学習指導要領「書くこと」を読む:系統性重視の第2期(1956-1970)

下記エントリからスタートした、学習指導要領の「書くこと」領域を読もう企画。本日は第二弾。現在50歳〜70歳代なかばまでの方が習った学習指導要領をひとまとめとしてみた。

 

学習指導要領「書くこと」を読む:理想に燃える第1期(1947-1951)

2015.08.12

(1)1956(S31)年告示、1956(S31)年実施【校種:高校】
(習った世代:67〜74歳)

 ▷ 高等学校学習指導要領国語科編

(2)1958(S33)年告示、1962(S37)年実施【校種:中学】
(習った世代:57〜66歳)

 ▷ 中学校学習指導要領昭和33年改訂版第二章第一節国語科

(3)1960(S35)年告示、1963(S38)年実施【校種:高校】
(習った世代:58〜66歳)

 ▷ 高等学校学習指導要領昭和第二章第一節国語科

 1951年までは、⑤実用的な文章を重視しながら、②創作の意義も強調していた学習指導要領だが、1950年代後半から60年代になると、がらりと様子を変える。まず、(1)1956年告示の高校学習指導要領で、②創作は「場合によっては」扱う程度に大幅に縮小され、「個性」といった創作言説のキーワードも出てこなくなる。そして、1960年代になって(2)(3)の指導要領では、②創作が完全になくなってしまうのだ。

代わりに出てくるのが、①言語技術に関する知識を系統的に教えようとする姿勢。また、⑤実用文重視はいっそう強まり、「生活に必要な国語の能力」「目的や場に応じて」などの表現が頻出する。第1期にあった教科横断的な姿勢や子どもの実態を観察する姿勢も失われ、代わりに、国語科の中で体系的に作文知識を教えようとする姿勢が強まっている。総じて、「決まっている知識をどれだけきちんと身につけることができるか」という学習観、「文法的に正しい文章を書けるような系統的なプログラムをつくる」という作文教育観が前面に出てくる指導要領である。

実はこの「体験重視か系統性重視か」「教科横断(総合)か、国語科で扱うか」は作文教育を論じる時の典型的二項対立だ。この時期は戦後の体験学習が「這いまわる経験主義」と批判され、系統性にこそ教育の科学性があるとされた時代なのである。こうした時代背景も含めたこの時期の論争について関心のある方には次の本(古本)がお薦め。

 

(4)1969(S44)年告示、1972(S47)年実施【校種:中学】
(習った世代:48〜56歳)

 ▷ 中学校学習指導要領第二章第一節国語科

(5)1970(S45)年告示、1973(S48)年実施【校種:高校】
(習った世代:49〜57歳)

 ▷ 高等学校学習指導要領第二章第一節国語科

1970年前後になっても基本的事情は変わらない。重視されだした①言語技術は、この時期になると「書くこと」から独立して「ことばに関する事項」として扱われるようになり、書くことの領域では記録・報告・説明のような⑤実用的文章の書き方が相変わらず中心となっている。総じて、とにかく実用文一辺倒になっていった時期、と言って良い。

それにしても、この第1期(1947〜1951年)から第2期(1956〜1970年)の転換は、「反動」という言葉を使いたくなるほどに印象的だ。当時の社会が逆コースをたどって教育の国家統制が強化され、高度経済成長にいたる雰囲気をそのまま反映しているようである。

ところで、この転換期を、教師はどう感じていたのだろう。ショックを受けた人、特に迷うことなく変化する体制に順応していった人、あるいはこれこそ科学的で正しい教育の姿だと思った人、それぞれだったのだろうか。

そういえば、無着成恭の生活綴方実践「山びこ学校」が戦後民主主義教育の金字塔とまで大絶賛され、しかしやがて無着自身がその実践を捨てて明星学園で科学主義的教育を標榜していくのも、この時期のことである。思えば無着成恭は、こうした転換期を一人の教師として生きた人物なのかもしれない。もう一度彼にまつわる本を読んでみようかと思う。

山びこ学校 (岩波文庫)
岩波書店
1995-07-17





(8/16追記)続き

 

学習指導要領「書くこと」を読む:削減と模索の第3期(1977-1999)

2015.08.16

この記事のシェアはこちらからどうぞ!