詩を書く授業の難しさと意義について。参考になるブックリストつき。

おととい、昨日と、東京時代にメンバーだった定期の勉強会でした。コロナの影響もあってオンライン開催を、みっちり1日半。始まって10年以上経つ勉強会なので僕も含めて地方に移住したメンバーも多いのだけど、山口、鳥取、福井、長野….と、各地からつながることができて、地方在住者にはzoom開催はありがたい面も。

とても刺激的な2日間で、いくつか書きたいこともあるのだけど、今日はそのうちの一つについて書きます。

写真は勉強会の合間に散歩に行った道でとった写真。このゴールデンウィークで、僕の近所にも一気に春が来た感じです

目次

詩の創作の授業の難しさ

勉強会の中で、詩(ここでは自由詩)を書かせることの難しさが話題になった(「書かせる」は、まあ教員視点の表現なんですがお許しを)。他の伝統的詩歌(俳句や短歌)は形式や季語があって指導の指針があるけど、詩は自由すぎて教える方も書く方も困る、そして提出された作品も良し悪しをどう評価して良いかわからない。

その意見に十分な説得力を感じつつ、僕は僕で、「良し悪しをどう評価して良いのかわからないことこそ、詩の創作の大きなメリットじゃないか」という意見を出した。詩の創作授業をして書かれた詩の質を評価するとしたら、確かにとても難しい。僕はたぶん一般の国語科教員に比べたら詩をけっこう読んでるのだけど、詩って本当になんでもありなので、個人的な好みの基準はあっても、良し悪しの基準はさだめようがない。しかし、だからこそ、詩は作品の質を評価することから自由になれる。作品の質の良し悪しを言わなくても良いのが詩の創作指導の良いところ、というのが僕の立場である。しかし、同時に、だからこそ、学校の教育現場と詩の創作指導は相性が悪いのだろう。小学校ならまだしも、中学校、高校と校種が上がるにつれて、提出物の質で評価する傾向が強まる中で、提出物の質の評価になじまない詩の創作がなんとなく敬遠されるのも納得がいく。

詩の創作では、創作のプロセスと振り返りに焦点を当てられる

「だから詩の創作の授業はやらない、できない」という判断もあるし、実際に多くの学校ではそうなのではと思うけど、僕が風越学園で力を入れたいことの一つが、この詩の創作だったりもする。それは、僕が私淑するナンシー・アトウェルの影響もうあるけれど、「質の良し悪しを判定できない」詩の創作には、「結果としての作品の質を高めるプレッシャーから解放されて、作品を書くプロセスや、そのプロセスの振り返りに焦点を絞れる良さがある」と思っているからだ。

誤解のないように書くと、僕自身は、詩創作の授業で、書き手としての生徒が「作品の質を高めようとしない」とも思ってないし(書き手はいつも、自分が表現したいことを表現するのに一生懸命なのだ。自由すぎて困るのは、一生懸命表現しようとしている証拠)、教員がそこにコミットしなくて良いとも思っていない。詩には色々な表現技法の宝庫だし、その短さゆえに様々な表現技法を短時間で教えられるメリットもあるので、僕は積極的に教えると思う。

しかし、そうだとしても、最終的にどんな技法を使うか、使わないか、結果としてどんな作品が書かれても、(例えばパラグラフ・ライティングで意見文を書くのと違って)良し悪しを決めにくいのが詩の創作の良いところだ。自分で思うままに、あるいは外部からの制約や偶然性を利用して、言葉を使って何かをしてみる。評価を気にせずにそのプロセスに集中できるし、作品自体が評価しにくいからこそ、「どうしてここでこの言葉を選んだのか」「この作業中にどう感じたか」など、書き手の意図や感情にフォーカスした振り返りもできる。こうする中で、言葉を扱う書き手としての自覚や、言葉を操作する感覚が、自然と身についていくのではないか。

「言葉の造形遊び」としての詩の創作

小学校の図工の学習指導要領には「造形遊び」という活動がある。結果として出来上がる作品の質を高めることを目的とせずに、造形活動そのものを味わい、ものを作り出す喜びを味わうことが目的の、元・中高教員の僕からすると「こんなものもあるのか!」とびっくりするのだけど、詩の創作って、この「言葉の造形遊び」なのだと思う。結果としての作品の客観的な出来不出来をあまり気にしなくて良いからこそ、自分で思うままに言葉と遊んで見る、言葉を使って、自分がより良いと思う表現を作る実験ができる場。それが詩の創作の授業。

