プレイヤーとリサーチャー:「大人のブッククラブ」「哲学サマーキャンプ」に参加して

この一週間、「大人のブッククラブ」に「哲学サマーキャンプ」と、自分がここ数年、夏の恒例にしているイベントへの参加が続いた。

「大人のブッククラブ」は、リーディング・ワークショップを実践して『読書家の時間』を執筆した横浜の小学校の先生たちが中心になっている読書会。「大人の」と名前がついているように、ブッククラブを自分たち大人も楽しもうよ!というコンセプトの会だ。

 

小学校の先生たちとの読書会

2014.12.26


今回の課題本は上野行一『風神雷神はなぜ笑っているのか』。この本についてはまた後日書こうと思うけど、今回の読書会はこの本をきっかけに「誤読って果たして存在するのか?」という問いが出されて、僕が最近小説の授業で迷っていたことと重なったので、それを考えるのがとても面白かった。あと、参加者には小学校の先生が多いので、ふだんなかなか接点のない小学校の話を聞けることも、けっこう刺激になっている。小学校と中高では、同じ教員とは言っても違いも大きい。なにしろ生徒ひとりひとりをよく見ているということにかけては、中高の教員は小学校の先生にかなわない。

一方、「高校生のための哲学サマーキャンプ」は、 東大UTCPが主催している高校生向けの哲学イベント。UTCPについては、以前にもこちらのエントリで触れた。日本で哲学教育を推進する活動を行っている団体である。

「哲学は部活だぁ」!「哲学は部活かぁ」?

2015.07.16

イベント紹介:教育関係者向け「哲学対話」イベント2つ

2015.06.14

僕がこのイベントに参加してもう3年になる。僕は哲学専攻出身でもないし、自分自身が知的で哲学的な人間とも思わない。でも、「書くことは考えること」というこのイベントの発想に共感してて、自分の作文教育の参考にもなるし、何よりここに来る高校生たちを見るのが嬉しくて、毎年参加している。「学校では哲学について真面目に語り合える人がいなかったけど、ここではそういう人たちに会えて嬉しい」と言う子から、「なんとなく親に薦められて来てしまった…何これ…」みたいな子まで、そういう若い人たちの一つの出会いの場に携われるのが、なんとなく嬉しいのだ。今年もそういう高校生たちに会えて、夕食後にはお風呂あがりの彼らと一緒に、「決断するとはどういうことか?」「後悔と反省はどう違うのか?」「やらないで後悔よりもやって後悔は本当か?」という話題の輪に加われて楽しかった。やっぱり、セッション後の自由な雰囲気の中で対話できるあの時間が一番好き。

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そして、最近気づいたこの2つのイベントの共通点。それは、僕がふだんの「教える人」「評価する人」という職業上の役割からいったん解放されて、「本を読む人」「哲学対話で一緒に考える人」というプレイヤーの立場にたてること。その緊張と楽しさを味わえること。

実はこの時期は、以前は日本国語教育学会の全国大会に通っていた。色々な実践報告を聞くと勉強にもなるし、自分で発表したこともある。 でも、なんだか最近はそういう関心が薄れてしまって、日程が重なると大人のブッククラブやサマーキャンプを選ぶ。だって、たしかに国語教育の世界での人脈作りや実績作りにはなるけど、優れた実践なら過去の歴史の中に消化しきれないほどあるし、僕にはアトウェルの実践を追いかけるだけで精一杯だもの。それだったら、夏休みの間くらい「ティーチャー」を離れて「プレイヤー」になるほうが、楽しいし、自分の教師としての成長のためになるように感じている。

もちろん、「プレイヤー」だけでなく、 自分の授業をきちんと振り返れる「リサーチャー」にもなりたいから、イギリスでの一年間はその勉強に使うつもり。でも、「プレイヤー」としてすごす時間の大切さを、最近は意識することが多い。来年の夏、この2つのイベントに参加できないのは残念だけど、再来年にはまた「プレイヤー」として戻ってきて、読むこと、考えることに楽しんでチャレンジしたい。

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