5月6日までの連休がはじまりました。今年のゴールデンウィークの予定は、毎日1冊は本を読んで、某学会の原稿を書き上げて…かな。楽しく過ごせそう。もともとインドア派の僕のゴールデンウィークは、コロナの影響はほぼ受けてません(笑) あ、いや、東京に住んでいた頃の中高の国語の研究会が、zoom開催になって、2日間とも出席できそうなんだった。これは嬉しい誤算。皆さんいかがお過ごしですか。
学校という場の力を再認識
風越ではこの連休までzoomを中心に生徒とつながっていて、どこのホーム担当も悩み、工夫しながら進めていた(興味のある人は公式サイトをごらんください)。僕はスタッフながら、みんなすごいなーと思いながらついていった感じ。
ただ、比較的初期の段階で僕にもはっきりわかったのは、zoomでの集まりで起きていることは、学校で起きることの再現では全くない、ということだ。この4月は、今更ながら学校という具体的な場の力を再認識する期間でもあった。同じ場にいるだけで、誰かがふと漏らした一言がさざなみのように広がったり、何の気なしに話が派生したり、誰かがやっていることに他の生徒がなんとなく影響されたり、巻き込まれたりが生まれる。これは、学校という同じ場にいることの凄さである。
zoomを介した場では、こういう現象が起きない。少なくとも、極めて起きにくい。それに気づいた風越の多くのホームでは、ミュートを意識的に使わないで、その場に漂う「ザワザワ感」を作っていってて、なるほどなと思った。でも、それでも効果は限定的かもしれない。場を共有することで生まれる、ぼんやりとした、なんとなくのコミュニケーションに、これまでの自分の授業もどれだけ支えられてきたんだろう。そのことに改めて自覚的になれた2週間だった(逆にいうと、同じ場を共有して活動する時には、その効果をもっと意識的に使う必要がある、ということでもある)。
1対1に振り切る方がいいかも?
PAなどでの場づくりが得意な人は、こういうときにオンラインでもできる場づくりを模索するのかもしれない。実際、風越でも一緒にできる遊びを通じて、かなり場が柔らかくなっているホームもあって、今のところ「話し合い」が多めな自分のホームでも、ただ遊ぶ時間をもう少し作ってもいいのかな、という気もする。
とはいえ、僕個人はもともとそういうのに興味や適性が薄いこともあって、「オンラインを通じての場づくりや関係性作りを頑張るよりも、zoomでは1対1に振り切った方がいいのでは」という思いもけっこう強い。場づくりは学校に来られるようになってからでもできる。それよりも、画面の向こうで見えなくなっている一人一人をもっと知る時間の方が大事だし、今の時期は効果的なんじゃないかな。
だからというわけでもないけど、連休前の最後の日に、僕のホームは一人一人と10分の面談を丸一日通して行った。残念ながら、僕自身はライブラリーの仕事などであまり参加できなかったのだけど、一緒に担当している同僚が「いい時間だった。1対1で話さないとわからないことがたくさんある」と言っていた。そうだろうなと思う。
国語の学習もカンファランスを軸に
そして、前のエントリで書いたように、自分のホームでも国語の学習めいたことを少しずつ始めているのだけど、今のところはミニ・レッスンだけ。でも、ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップの本丸は、徹底した個別カンファランスなのだ。これならzoomを介してもなんとかなる。徐々に、そっちをやっていこうと思う。
実はこの連休中、僕のホームの子たちには、毎日30分の読書記録をオンラインのプラットフォームでつけてもらう(オンラインが難しい子は、紙のノートで)。彼らの読書傾向やスピードを知って、特に高学年の子たちが読んでいる本を並行して読むのが僕のゴールデンウィーク読書の一つ。これはGW明けへの布石。
GW明けからは、読むことと書くことの学習と、そのカンファランスを本格的に始める予定だ。書く方は、google classroomの使い方から教えないといけないのが、小学生相手だとちょっと大変でもあるけど、なんとかなる…はず。まあ、なんなら紙のノートに書いてもらって写真をアップするのでもいい。
もちろん、いくら「1対1に振り切る」とは言っても、zoomを介したカンファランスにも制約はある。もちろん、リアルに比べて読み取れる情報量が少ないのは当然だが、僕の場合はリアルでも非言語情報はそれほど読み取れないので、そこは問題ない(違)。僕が木になるのは、学校だったら、休み時間にちょっと話しかけることも含めて、気軽に本の話ができたということ。zoomだと、どうしても「この時間にこのURLに来てね」になってしまい、「面談」っぽさが増す。それはちょっと嫌だし、いい工夫があったら教えて欲しいけど、たとえ不十分でも、1対1でカンファランスをすること、読み手として、書き手としての生徒を知ることが、国語の学習の一丁目一番地なのである。生徒の学習のことを真剣に考えたら、ゴールデンウィーク明けからはそこに踏み込む必要がある。
というわけで、生徒が読んでいる本を読む僕のゴールデンウィークの始まり。みなさん、よい休日を!