そういう詩の創作授業の意義について、島根県立大学の中井悠加さんが、下記の本に「詩を創作するということ」という文章を寄稿している。

中井さんは、「言葉のティンカリング」(ティンカリング=いじりまわすこと)という表現で、図工の造形遊びのように、言葉をその音や形も含めていじり廻し、試行錯誤して、言葉の面白さと出会い直す機会を持つことに、詩創作の意義を求めている。僕も本当にそう思う(この文章、とっても良いので、関心ある国語の先生たちは僕のブログよりこっちを読むべき)。

繰り返すと、結果としての作品の出来不出来を気にせずに、自分の意図はもちろん、強制や偶発性などの外部からのきっかけも利用しながら言葉を遊ぶ中で、言葉を操作可能なものとして捉え、書き手としての鋭敏な感覚を養っていくこと。それが、詩創作の主要な教育的な意義だと僕は考えている。ここで培われた感覚は、当然、小説や説明文などの他の言語表現にも活かされるはずだ。

詩の創作授業を考えるためのブックリスト

と言っても、詩の創作の授業をどうやれば良いかは、なかなか難しい。それで、自分の整理も兼ねて、本棚を見ながらこれまで自分が読んで参考になった本をあげてみる。僕は以前に「好きな詩に出会うためのブックリスト」を書いているけど、今回はそことの重複は避けた。

授業用に、個人の楽しみに。好きな詩に出会うためのブックリスト

2018.03.08

近藤真『中学生のことばの授業 詩を書く・詩を読む』

まず僕が好きなのは、近藤真『中学生のことばの授業 詩を書く・詩を読む』。著者(今は校長先生?)が色々な中学校で実践した詩の読み書きの授業をまとめたもので、詩の丁寧な読み取りと、詩をもとにした子どもたちの自由な創作を応援する姿勢の両立に感銘を受けた。安西冬衛「春」の読みの授業は、僕も自分の授業で大いに参考にさせてもらった。

卯月啓子『教室に広がる詩の世界』

詩を読むことと書くことをつなぐ、という観点からは、小学校での詩の授業実践事例が豊富な卯月啓子『教室に広がる詩の世界』も素敵。とにかくたくさん詩を紹介して、子どもたちの生活の身近なところに詩があるようにする。そして、その中から好きな作品をアンソロジーにしたり、自分たちで書いた詩もアンソロジーをしたり…という素敵な実践事例の詰まった本。

僕がいま風越で「今日の詩」という授業日に毎日詩を紹介するのも、この本の影響が大きい。子どもたちに詩を好きになってもらうには、詩が好きな授業者がとにかくたくさん詩を紹介するプロセスが必要なように思う。

畑島喜久生『中学生のための詩の創作』

畑島喜久生さんも、詩の創作に関する本をいくつか出している。個人的には、中学生向けの詩の鑑賞と創作のシリーズ「中学校 教科書にでてくる詩の本」の中の一冊、畑島喜久生『中学生のための詩の創作』が、具体的な詩の創作のステップや詩の技法、詩とは何かという話も入っていてとても良かった

同じ著者で、やや分かりにくさもあるけどユニークなのは、畑島喜久生『子どもに向けての詩のつくりかた入門』か。創作の授業の本ではなく、子ども向けの詩の創作の理論と技法を書いた本なんだけど、乳児・幼児・小学生低学年・中高学年・中学生と発達段階別に分かれているのが特徴で、創作の授業の視点として有益。おそらくこの分類や特徴の妥当性には異論もあると思うけど、小学校低学年が面白がる詩と中学生が面白がる詩の違いを言語化しているのが面白い。小学校3年生以上の幅広い年齢に関わる今の自分にとっては、こういう視点は助かる。

