではなく、英語力が根本的に足りてないことを痛感しました(ちなみに、もう一つのセミナーはプレゼンターの宣伝ばかりの内容でがっかり)。

2つ目のライティング研究のセミナー。大家Grahamさんの基調講演は、Dos and Dont’s of Writing Instruction(作文教育でやっていいこと、悪いこと)という題で、作文教育で推奨できること、できないことを、エビデンスに基づいてをまとめたもの。せめてここくらいはメモを残しておきましょうかね…。

  1. 生徒に、様々な目的で、様々な読み手に対して書くように生徒に求めると良い。でも、それで十分だと思ってはいけない。
  2. 書くことと読むことを関連づけると良い。でも、読みさえすれば必要なことを学べると思ってはいけない。
  3. 自分たちが学んでいることについて生徒に書いてもらうと良い。でも、何も教えることなしにそれができると期待してはいけない。
  4. 自己調整やライティングのプロセスについての方略を教えると良い。でも、それがすぐに使えると思ってはいけない。
  5. 文章を組み立てる技術を教えると良い。でも、従来通りのやり方(暗記や選択のテスト)で文法を教えてはいけない。
  6. 手書き、綴り、タイピングの全てを教えると良い。それらが取るに足らない技術だと思ってはいけない。
  7. 必要な生徒に個別に支えになる指導をすると良い。書くことを学べない生徒もいると思ってはいけない。
  8. 生徒を一層書く気にさせると良い。でも、彼らが上達するにつれてモチベーションも上がると思ってはいけない。
  9. 生徒たちが書き、学ぶことを評価すると良い。でも、フィードバックを細かく与えすぎたり、賞賛があまりに少なかったり、子どもの主体性を否定したりしてはいけない。
  10. PCや様々な21世紀型のツールを使うと良い。特別なニーズがある生徒がそのツールを使うことを忘れてはいけない。
  11. 生徒がリスクを取れるような、支える雰囲気のクラスを作ると良い。彼らが書き手としての自分を信頼するように励ますのを忘れてはいけない。
  12. 書き手・学び手の共同体を作るよう働きかけると良い。教師が、「成績をつけるだけの人」「評価をするだけの人」になってはいけない。書くことの共同体の一員となろう。

 かなり漠然とした傾向ですが、どれも多くの研究で支持されていること。また、これまで僕が本で読んできたことともかなり重なります。ぜひご参考にどうぞ。

 

日本国語教育学会との違いが面白い

せっかく参加したILA2019 Conferenceなので、毎日感想を書いてきました。

「誤読の責任」は誰にあるのか...英語力の必要性を痛感中(ILA2019初日)。

2019.10.11

カンファランスも色々...ILA2019の2日目。

2019.10.12

最後に、学会全体の感想を書いておきます。この会は日本でいうと日本国語教育学会の夏の全国大会に当たる大会で、参加者も基本的には大学の研究者よりは、現場教員が多いのかな。ですが、書店の販促コーナーがやたら大きかったり、お茶やお菓子サービスや大道芸、ジャズ演奏まであったりして、カジュアルでお祭り感覚もある学会でした。カジュアルさのおかげで、僕の初めてのポスター発表も楽しくできました。

一方で、参加した中にはほとんど講師の宣伝まがいのセミナーもあって、全体として商業主義に毒されているなあという印象も持ちました。講師陣も書店とタッグを組んで積極的に売りに出てる感じです。日本だとちょっと考えられないですね。

セミナーの内容としては、小学生から中学生の読み書き教育に関するものが多かった。その際、例えば読みの教育だと、日本では特定の教材を軸にした授業実践報告が多いのに、こちらではそういう議論がほとんどないのが驚きでした。逆に、多くのセミナーで、個人読書(independent reading)やカンファランスの重要性について当たり前のように言及されていて、そこに日本とアメリカのアプローチの違いがくっきりと現れてました。「責任の段階的移行モデル」という言葉やハッティのメタ分析も、色々なところで目にしました。流行しているんだと思います。もっとも、ハッティについては、「エビデンスのある手法だからやりなさい」的な扱われ方をしているのが気になりました。

 

英語と実践研究を頑張りたいです…

とはいえ、いま一番残っている感想は、しつこいけど英語ができたらもっと楽しめたのに!ということ。小学校免許のレポートと試験にかまけてずっと勉強をサボっていたのだから、英語力をキープすらできなくて当然なのだけど、怠惰は嘘をつかないな…。今回、英語ができればもっともっと楽しめたと思うので、これは素直に悔しかった。

風越学園が始まってからもちゃんと実践研究を続けて、少しずつでも英語の勉強もして、次は2年後あたりをターゲットに、また国際学会に挑戦したいと思いました。日々ちゃんと勉強しないといけないな。そう決意表明して、これから日本に帰ります! 

あすこま
さて、台風で北陸新幹線が使えないようだけど、帰国したらどうやって軽井沢まで帰ろう…

 

 

 

 

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