「読書文化」をつくることへのチャレンジ

6月1日から、風越学園は通常登校。これまで、オンラインのみ、オンラインと分散登校という形でやってきて、3度目の「開校」でした。来週からは、国語の授業も通常のリズムができてきて、早く本格的に国語の授業をしたい僕としては「いよいよ」という感じ。今日はそれに向けてのメモ。

目次

読書文化をつくる大切さ

風越学園での国語の授業は、「心臓」であるライブラリーが教室。ライブラリーの蔵書を活かす意味でも、とにかく「読む」ことを大切にしたい。単に読書好きの子もいるとか、そういうレベルを超えて、読むことが学校の中で当たり前の雰囲気になっている、そんな「読書文化」を学校単位で作れるかどうか。そこにチャレンジしたい。

「読書文化」の大切さは言うまでもない。子どもの読解力が読書量の影響を強く受け、その読書量が家庭での蔵書数の影響を強く受けることからも、それは明らかだ。データだけでなく、個人的経験からもそう思う。僕は読書が当たり前の家庭で育ち、読書好きに育った。僕の妻も読書好きで、そんな両親のもとに生まれた子どもたちも、やはり読むことを楽しんでいる。本がたくさんあること、大人が読書を楽しんでいること、本を読むことが当たり前の「文化」がそこにあること。その影響はとても大きい。

どうやって読書文化をつくる?

しかし、読書文化をつくるのは容易ではない。「読みなさい」と言って読むわけではないし、リーディング・ワークショップをやれば自然に読書文化ができるわけでもない。読書文化を育てるにはいくつかのアプローチが必要だと思う。

たくさんの本と、それを読む時間があること

これは基本中の基本で、リーディング・ワークショップでも大切にされていること。でも、全く馬鹿にできない。たくさんの本と、実際に本に読みひたるための時間は、何よりも大切だ。風越の強みはこれがクリアできていること。

大人が読み手としてのモデルを見せること

読書文化の中心には、熱意のある人の存在が必要だ。子どもにそうなって欲しければ、まずは大人から。大人が過去に読んだおすすめ本を紹介するのはもちろん、「いま」読んでいる本を、展示やブックトークなどの形で紹介して、「大人もいつも読んでいるんだよ」を当たり前に示すこと。スタッフだけじゃなくて、保護者にも協力してもらえたらと思う。学校の図書館で、大人も子供も一緒に本を読みひたる時間がある。読むことが当たり前にある。

本を読んだ記録をつけること

記録をつけるのは、生徒からしたら面倒くさい。でも、記録が積み重なった時に見えてくるものがある。僕は2003年から読書記録をつけ続けていて、それが続いているのは、やっぱり価値を感じているからだ。読むことが自分の歴史を作っている感覚をつけ、これから読みたい本を見つけるには、読書記録はとてもパワフルなツール。これは教師の権力を発動して強いても良いところだと思っている。

本に出会う機会がたくさんあること

日々のカンファランスはもちろん、スタッフからのブックトーク、生徒同士のブックトーク、ブック・パス(短時間で本を交換してお試し読書をするアクティビティ)、図書館のぶらり歩きなど、自分が意図しない本に出会う機会がたくさんあること。

本をめぐって交流する機会があること

読んだ本についての感想や考察を、他の人に伝える場があること。それは、一冊の本を複数人で読み進めるブッククラブでもいいし、複数の本から共通のテーマについて語り合うリーダーズ・ラウンドテーブルでもいい。「話す」のではなく、アトウェルの実践のように、レター・エッセイを「書く」形で生徒同士の読みの交流を行ってもいい。いずれにせよ、本をめぐって交流する機会があること。読み手としての自分と、読み手としてのあなたが交流し、それをお互いに尊重する機会があること。

こう書くとシンプルだけど…

「読書文化をつくる」ために思いあたることを書いてみた。こう書くと、特別なことは何もない。でも、特別でない、本を読むことが当たり前の日常をどれだけ積み重ねられるか。それには、特別でない取り組みを日々重ねる地味な忍耐力が必要なのだ。ビブリオバトルとかオーサービジットとか、あるいは書店と提携した催しなどの各種イベントは、これまで書いた地味な取り組みがベースにないと、文字通りただの「イベント」として消費されてしまう。まずは、イベントではなくて当たり前の日常をつくること。当面は、それに注力したいと思う。

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