そもそも何なの?夏休みの「自由研究」

中原淳さんのブログで、ご長男のTAKUZOくんの自由研究に奮闘されている様子が書かれている。

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 ▷ 「思い切り遊ぶこと」で「夏休みの自由研究」ができちゃう方法!?

一年前、僕も娘(9歳)のはじめての夏休みの自由研究を前にして「そもそも自由研究って何なの!?」と疑問に思ったことがある。で、ちょっと調べてみると、驚いたことに、これはもともと戦後すぐの学習指導要領で定められていた「授業」なんですね。1947(昭和22)年学習指導要領試案には、「社会科」や「家庭科」などと並んで教科「自由研究」が新設されていて、次のような説明がある。長くなるけど引用しよう。

 ▷ 昭和22年学習指導要領(試案)第三章 教科課程

 後に述べるように,(指導法一般参照)教科の学習は,いずれも児童の自発的な活動を誘って,これによって学習がすすめられるようにして行くことを求めている。そういう場合に,児童の個性によっては,その活動が次の活動を生んで,一定の学習時間では,その活動の要求を満足させることができないようになる場合が出て来るだろう。…(中略)…しかし,そのような場合に,児童がひとりでその活動によって学んで行くことが,なんのさしさわりがないばかりか,その方が学習の進められるのにも適当だということもあろうが,時としては,活動の誘導,すなわち,指導が必要な場合もあろう。このような場合に,何かの時間をおいて,児童の活動をのばし,学習を深く進めることが望ましいのである。ここに,自由研究の時間のおかれる理由がある。たとえば,鉛筆やペンで文字の書き方を習っている児童のなかに,毛筆で文字を書くことに興味を持ち,これを学びたい児童があったとすれば,そういう児童には自由研究として書道を学ばせ,教師が特に書道ついて指導するようにしたい。つまり,児童の個性の赴くところに従って,それを伸ばして行くことに,この時間を用いて行きたいのである。だから,もちろん,どの児童も同じことを学ぶ時間として,この時間を用いて行くことは避けたい。

 

 こうして,児童青年の個性を,その赴くところに従って,のばして行こうというのであるから,そこには,さまざまな方向が考えられる。ある児童は工作に,ある児童は理科の実験に,ある児童は書道に,ある児童は絵画にというふうに,きわめて多様な活動がこの時間にいとまれるようになろう。

 このような場合に,児童が学年の区別を去って,同好のものが集まって,教師の指導とともに,上級生の指導もなされ,いっしょになって,その学習を進める組織,すなわち,クラブ組織をとって,この活動のために,自由研究の時間を使って行くことも望ましいことである。たとえば,音楽クラブ,書道クラブ,手芸クラブ,あるいはスポーツ・クラブといった組織による活動がそれである。     (傍線あすこま)

 ざっくりまとめると、

(1)児童の興味や個性に従って学習を深めるための時間として、

(2)(現実的な運用としては)クラブ活動のようにして異学年で行う


という時間が「自由研究」だった。 授業時数も小学校4~6年までの3年間、週2~4時間が配当されていて他の教科(理科3時間、体育3時間)と比べても力の入った科目だったといえそうだ。

この「自由研究」が生まれた背景には、民主国家建設を目指した当時の学習指導要領(試案)が、児童中心主義的なものだったことがある。そして、大正の新教育運動も遠因になっているはずだ。生江義男(編)『教科教育百年史』では、大正時代の取り組みとして、成城小学校の「特別研究」、千葉師範附属小の「自由研究」、奈良女子高師範附属小の「特設学習時間」などが挙げられており、近代デジタルライブラリーを「自由研究」で検索しても戦前の先行例が出てくるので、戦後の教科「自由研究」もこうした先行例に倣って作られたのだと思う。

さて、授業「自由研究」の様子の一端は、次の著作で垣間見ることができる。

 ▷ 広島高師附属小学校『自由研究の方向と実践』 (近代デジタルライブラリー)
 ▷ 東京第二師範学校男子部附属小『私たちの自由研究』 (近代デジタルライブラリー)

