文字のない絵本を読んでいる

いま、中1の国語の授業で、ガブリエル・バンサン『たまご』という、文字のない絵本を読んでいる。大きなたまごと人間の関わりを描いたちょっと謎めいた絵本。

たまご‐L’OEUF (ガブリエル・バンザンのえほん)
ガブリエル バンサン
ブックローン出版
1986-10


授業は、この絵本について考えたい問いを各クラス3つ出してもらって、それについて探究・発表するグループ学習形式。文字がないので、生徒は絵を手がかりに自分たちでストーリーをつくっていくしかない。その面白さもあるけれど、何より、絵本を「読む」ことと本を「読む」ことの共通性から、「読む」という行為についてメタに考えるためのきっかけとしていい材料なのではないかなと思って使っている。だから最終的には絵本の解釈そのものよりも、「絵本を読んでいる時に、自分たちは何をしていたのか。読むとはいったいどういうことなのか」という議論にたどりつくのが目標。

 去年初めてやってみて「行ける」気がしたので、自分の授業レパートリーとして育てていきたくて、今年もやっている。ところが、今年はクラスごとに考えたい問いを決める段階で、ちょっと予想外の展開になった。あるクラスで「この絵本に台詞を入れるとしたらどうなるのか」という問いを出した子がいて、それが皆にうけて、三つの問いの一つとして選ばれたのだ。なるほど、それは面白い。こういう展開を想定していなかったのは甘かったな。

せっかくなので、そのクラスだけ別のワークシートを作って、「まずは台詞やナレーションを考えてみる。その中で、他の二つの問いにも解釈を与える」ように変えてみた。最終的には他のクラスとそう乖離しないはずなんだけど、このクラスだけ余計に時間はかかってしまう。発表も、問いに対する解釈の発表じゃなくて、このクラスだけ「絵本を実際に朗読する」形式に変えたから、そこでも時間をとるはず。

授業者としてはどこかで帳尻を合わせないといけない。でも、こうやって「生徒の発言で展開が変わる」っていうのは僕はわりと好きだ。こういうのは必ずしわ寄せがくるから逆向き設計の観点からは歓迎されないし、評価もいい加減になってしまうけれど、でも、そういうマイナス面を認めた上で、それでも好きだ。生徒にも、自分が参加してこの授業を作っている、自分がいなかったら今日の授業は成り立たなかった、という感覚を持ってもらえたら嬉しい。だから今回も、先のやりくりを考えるのは後回しにして、とりあえずこれで行ってみようと思ってしまった。さて、どうしようかな。

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この授業、本物の絵本を22冊ずつ用意して、11のグループにそれぞれ2冊ずつ与えている。木炭で描いたタッチが繊細な絵本なので、コピーではなく本物が欲しかったところ、司書さんが公共図書館をフル活用して集めてくれた。学校司書がいなかった数年前まではできなかった授業でもあって、これは司書さんに感謝するしかない。
 

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