「そもそもなんで生徒同士で作文を推敲しあうのか?」と聞かれることがある。作文教育に熱心な先生の中には、教師の添削指導や個別指導こそがあるべき姿であって、生徒同士で助言や質問などしても、まともな質のものにならないと考えている方もいる。
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これに対する僕の一番の答えは、いたってシンプルだ。「自立した書き手を育てるのが作文教育の目的だから」である。教師が推敲してやっては、推敲をする経験を生徒から奪ってしまい、自分で自分の文章を推敲できる自立した書き手への道が遠のいてしまう。
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また、教師が一人で頑張る個別指導の代表例は添削指導だけど、そのモデルは一定の条件が整わないとうまくいかないし、日本の40人学級はその条件を満たしていないことを、このエントリで書いた。
※(5)まであります
僕は基本的に「教師が私生活を全て教育に費やして頑張るモデル」を支持しない。だから、(もちろん出来ないんだけど、仮に出来たとしても)大村はまの真似をするつもりがない。 彼女のように教育に心血を注いで最高峰を示すというあり方は、大いに賞賛されて良い。しかし、僕はやらない。僕個人としても「他人の子供よりも自分の家族のほうが大事」だし、国語教育という観点から考えても、持続可能なモデルを作らない限り、後が続かないと思っている。少なくとも、ごく一部の鉄人教師しかできないような個別の添削指導や面談指導のような仕組みは、持続可能でない。アトウェルだって、抱える生徒数は20人なのだ。
だから、積極的にも消極的選択の結果としても、生徒同士の共同推敲、いまふうの言葉で言うとピア・フィードバックの作文教育への導入は、当然なされてしかるべきだと思う。
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Gielen,
Sarah et el.(2010) “A comparative study of peer and teacher feedback and of
various peer feedback forms in a secondary school writing curriculum” という論文は、ピア・フィードバックが教師からのフィードバックと同等の効果を持つことを主張している。その論文の先行研究をまとめた箇所で、ピア・フィードバックの効果として次の点がまとめられている。
①課題にとりくもうというプレッシャーを生徒に与える。
②教師のフィードバックよりも、生徒にとってより理解しやすく便利だと認識されやすい。
③フィードバックそのものについての理解が増す。
④早い。(教師のフィードバックにはしばしば時間がかかる)
⑤ピア・フィードバックによって、頻繁で多量なフィードバックが可能になる
⑥フィードバックが個別化される。
⑦教師に対する時よりも権力の問題に敏感にならずにすみ、弱点や疑いを隠すことが少なくなる。
どれももっともな指摘だと思うけど、このうち僕が特に大事だと思うのは、「早い」「頻繁で多量のフィードバックが可能になること」だ。フィードバックは、とにかく書き手の書く意欲が冷めないうちに、早く、頻繁に行わなくてはいけない。一週間後の丁寧なフィードバックよりも、短いその場のフィードバックである。それを日本の教室環境で満たせるのは、ピア・フィードバックしかないと思う。