書き手・読み手としての生徒たちのファンになる、ということ

今日は完全に自己満足のエントリなんだけど、今週は嬉しかったことが重なったので、自分を励ますために書いちゃいます。

写真は御代田町の喫茶店「のんのん」のパフェ。いやー、大きい。二人でなんとか完食しました。 あれ、そういえば10日前にも小諸の「みつばち」でパフェ食べていたぞ…..?

嬉しいことが重なった今週

風越学園では、今週、「自分プレゼン」という三者面談があった。年2回行われる自分プレゼンでは、子どもが自分で風越学園で学んだことを保護者とスタッフに向けて発表する。僕は自分のホーム(異学年混合クラス)での自分プレゼンに出席したのだけど、何人か国語での頑張りについて報告してくれて、ちゃんと成長実感を持って前に進んできたんだな、と嬉しかった。他のホームでも、「風越学園で一番学べて良かった教科は国語」と言ってくれた子もいて、こういう言葉は素直に励みになる。

今週は、ある生徒が僕に本を貸してくれたこともあった。春には読書嫌いと言っていたその子が本を読むようになったのは7月頃から。司書教諭の大作さんと、その子のために探した本が運良くヒットして、それから読むのが習慣になった。その子が貸してくれた本を読んで、まず「こんなに文字が多くてルビも少ない本を楽しめるようになったのか」とその成長に驚き、それからその本の物語に引き込まれた。「ああ、色々な人生が詰まってる本なんだなあ」と思い、その生徒がこの本をどんな風に読んだんだろう、ということも思った。

もう一つ、週末には、別の生徒が、授業外で書いたエッセイを読ませてくれた。それがまたとびきり素敵なエッセイで。でも何より、授業の外で、何か大切な忘れたくない感情を抱いた時に、書くという行為でそれと繋ぎとめようとしてくれたことが、僕にはたまらなく嬉しかった。

一つ一つは小さなことなのだけど、僕にはとても大きなことだ。この一週間に生徒たちからもらったこの気持ちで、来年1年間また頑張れる気がするほどに。

一人一人のファンになる、ということ

今年は、受け持ち人数が約40人と少なかったこともあって、生徒の一人一人がこれまでになくよく見えた。これは間違いない。彼らの書き手・読み手としての特徴や、好きな本やいま授業で読んでいる本が、ちゃんと頭に浮かぶ。点ではなく、線として彼らの読み手・書き手としてのストーリーが見えてくると、書いた作品に、ではなく、書き手に声をかけられる。やっぱり、それは大きな変化だと思う。

もちろん教えることはたくさんあるし、書き間違いや分かりにくい表現は訂正するのだけど、一つ一つの作品を超えて、書き手としての彼らのファンになる、という感じが、少しずつわかってきた。少なくとも今の僕にとっては、ファンになろうと決めてなれるものではない。それなりの時間を積み重ね、彼らの好みや試行錯誤が一つのストーリーとして見えた時に、その子に関心を持つ。そして。その子が次にどんな物語を紡ごうとするか、作品の出来不出来を超えて関心を持つ。そして、どんな働きかけをすればその子がより自分のやりたいことをできるか、また幅が広がるのか、いつのまにか考えてしまう。それが僕にとって、誰かのファンになった状態。

僕はすでに何人かの生徒のファンになっている。次にどんな作品を書くのかな、この本はどう読むのかな、と、読み書き能力のあるなしを超えて心待ちにしている。なろうとしてなったのではない。その生徒の作品をいくつも読み、彼らの読書遍歴や執筆歴が一つのストーリーとして像を結んできた時に、その生徒が物語中の登場人物のように立ち現れてくる、そして、その書き手のこれからの物語に関心を寄せる。そんな感じ。

もう10年くらい前に、初めてあったときの石川晋さんが「僕は生徒の書くものならなんでも面白がれる自信がある」と言っていて、当時の僕は「面白くない作品だってたくさんあるのに、どうやったら面白がれるのだろう」と驚いたのだけど、今なら石川晋さんの感覚が少しわかる。また、僕は約2年前に、「良い作品を書かせるのではなく良い書き手を育てる」「書き手のプロセスを見ないといけない」ことについて書いているけれど、今の僕は、2年前の僕よりも、この言葉の意味をはるかに実感できている。

「良い作品を書かせるのではなく、良い書き手を育てる」とはどういう意味か

2018.02.05

ただ、僕が「この人のファン」と言える書き手・読み手は、今のところ、授業で強く印象に残る子や、ホームを担当して授業外でも接触機会が多い数名に限られている。だから、この感覚をどんどん広げていくのが、来年度の僕の課題だと思う。僕はもともと「子どもが大好きで教師になりました!」みたいなタイプでは全くないので、意識しないとすぐに生徒との距離は遠くなってしまう。読み書きの授業を通じてみんなのファンになれるように努めていきたい。

ファンになる、というのは、教える、ということと相克しない。読み手、書き手としての相手に関心を寄せる。そのために、彼らのプロセスを丁寧に記録していき、一つ一つの点を結んで、線を、彼らの物語を作っていく。日々のカンファランスと、その記録を丁寧に積み重ねた先に、僕が彼らのファンになる道が開かれている

 

 

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