大切なことを絞って繰り返す:教室全体でのディスカッションをやって

中学生の授業では、引き続きこうの史代の漫画「夕凪の街」を扱っている。

 

[読書]こうの史代『夕凪の街 桜の国』

2014.09.26
 
 上のエントリでも書いたけど、勉強会の仲間に教えてもらった作品で、いずれどこかでその人が実践報告も書くんじゃないかな。とにかく細部が行き届いていて、とてもいい漫画。

ところで、上の先生は、ご自身で担任する学年の授業では、哲学対話に着想を得た対話型の授業を粘り強く続けてきた人でもある。とても伝統のある進学校に勤務しているのだけど、彼の担任学年についてあるベテランの同僚が「自分は長年勤めてきたけど、こんなに人の話をきちんと聞いて議論する学年は初めてだ」と評してもらえたということで、前回の勉強会でとても喜んでいた。ほんと素晴らしい!

40人規模での対話やディスカッションの授業は、どうしても発言者が限られたり、議論の展開が見えにくくなったりして、授業者としてはリスクも感じる方法だ。テンポよくというわけにもいかないだろうし(そしてテンポが良いことが良い議論となるわけでもない)、その先生の授業でも停滞してしまう回も何度もあるという。それでも、粘り強く40人での対話を続けてきたことが、先の賞賛のような成果につながったのだろう。

僕はそこまで徹底することは到底できない。でも、グループ学習の場とは異なる大人数でのパブリックな議論の経験や、沈黙や停滞に耐える経験は必要だろうとも思って、「夕凪の街」のラストシーンの読解は、グループや個別ではなく全体でのディスカッションにしてみた。 司会と2名の書記を決めて、机を向きあわせての全体ディスカッション。自分は「沈黙を大切にする」「対立モードにならない」「評論家にならない。不満は提案に変えてその場で改善する」などいくつかのことを伝えて、あとはなるべく後方で目立たないように。

とはいえ、議論の展開がわからなくなって空中戦になるとお互いしんどいので、黒板に「議論の交通標識」をはって、前の意見との関係を明示しながら自分の意見を言わせるようにした。この「議論の交通標識」、シンガポールのラッフルズ・インスティテュートの哲学対話の授業で使われているディスカッション・マットを一部改良したものだ。

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授業では、これを拡大して黒板に大きく貼り、いまの意見が前の意見との関係でどれにあたるのかをマグネットを使って司会の生徒に明示してもらった。この「議論の交通標識」、実際の議論とは離れたやや非現実的なモデルだとは思うが、それでも、黒板にこれを貼ることで生徒が議論の流れの中で意見を言うことを意識してくれたらいい。

今回(全2回)は初めての経験で新鮮さもあったせいか、生徒たちも真剣に議論に参加してくれた。テクストの細部に注目した良い意見も出てきていて、まずまず良かったかな。でも、こういう40人での対話を毎回続けるにはけっこうエネルギーを使うということもわかった。また、一度や二度やったくらいでは、議論の流れを意識してみんなで議論する難しさを体感した程度。そういう議論ができる共同体になるにはまだまだ遠い。

この授業スタイルを、停滞をおそれず継続してきたというのは、やっぱりすごいことだ。生徒が変容したのも、一度きりでなく、同じ経験を何度も徹底して繰り返したからなのだろう。こんなお試しでは、到底だめ。

大切だと信じることを絞って、何度も繰り返すこと。成果はその先にある。自分は何を大切だと信じて、繰り返していけばいいんだろう。授業後にはそんなことを思ってしまった。

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