ゴールデンウィークの最終日、高校生直木賞の本選考会が行われました。今年は僕の勤務校も参加したので、引率に行ってきたよ。今年の受賞作は須賀しのぶ「また、桜の国で」でした!
目次
高校生直木賞公式ウェブサイト
「高校生ゴンクール賞」をもとにした「高校生直木賞」
そもそもこの「高校生直木賞」、フランスで行われている高校生ゴンクール賞をモデルにして、その年の直木賞候補作品の中から「高校生が選ぶ直木賞」を決めようというもの。(高校生ゴンクール賞については、下記の本を参照)
僕が高校生直木賞を知ったのは、2015年のこと。これを知っていいなあとブログに書いたらなんと主催者の方にご連絡をいただいた。留学からの帰国後に生徒に声をかけて、今回が念願の初参加となった。
校内での一次予選、二次予選
この高校生直木賞、まずは参加21校の各校内で一次予選、二次予選と候補作を読んできて、選考を進めていく仕組みだ。僕の学校から参加した生徒は、当時の高校2年生(今年の3年生)を中心に10名。
この過程で再認識したこと。自分で興味を持って参加した生徒は、本当にしっかり本を読む! 一次予選の時も二次予選のときも、忙しい中なのに本を読んで楽しそうに議論していたのが印象的だった。これこれ。こういう熱を授業に持ち込みたいんだ。でも「必修」「義務」にしたとたんに色あせちゃうんだよなあ、難しい…。
一次予選では、議論の結果選ばれた作品が他校の結果も含めたところすべて選外に落ちるという意外な展開も。僕は「あちゃあ…」と思ったのだけど、生徒はその展開も「面白い」と楽しんでいて何よりだった。
各校の代表者がつどう本選考会
こうして各参加校で候補作が絞られ、そして先日はいよいよ参加21校の代表者がそれぞれの学校の議論を持ち寄って高校生直木賞受賞作を決める本選考会。事前に各校の審査結果に応じたポイントが割り振られて、そのポイントの低い作品から議論して徐々に絞っていくやり方だった。
事前審査のポイント合計では恩田陸「蜜蜂と遠雷」がトップ。しかし、当初は2位だった須賀しのぶ「また、桜の国で」が議論を経て逆転、第四回高校生直木賞受賞作となった。
この最後の2作品を巡る議論はさすがに面白かった。当初は、エンターテイメントとして高い完成度を持つ恩田陸「蜜蜂と遠雷」の面白さが純粋に評価されたのだけど、次第にそのエンターテイメント性の高さゆえの物足りなさ、あまりにキャラクターが「まぶしく」「できすぎている」ことなどの指摘が出てきて、その点で「読後に残るものがある」「他の高校生にもぜひ読んでほしい」という観点で、須賀しのぶ「また、桜の国で」が上回ったのかなと思う。
本の価値は何で決まる?
また、ここまでの議論の過程には、「本の価値は何で決まるのか」「高校生直木賞とはいったいどういう賞なのか」という問いが関わっていて、作品を評する高校生たちの発言の中に、この問いに対するそれぞれの価値観が表れていたのが面白かった。
ただ、この時個人的にやや気になったのは「小説には作者のメッセージがないといけない。それが(あからさまにならない程度に)わかりやすくあらわれているのが良い小説だ」という前提で発言している高校生が複数いたこと。別に小説の目的はメッセージを伝えることだけではないし、色々な読みかたがあっていいと思うんだけどなあ。表現や人物像など、色々な観点から読み取っていい自由なもの。ともするとメッセージに意識が行き過ぎなのは、それこそ国語教育の影響なのかな?と思いながら聞いていた。
その本の良さを引き出す発言が魅力的
また、議論を聞きながらあらためて感じたのが、ある本を評する時に、その本の欠陥を指摘するよりも、良さを引き出すような発言のほうが、やはりずっと魅力的だということ。「選考」なのでどうしても相対的に劣っている点や欠陥の指摘も多かったのだけど、僕の心に届くのは、「それでも、この作品のここが好き。ここがすごい」という言葉。批評って、別に客観的に良し悪しを判定するものじゃなくて、基本的には読者本人との関わりの中でその本の良さを見つけることなんだ。このブログでも読んだ本について書く機会が多いけど、僕もそういうスタンスで書けたらなと思った。
また参加したいです!
聞いている僕も折々に考える機会をもらいながら、3時間半にわたる白熱の議論。キラリと光る発言、すっとしみとおるような評言をする高校生にも出会うことができた。高校生直木賞、これは良かったです。今年うけもちの学年でも希望者がいるようなら、ぜひまた参加したいと思います!実行委員会のみなさま、ありがとうございました!