「ゆるやかな学習共同体」への第一歩?

一昨日夜からの胃腸炎に、引き続き苦しんでいる。お腹を下して、全く食べられない。にもかかわらず、一日中、濃厚豚骨つけ麺を食べた直後のようなお腹のもたれ具合や胸焼け具合で気持ち悪い。「今回のトラウマでつけ麺が食べられなくなったらどうしよう」と心配したら、妻に「むしろ毎回そんな食後感ならなんでつけ麺食べたいの?」と聞かれてしまった。いずれにせよ、娘まで同様の症状で体調を崩して寝込んでしまい、もともと体力のない妻は週末なのでばてており、胃腸炎を家庭内に流行らせた張本人の息子は退屈で暴れ、と家族揃って冴えない週末。

横になりながら時々は起き上がり、気力のある午前中のうちに「現場の教員のための質的研究法講座」の宿題をやる。「学習におけるゆるやかな共同体」をどう考えるかについての、小学校教師の岩瀬直樹さんと僕へのインタビュー文字起こし原稿から、概念モデルをつくる宿題。 他にも同じ作業をするグループメンバーはいるから、叩き台としての「とりあえずのモデル」を出す意味でえいやっと作ってしまう。

この質的研究法講座で、練習のために参加者でインタビューや文字起こし、モデル作成の体験をすることになった時、僕は岩瀬さんへのインタビューを希望した。それは、見学者が「生徒が自立している」「個別に活動しているのに孤立していない」と感想を語る今の岩瀬さんの授業実践(「今の」と書くのは岩瀬さんの授業はどんどん変わるようなので)に興味があり、どうしたらそんな授業ができるのか、秘密を知りたかったからだ。

それが話の流れで、比較対象として自分もインタビューされることになってしまい、正直、若干気後れする面もあった。でも、こうやって自分の声が文字になったものを何度も読むと、この形式は自分のためになったと思う。公立小学校の先生である岩瀬さんと、中高一貫校勤務の僕と、職場の環境はとても違うのだけど、理想としている「ゆるやかな学習共同体」のイメージは共通してる部分もけっこうある。でも、そこにたどり着くために自分に全然できていない具体的な手立てを、岩瀬さんはとてもしっかりやっている。そのことが、とてもよくわかった。


 
個人が、安心して自分で選択でき、挑戦でき、失敗できること。権力者である教師によって「みんな」を強いられたり、教師の意図の忖度合戦に走らずにすむこと。能力の差異や優劣があることを受け入れつつ、その優劣を気にしないで事柄に没頭して自分なりの成長を実感できること。

すべての子が、能力の差異に関係なくそのような自由を理想的に行使するためには、各自の自由を支える基盤が必要で、それが「ゆるやかな共同性」なのではないか。そういうものが基盤にないと、自由はただの「強者のための自由」になってしまう。そう思ってきた。

では、どうやったらその「ゆるやかな共同性」を築けるのか。自分にはその具体的な手立てが全くよくわかっていなかった。でも岩瀬さんのやり方を聞くと、そこから学べることは多そうだ。簡単ではないけど、不可能でもない。そんな気になってきた。次回の勉強会でもっとヒントを得られるかもしれない。その日が楽しみだ。

 

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