授業の中で哲学対話について語る(も撃沈する)

第二学期(春学期)の授業がスタートした。といっても第三学期はdissertationに費やすのみなので、授業は早くも後半戦だ。え、つい先日最初のsummative assignmentを出したばかりだっていうのに、嘘でしょ….?

一つ目の評価課題提出終了!英語で5000wordsを書く経験。

2016.01.07

今学期は、Nature of Education Enquiry(教育研究の哲学)とリサーチデザインやコミュニケーションについての授業(Designing and Communicating Research)の2つが大きな柱。

教育を考える材料としての「哲学対話」

このうち、NEEの授業の後半に、「そもそもEducationとは何か?」を議論する文脈で、P4C(Philosophy for Children:子どものための哲学)の動画を見た。哲学対話については下記関連エントリを書いてように、僕も興味があるので、これは言わねば!と思って後先を考えずに真っ先に挙手。

プレイヤーとリサーチャー:「大人のブッククラブ」「哲学サマーキャンプ」に参加して

2015.08.01

「哲学は部活だぁ」!「哲学は部活かぁ」?

2015.07.16

大切なことを絞って繰り返す:教室全体でのディスカッションをやって

2015.06.04

教室にもコミュニティーボールが必要だ

2014.10.03

 

 


僕がここで挙手として言おうとしたのは、こういうことだった。

・P4Cは学校におけるEducationとは何かを考えるのに面白い材料だと思っている。
・日本ではP4Cが広まり始めていて、私も関心があり、セミナーに参加したり、授業で取り入れられないか考えたりしたことがある。
・自分は language の教師なので、最初は、これをディスカッションの能力を高める授業だと思っていた。
・しかし今は、哲学対話とは、そういうスキルを鍛えることが目的ではなく、学校を含めた「日常」をリフレクションするものではないかと思っている。
・したがって授業内で行うことになかなか踏み出せない。一つは、教師が評価者としてのパワーを持ってしまっている以上、安全な環境を作れるか自信がないから。
・そして、授業で行ってしまうと評価せねばならず、それが哲学対話の本質と異なるようにも感じるから。
・つまり、学校の仕組みと哲学の間にギャップがあるように思っている。
・ 従って、これは私はとても好きな営みだけれども、「授業」にはそぐわないので、放課後などに、教師以外をファシリテーターとしてやる方が良いのではないかと思う。
・ただ、このことは、学校における「授業」とは何か、「評価」とは何かを考える良い材料になると思う。
 


しかし、勢い込んで喋り出したは良いものの、整理されておらず、適当な単語も浮かんでこなくて、撃沈であった…。日本語だと「話しながら交通整理する」がある程度はできても、英語だとそれが全くできない…。やっぱり考えたことを整理してから話さないとダメだと痛感(^_^;) うん、でもまあここは始めて真っ先に挙手したことを自分で褒めよう。それだけでも進歩じゃないか。


授業の中で哲学対話をする

その後は「教育や教育研究について考えたい問い」をグループごとに出しあって哲学対話するという展開に。ラッキーなことに「評価は生徒を助けるか?」という僕たちのグループの問いをみんなに選んでもらえたので、またも最初のスピーカーにもなれた。そこでは教員としての自分の経験を話すことができたし、各国ごとの評価をめぐる事情や、各人の経験などをシェアできてとても興味深い時間だった。でも、大学の授業で哲学対話するとは思わなかったなあ!

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ともあれ、哲学対話に助けてもらって話すチャンスをつかんだ二学期の初日。もう授業も後半かと思うと、正直時間が圧倒的に足りない。あれもしたいこれもしたい。毎日を大切に過ごさなきゃ、と思う。

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