リーディング・ワークショップの初期に扱う大事なミニレッスンは、自分に合う本を選ぶこと。

6月ももう半ば。「作家の時間」では、二つ目の作品集が出版作業を終えて、これから出版記念オーサーズ・トークや書き出し選手権の結果発表など、出版後の取り組みに入ります。読書家の時間は、ちょうど10コマが終わったところ(風越は教科の授業外のことが多いせいか、意外に少ない!)。下記エントリで、「作家の時間」初期のことを書いたので、今日は読書家の時間の初期に大事にしていることについて書きます。

「作家の時間」の初期によく言う「それは◯◯じゃないよ」というセリフ

2025.05.12
6月上旬、軽井沢町の合同研修で浅間山の旧火口エリア・湯の平を歩いてきました。正面にそびえるのは黒斑山。迫力ありますねえ…

ここまでのミニレッスンの中心は…

「おそと読書」(森での読書)や「詩と音読の日」、そして絵本の読み聞かせなどもはさみつつ、ここまでのミニレッスンでは中心的に扱ってきた話題がありました。それは、「自分に合った本を選ぶ」こと。

もう少し丁寧に書くと、一番最初には(毎年その取り扱いに迷いを抱えつつも)ダニエル・ペナックの「読者の権利10か条」を今年も扱い、読書記録としての「読書1万ページ」の書き方を教えて、そこからは「自分に合った本を選ぶ」をテーマにしたミニレッスンを4回やってきました。いわく、「良い読み手とは、難しい本を読める人や、速く読める人ではなくて、自分に合った本を選べる人」という話からはじまり、自分がどうやって本を選ぶかをふりかえり、それから、扉、目次をめくってなんとなくの内容を確認したり、字の大きさ、イラストの量、言葉の難易度などから自分なりに読みやすさを判断したりすることを扱って、最後にはクラスメートが読んでいる本を並べた上で、その点検読書(自分にあった本かどうかのチェック)をするところまで。友達のおすすめでも、あすこまのおすすめでも、最後は自分で判断する、ということを大事にしてほしいと呼びかけてきました。

「読めない子」が社会的に構築される現象の重さ

僕がこれまでの読書家の時間でずっとこういう導入を繰り返してきたわけではありません。過去には楽しさ優先でひたすら読み聞かせを重ねたこともあれば、本の紹介を繰り返したこと、先達のKAIさんにならって「すぐれた読み手がつかう方法」を扱ったこともある。でも、今なんとなく、導入期はこのミニレッスンに落ち着いているのは、2023年度に受け持った、「周囲から『まだそんな易しい本を読んでいるの?』と言われて、自分に合った本を選べなくなってしまった子」の存在が大きいと思います(その子については、下記エントリの後半部分について書いてある)。

読書家の時間と「能力」をめぐる問題:日本国語教育学会のシンポジウムふりかえり。

2023.08.20

「自分に合った本を選べる」能力を持っていたはずの子が、「厚い本や難しい本を選べる人が優れた読み手」という別の能力観を内面化した子によって、「まだそんな易しい本を読んでいるの?」と言われ、授業中に自分が読めない本を広げて場をやりすごすようになる。いわば自分の授業の中で「読めない子」が社会的に構築されてしまった問題は、僕はとても重く受け止めていて、だからこそ、その後、「厚い本や難しい本を読める読み手がすぐれた読み手なのではない。自分にあった本を選べる子がすぐれた読み手である」という能力観を、強く押し出すようになってきました。そんな流れで、今年度も最初のミニレッスンは「自分に合った本を選ぶ」にフォーカスをあてたというわけです。

読んでいる本はさまざま

というわけで、今年も僕の受け持ちの授業で読まれている本の種類はさまざまです。たとえば僕はもともと良書主義なところがあって、風越に来た当初の2年間くらいは「5分後」シリーズなんかはあまり好まなかったのだけど、今や「5分後」シリーズは一大勢力。『かがみの孤城』やローワンのような僕好みの本を読んでいる子もいれば、読書が苦手な子は図鑑やコミックエッセイを開いている子もいる。オーディオブック機能を使って「聞く」子もいますね。

その弊害?も当然あって…

でもまあ、これは良いことばかりではなくて、ご想像の通り、2022年度頃までの僕の「読書家の時間」と比べると、読まれている本のレベルは確実に下がっています(笑) 「自分に合った本」を選んで良いとなると、つい楽な方向に行ってしまうのは人間の性だものね。このへんは、そうは言っても「力をつける」場としての授業とのかねあいもあって、そんなきれいな話では収まらないなあと、我ながら思います。その子のレベルに対して易しい本を読み続けている子には、別の本を紹介してみたり、レベルアップのための本を紹介してみたりして、まあ、矛盾したことをやっているわけです。

それでも「自分に合った本を選ぶ」は、リーディング・ワークショップの大原則だと思います。量・速さ・活字の大きさなど、可視化されやすい要素で子どもたちが「読める/読めない」の序列軸に並ばされないためには、この「自分に合った本を選ぶ」こそをもっとも大事な原則として提示することが不可欠だ、というのがいまの僕の立場。そこからスタートして残りの期間も頑張っていきましょう。

 

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2 件のコメント

  • 時々拝見しています。あすこまさんの言葉から、いつも元気をもらっています。
    自立した読み手として、自分に合った本を選ぶという視点を持つことは、何とも深い問いを孕んでいる気がします。というのも「自分に合う」とはどういうことかをある程度は明らかにしておかないと、あすこまさんのおっしゃる通り、安易な選択が続いていくことになりそうだからです。
    「自分に合う」という考え方を、哲学対話で一緒に考えたり例示したりすると良いのかなとも思いました。例えば、「自分のレベルを上げるという意味で合っている」とか、「楽しく読み進められる」という意味で合っているとか。その点をあすこまさんは児童生徒との対話の中で行われているのかなとも思いました。
    いつも示唆をいただいています。ありがとうございます。

    • コメントありがとうございます。基本的には「読む力をつけるには、楽しく、たくさん読めることがいちばん」という方針から、「楽しく読める、難しすぎない」=「自分に合った」という意味でやってます。あと、見開きの中に未知語が1〜2個くらいの方が意味が類推できるからいいよとか、そんな話もミニレッスンでしてるのですが、でもよく考えると、「自分に合う」ってたしかにすごく哲学的な問いですよね。コメントいただいて、「自分に合った本ってなんだろう」という問いで、抽象的に哲学対話してもいいくらいの問いなのかな、とも思いました…。