そこでの指導例や生徒の作品を見ると、中原さんがお子さんに指導したようないわゆる「研究」的内容も含まれているが、習字や創作・劇などの文芸作品や美術作品も幅広く認められていたようだ。レベルの高低は小学校教師ではない僕にはわからないが、広島高等師範附属小の場合は、児童全員に「研究ノート」を持たせて経過・過程を記録し、発表会をやって相互批評と反省もするなど、かなり本格的。このまま現代に持ってきても「意欲的な探究型学習」として通用するのではないかと思える。

ただ、こういう成功例はおそらく一部にとどまったのだろう。というのも、宮田丈夫「戦後における特別教育活動の検討」 (宮坂哲文(編)『小学校特別教育活動の新教育課程』) によると、 文部省は 1949(昭和24)年12月から翌50年2月までにかけて、自由研究の実態についての質問紙調査を行っているのだが、その結果、まとめて授業を受けている生徒が多いことが判明しているからだ。宮田氏は  「これはおそらく、正規の教科学習そのままがこの自由研究の時間に移行されていた」「実施していないも同然であった」からだと分析している。

同様に、稲垣忠彦(編)『戦後日本の教育改革6 教育課程(総論)』でも、磯崎一雄氏が「現場においては『自由研究』本来の趣旨に沿わないような実態が数多くみられ、さらにこれを廃止してほしいという意見が非常に多かった」と述べている。

こうした悪評を受けたのか、教科「自由研究」は、 1951(昭和26)年の学習指導要領で「教科以外の活動の時間」としてまとめられ、消滅してしまった。この時の文部省の言い訳?がすごい。

 ▷ 昭和26年学習指導要領 Ⅱ 教育過程

ここに示唆された「教科とその時間配当表」には従来あった自由研究がなくなっている。…(中略)…これらの活動は,すべて教育的に価値あるものであり,今後も続けられるべきであろうが,そのうち,自由研究として強調された個人の興味と能力に応じた自由な学習は,各教科の学習指導法の進歩とともにかなりにまで各教科の学習の時間内にその目的を果すことができるようになったし,またそのようにすることが教育的に健全な考え方であるといえる。そうだとすれば,このために特別な時間を設ける必要はなくなる。 (傍線あすこま)

「個人の興味と能力に応じた自由な学習は…かなりにまで各教科の学習の時間内にその目的を果すことができるようになった」って、オイオイ、本当ですか?? 今だってできてないんですけど…。もう少しましな言い訳を考えて欲しかった…。

こうして、「普通の授業でもできるようになったから、わざわざ授業時間はいらないよね」という理由で、わずか4年間の短命で終わってしまった「自由研究」。残念といえば残念だが、現場教師としては「理想ばかり唱えてリソースをつぎ込まない結果ですね」と皮肉を言いたくもなる。今のアクティブ・ラーニングの流れもそうなりませんように….(^_^;)

はっきりとした確証はつかめないのだが、全国の小学校で行われている「夏休みの自由研究」も、おそらくこの教科「自由研究」の延長にあるのではないかと思う。教科としてはいったん消滅した「自由研究」が、どうして形を変えて生き残ったのか、機会があればぜひ調べてみたいのだが、指導要領などには一切記載されていないので、すぐには調べにくい。具体的な動きをご存知の方がいましたらぜひ教えて下さい。

ただ、どんな経過にせよ、現在の自由研究が、かつての教科「自由研究」以上に学校側の指導がなされておらず、結果として家庭に丸投げ(そして家庭から業者に丸投げの事例多数)になっているのは問題だ。中原さん一家のようなしっかりした方針のもとで「研究とは何か」から教育をする家庭と、完全に放置する家庭の間で、子どもの経験に非常に大きな差ができてしまう。「良いことを経験できない」ならまだしも、下手をすると余計なことを学んでいる可能性もある。

というわけで、もし学校が「教育活動」として自由研究を行うつもりなら、もっとしっかり「教育」としてプログラムすべきだし、リソース不足でそれを家庭に丸投げするしかない現状なのであれば、自由研究は廃止してしまっていいのではないか。家庭の指導不足でここにきて大変なことになっている娘(9歳)の自由研究の行く末を危ぶみながら、そう思う僕なのであった。

(追記)以下のような情報をいただきました。感謝!

 

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