関係ないけど、詩関連の本ではアンソロジーを多く編んでいる水内喜久雄さんもいて、畑島さんとよく名前がごっちゃになってました…

難波博孝・山元隆春・谷栄次 編著/広島大学附属東雲小・中学校国語科『詩とイマジネーションの教育』

同じように、子どもの発達段階を意識しながらそれぞれの学年に応じた詩の授業実践を集めたのが、広島大学附属東雲小・中学校国語科『詩とイマジネーションの教育』。明治図書らしくハンディで読みやすいつくりだけど、内容は充実している。個人的には先述の中井悠加さんが関わった「詩人の時間1」で、「形が変わらないもの」「形が変わるもの」という二つの契機を使って詩を書く実践が面白かった。あと、ピア・カンファランスを柱にした宮本隆裕さん(東雲小学校)の詩の創作実践で、ピア・カンファランスが必ずしもポジティブに機能しない面について率直に書かれている部分があって、とても共感した。個人的には、ピア・カンファランスは(詩に限らず)良いところの指摘だけでも良いのではないかとも思っている。

児玉忠『詩の教材研究 「創作のレトリック」を活かす』

詩の教育の歴史をまとめ、現状とその課題を踏まえて、詩をレトリックの観点から整理して教えることを提案しているのが、児玉忠『詩の教材研究 「創作のレトリック」を活かす』。「視点・語り手」「発想・認識」「想像・イメージ」「比喩・象徴」「オノマトペ」「音韻・リズム」というレトリックの観点別に、詩の鑑賞と創作をつなげる試み。中学校や高校の詩の授業では、こういうレトリックの観点から詩を学ぶのは極めて有益だし、実際に授業もやりやすいだろうと思う。日本の児童詩教育の歴史についても詳しくまとめられていて、長年詩の研究をされてきた著者ならではの本。

日本言語技術教育学会長岡支部『「詩の技法」をどう教えるか』

児玉先生の本よりも、もっと技法に振り切った本がこちらの本。詩人の小海永二監修・日本言語技術教育学会長岡支部著の『「詩の技法」をどう教えるか』である。繰り返し・律・比喩・倒置・対句・一字下げ…など、詩の技法について、具体的な詩の引用とともに解説した本

僕自身は、創作を含めて詩の授業の目的は技法を教えることではないと思うけど、詩の授業において技法を教えることはあるし、何よりも、授業者がこの視点を持っていないと子どもの創作詩をコメントするときの引き出しが不足してしまう。そういう意味で有益な本。それにしても、ここまで技法に徹底すると、かえって清々しい。

一般向けに詩の創作を勧める本たち

他にも、子どもや一般向けに詩の創作を勧める本にも良いものがある。吉野弘『詩の楽しみ 作詩教室』は、茨城のり子『詩のこころを読む』と並ぶ岩波ジュニア新書の詩の本だけど、この人らしく?理論が勝っていて、詩とは何か、詩の解説など、読み応えがある。生徒が読むなら高校生以上かな。基本的には先生向け(この本のみ、詩と出会うブックリストとの重複)。

詩人の川口晴美・渡邊十絲子『ことばを深呼吸』は、著者たちが実際に一般の人向けに行った詩のワークショップを書籍化したもの。

この種の本は、受講生の作品に対する詩人たちのコメントが本当に素敵。自分ではこんなコメントできないなあ…と思いながら、楽しく読める本。

古本だけど、子ども向けの詩の創作入門で個人的にとても面白かったのが、詩人の大木実『詩を作ろう』(さ・え・ら文庫。昭和43年の本で、アマゾンに書影なし)。これ古い本なんだけど、詩とは何か、詩を創作するときの心構えから始まって、詩の分類(抒情詩・叙事詩、定型詩・自由詩、散文詩)の話、そして西欧の近代詩の流れ+それぞれを代表する詩人まで平易に書いてある。子ども向けの本なんだけど、こういう歴史まできっちり書いてあるの、いいなあと心から思った。今そのまま復刊したら、きっと高校生・大学生・国語の先生にとっても有益な本になるはず。もし古本で見つけた方がいたら、即購入をお勧めします。

おすすめの本、教えてください!

と、本棚を見ながらブックリストを作ってみました。見落としも、まだ僕が読んだことのない良い本もたくさんあると思います。もし詩の教育や詩の創作指導に興味のある方がいたら、ぜひ教えてください。よろしくお願いします!

 

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