今週、風越のアドベンチャー・プログラムで、5・6年生の一泊二日北八ヶ岳登山の引率をした。同僚のKAIさん(甲斐崎博史さん)が全体を設計し、ゆっけ(井手祐子さん)が登山の担当として中心的に動いてくれたこの登山行事、通常の「学校登山」と色々と違うところがあって面白かった。だから、このブログでは珍しく、国語の授業以外のことだけど書いておきたい。ただ、子ども一人一人のエピソードというよりは、全体的な仕組みのことになる。
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「学校登山」の難しさ
コロナ禍で大打撃を受けているが、長野県には「学校登山」の伝統がある。中高生が一学年みんなで、八ヶ岳の硫黄岳や北アルプスの燕岳など、有名な山に登るのだ。そして、長野県でなくても、集団登山を行事としておこなう学校は少なくないはずだ。僕の前任校も高校1年で、長野県の四阿山・根子岳に登るのが恒例行事だった。
ただ、こうした学校行事としての登山は、望ましくない結果を生むことも多い。全員でいく以上、教師側がどう工夫しても「行きたくない子」は一定数いるからだ。僕の長女も学校登山で中2の時に硫黄岳に登ったのだが、悪天候の中、湿気の多い山小屋に泊まらなければならず、友達との語らい以外の山登りそのものは、どちらかというと不快な体験として残ったようだ。僕もかつて前任校(母校)の行事で四阿山・根子岳に登るのが、嫌で嫌でたまらなかった。いくら教員側が「最初は嫌がっていても、山頂に到達する充実感を味わってほしい」「素晴らしい景色を見て感動してほしい」と良かれと思ってやっても、受け取る側はそういうわけにはいかないものだ。
一方の教員側も、特に登山が好きでもない人にとっては苦痛だし(かつての僕はそうだった)、何より多ければ一度に100名以上が登るのだから、安全管理面での負担が大きすぎる(という以前に、かつての自分が登山の基本について何も知らなかったことを、山に登り始めるようになってから実感している。あんな状態で引率してたなんて…)
そんなこんなで、良かれと思ってやっている学校登山が、いろいろな難しさを生んでいる気がしている。近年下火なのも、コロナだけのせいではないかもしれない。
そして、今回のアドベンチャー・プログラムの登山は、意図したわけではないにせよ、そういう「学校登山」の抱える難しさに、結果的に正面から向き合っていた。
選べること、改善の機会があること
まず、「登山」は「ロッククライミング」「ブッシュクラフト」「トレイルハイク」と並ぶアドベンチャー・プログラムの選択肢の一つで、子どもたちは4つのプログラムの中から一つを選んで参加していた。この時点で「嫌々行かされる」人は少なく、結果的にモチベーションも高くなる。そして、選択制なので、一回に行く人数も少人数で、5・6年生は15名ほど。100名にもなるとパーティー(一緒に登山をする集団)意識を持つのは不可能だが、20名以内なら、子どもたちもパーティー意識を持てる。
また、今年は年間3回、選んだアクティビティを同じメンバーで実施する設計なのも大きい。一度きりの登山では、ただの「お客さん」だが、回数を重ねることで前回からの変化や次への目的意識が生じるし、パーティーとしての意識も強まっていく。こんなふうに、全体設計の中に子どもが「選べること」と「改善の機会があること」が用意されている。
教員の側も、学年内で分担とはいえ4つのプログラムの中から選ぶので、自分の興味を生かせる。リーダーのゆっけが山歩きや自然観察の経験が豊富なのはもちろんだし、僕もかつてよりは多少は意欲的だし役立てる場面もある。他にも、この人数なら教員の目も届くし、年間3回の行事があるので、一つ一つの行事が「点」ではなく「線」で繋がるように設計する余地もある。おまけに風越の場合、贅沢にも登山経験豊富な専門のガイドさんがつくので、本当に心強い。引率側としても本当に恵まれていると思う。
子どもに決める余地がある
