「誤読の責任」は誰にあるのか…英語力の必要性を痛感中(ILA2019初日)。

本日のエントリは日記。昨日のエントリで書いた『「学びの責任」は誰にあるのか』の予習を経て、著者のフィッシャー&フレイのワークショップに参加したら、「責任の段階的移行モデル」が事前の印象と違いすぎてて面白かったので、メモ。結論は、「英語を勉強しないとあかん…!」に尽きます。

[読書]「学びの個別化」をチェックする有益なガイド。ダグラス・フィッシャー&ナンシー・フレイ「『学びの責任』は誰にあるのか」

2019.10.10
写真は、「ザッツアメリカ!」と叫びたくなるほど商業化された学会を象徴する、充実した書店の販売コーナー。お菓子の配布やジャズの演奏もあって、日本の国語教育系の学会と違いすぎる…

フィッシャー&フレイのワークショップ

国際リテラシー学会(International Literacy Association)初日の朝8時から夕方4時までがっつり開かれたフィッシャー&フレイのワークショップ。内容は宣伝もかねてなのか、新刊のThis is Balanced Literacyをもとにしたワークショップでした(本も配布されたけど、参加費に入ってるんでしょう)。

ワークショップの内容は、「責任の段階的移行モデル」の各要素である「焦点を絞った指導」(Focued Instruction)、「教師がガイドする指導」(Guided Instruction)、「協働学習」(Collaborative)、「個別学習」(Independent)のそれぞれのポイントが解説されて、同じテーブルの参加者とディスカッションしたりワークをしたり、というもの。留学中も低かった英語力がさらに下がって大変苦労したのですが、それにしても印象的だったのが、フィッシャー&フレイの提案するリテラシーの授業が、僕の好きなナンシー・アトウェルのライティング&リーディング・ワークショップとまるで違うこと。

「効果的な学習方略のパッケージ」

誤解のないように書くと、フィッシャー&フレイのBalanced Literacyには、たしかに「ライティング&リーディング・ワークショップの要素」が入ってました。全体への指導、グループへの指導、ピア活動に個別の活動。読む本も自分で選ぶし、カンファランスもする。どれもライティング&リーディング・ワークショップの構成要素には違いないのですが、両者を同じと言うには、かなり違和感がありました。

その原因は、フィッシャー&フレイのプログラムが「教師が持っているコンテンツを生徒にどう効果的に伝えるか」という一方通行の視点で一貫していること。少なくとも、子どもの「読み書きの喜び」という視点や、「子どももまた一人の書き手であり、創作を通じて価値を生み出す存在だ」という子ども観は、ほとんど聞くことがありませんでした。

アトウェルも「教える」ことと「子どもを尊重する」ことのバランスを模索した人で、かなり「教えたがり」な一面を持つのですが、フィッシャー&フレイの「責任の段階的移行モデル」は、アトウェルよりもずっと「教え込むためのフレームワーク」という印象が強い。「個別学習」も、「教師が教えたことができるようになるための時間」という扱いです。この日のワークショップでも何度かハッティの研究(下の本)が引用されていて、フィッシャー&フレイ自身も「科学的に効果が証明された学習方略を組み合わせたパッケージ」としてこの「責任の段階的移行モデル」を売り出したいのだな、と感じました(これは僕の英語力の拙さゆえの誤解もあるかもしれません)。

なお誤解の可能性を留保してあえて書くと、このように特定の授業パッケージを「いつでもどこでも有効な、エビデンスに基づいた授業法」として推奨することには、僕は懐疑的な立場です。詳しくは下記エントリを。

悩ましい、現場教員と「エビデンス」の付き合い方

2019.09.22

アトウェルとフィッシャー&フレイの違い

アトウェルとフィッシャー&フレイの違いが顕著に表れるのがリーディング・ワークショップです。アトウェルは楽しんでたくさん読むことを重視して、「読みの方略」にはあまり言及しません。また、読むジャンルもフィクションが中心です。一方のフィッシャー&フレイは、幼稚園の頃から色々なタイプのテクストを扱い、読み聞かせ(read aloud)や一緒読み(shared reading)を通じて読む方略を教え、それを読むときに使うことを求めます。書き手の意図やテキストタイプによる特徴の違いなど、かなり分析的に読んでいきます。