こうしたアドベンチャー・プログラムの全体設計に加えて、登山それ自体のプログラムも良かった。一言で言うと、子供が決める余地が大きかったのである。第1回目は黒斑山から草すべりを経て浅間山(前掛山)の下腹部に降りるコースをスタッフが決めたのだが、第2回目は、宿泊する山小屋(北八ヶ岳の麦草ヒュッテ)だけスタッフがガイドさんと相談して決めて、そこを起点にどこの山を登るかを子どもたちが決めたのだ。事前学習の時間に、登山地図を見て、コースタイムを考えながら、こっちに行きたい、あっちは行けるかと考えて、コースを決める。結果、5・6年生と中学生では、拠点は同じ山小屋でも違うコースになった。
そして、自分たちが決めたコースを、数名の子たちが「下見」して実際に歩いたのも大きい。「子どもが下見に行くのは聞いたことがない」とガイドさんが目を丸くしていたが、僕も同感。これはゆっけのアイディアなのだけど、本当に素敵な提案だった。
下見の時、時おりはさまれるガイドさんのレクチャーを受けつつ「次は俺たちがこれをみんなに伝えないと」と話す彼ら。登山地図を見て地形やエスケープ・ルートを確認したり、木に貼られた目印のテープを見たりしながらコースを確認する姿は真剣そのもの。下見を経ての本番でも、彼らのうち誰かが先頭に立ち、後方に気を配りながら進んでいった。下見に行くことで、この登山行事が「自分たちの登山」になったのだと思う。
そして、当日にも「子どもたちで決める」場面はあった。予定よりも行動が遅くなり、このまま予定通りに先に進むかどうかの判断を迫られた時のこと。僕を含めたスタッフは、「何時までに行動を終了すべきこと」「今は標準コースタイムと比べてこれくらいの時間がかかっていること」などの情報は提供するし、出ているプランの整理はするけど、結論は出さない。話し合いの結果、子どもたちは当初の予定通りの周回コースを断念して、下まで確認したエスケープルートを使って戻ることになった。山登りでは、これも大事な決断だ。こんなふうに、今回の登山は子どもたちが決める余地がそこかしこにあって、それが彼らの意欲の高さにつながったと思う。
登山当日、僕はパーティーの後方の方を歩く担当で、同じ子と一緒に歩くことが多かった。その子が会話の中で、「次はお母さんと登ろう」という話をするので「山登り好きなの?」と聞くと「うん」と答えてくれたのが、妙に印象に残っている。それは単に、後方を歩く子ってどうしても歩くのが遅かったりそもそも歩きたくなかったりで、山登りがあまり好きでない先入観を、僕が持っていたせいかもしれない。でも、現在進行形で山が好きになっている僕は、子どもたちにも「山が好きになってくれたら」という思いを持っているので、この子の返事がとても嬉しかった。結局、登山行事は、「山っていいな」って思ってもらって、その後につながるのが一番のゴールだから。
エッセンスを活かせたら…
というわけで、KAIさんが全体設計を、ゆっけが登山部門の設計を担当してくれている今年のアドベンチャープログラム、とてもいいなあと思っている。少人数であること、子どもが下見に行くことなど含めて、普通の登山引率よりもずっと手間がかかっているけど、その分の手応えも大きい。
そして、このやり方、予算や時間や他のこととの兼ね合い(例えば、子どもが授業を抜けて下見に同行すること)もあって、なかなか多く学校では真似しにくいとも正直思う。ただ、それでもわざわざここに書いたのは、「全てを真似するのは難しいかもしれないけど、エッセンスをどこか活かせるのではないか」とも思うから。
かつては登山行事が嫌いで、今は登山が好きになりつつある僕としては、やっぱり学校での登山行事で、参加する子たちに登山が好きになってほしい。でも、それは「大変でも綺麗な景色を見れば感動して達成感を得るはず」というほど、単純じゃない。無理やり連れてこられた嫌な子は、綺麗な景色を見るころには疲れ果ててるかもしれないし、まして天候が悪かったら嫌な思い出にしかならない。
今回のアドベンチャー登山、「選べる、少人数で行ける、自分たちで決められる、改善の機会がある」は、大事なキーワードだった。「一回だけ、大人に連れて行かされる登山」から「経験をつないで、自分たちで計画して行く登山」へ。全部は無理でも、そのエッセンスを活かした学校登山が増えたらいいなと思う。そして、風越のアドベンチャー登山はあともう一回。今回の経験を次にどう繋がるのか、これからの準備の時間も楽しみだ。