その両者の指導スタンスの違いが、カンファランスにも現れます。アトウェルがカンファランスをCheck-inと呼び、「楽しく読んでいるかどうかを確認する」ことを主目的とするのに対して、フィッシャー&フレイのカンファランスの目的は、「理解度のチェック」「読みの正確さや流暢さのチェック」「ポイントを絞って教えること」「ゴールの設定」と多岐に渡ります。

このモデルに基づいたKristin先生という方のカンファランスの様子が、下記リンク先から見られますので、どうぞ。

個別学習のカンファランス(リーディング)

ご覧の通り、めっちゃ教え込んでます。朗読以外で喋ってるのはほとんど先生です。フレイはこの先生のカンファランスや記録の取り方を絶賛しているのですが、僕は正直ドン引きしました。こんな口頭試問みたいなことをいちいちされたら、読むの嫌いになるぞってレベル…。

もう一つ例を。下記リンクは、フィッシャー&フレイのモデルの「教師がガイドする指導」の一場面。こちらも同じKristin先生の授業なのですが、書くべき内容も含めてかなり教えてます。そしてこちらもあまり楽しそうじゃない…

教師がガイドする学習(ライティング)

 

アメリカの読み書き教育のトレンドは…

今回の学会に同行している大学の先生(というより、僕がその先生に同行しているのですが…)いわく、今のアメリカの読み書き教育の主流はフィッシャー&フレイの方、とのこと。というより、現在の主流の研究成果を集めてパッケージ化したのがフィッシャー&フレイという方が正確な表現かもしれません。確かに、以前読んだ下記の本でも、今回と同様に「教師が教えた方略を使いこなすためのリーディング・ワークショップ」が提案されてて、基本スタンスはフィッシャー&フレイに近い。

[読書] 実践者必携、研究にもとづいたリーディング・ワークショップの提案。Miller & Moss. No More Independent Reading Without Support.

2017.09.26

CCSS(アメリカの各州共通スタンダード)が重視される流れもあり、時代の流れは、様々なタイプの文章を目的や方略を意識して読み書きすること。アトウェルのように文学中心に読みひたり、書きひたる喜びを重視する教え方は、アメリカではもはや「時代遅れ」なんでしょう。でも、くどいけど、ほんと楽しそうじゃないないなあ…。もちろんフィッシャー&フレイも読みのモチベーションの話はしてて、だからこそ読む本は各自に選ばせるのですが、それにしても…という感じです。

 

「誤読の責任」は僕にあります…

僕は風越学園スタッフ内ではかなりの「教えるべきことってあるよね」派で、かつ「学ぶことはトレーニングだよね」派なのですが、その僕をして「これはちょっと引くわ…」と思わせるフィッシャー&フレイの「責任の段階的移行モデル」。これも確かに「学びの個別化」には違いないのだけど、僕が好きなアトウェルのライティング&リーディング・ワークショップとはかなりの違いがある。それがこの日のワークショップ最大の発見でした。

ホテルに戻ってから、「いやー、事前の印象と今日のワークショップは違ってたなあ…」と『「学びの責任」は誰にあるのか」をパラパラとめくってみました。すると確かに、「ああ、なるほど」と得心する箇所がいくつもあります。どうも僕は、「吉田新一郎訳本シリーズ」の一冊としてこの本を読んでいたので、吉田さんカラーの強い訳注にも引っ張られて、自分の好みのライティング&リーディング・ワークショップ像に引きつける形で「責任の段階的移行モデル」を理解していたようです。「人は読みたいものを読む」を実践してしまったかたち…「誤読」の責任は僕にあります、はい。そして、今回のエントリでさえ、僕の乏しい英語力でワークショップを受けた感想なので、また誤っている可能性もあります…(汗)

感想その1。英語の本は翻訳に頼らず英語のまま読める英語力をつけたい。感想その2。英語のワークショップに出ても内容を理解してディスカッションできる英語力をつけたい。いずれにせよ、英語力の必要性を痛感するばかりの初日でありました…。

 

余談

フィッシャー&フレイのワークショップでもう一つ印象的だったのが、スポンサーの出版社Corwinとがっつりタッグを組んでいたこと。ワークショップ中に出版社の宣伝はがんがん入るわ、その場で景品の抽選会が開かれるわ、日本の国語教育系学会との違いにびっくりしました。フィッシャー&フレイはこんなウェブサイトも持ってて、大学の先生と高校の先生も併任しつつこの活動っぷり、すごいたくましい感じ…

Fisher&Frey.com

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