今学期は「リフレクションのモデルを一つ選んだ上で、自分で授業を振り返る文章を書く」という課題がある。先行研究をいくつか見る中で自分が使うことに決めたモデルはChristopher Johns(2009)のBecoming a Reflective Practitioner(3rd ed)という本の「6つの対話のムーブメント」というもの。今回はそのモデルを紹介しよう(下記リンクは第4版だけど、自分が読んだのは第3版です)。
目次
「最強のリフレクションのモデル」は存在しない
前提として下記エントリに書いたことを確認しておくと、リフレクションのモデルに「これが最強!」というものは存在しない。色々なモデルにそれぞれ異なる切り口があるし、次のような現実的制約条件によっても「最適なモデル」は異なってくるだろう。
- 自分のリフレクションの経験
リフレクション初心者かどうか、これまでどのようなリフレクションの経験をしてきて、どれにピンときたか、など。 - リフレクションのレベル
技術の向上が目的なのか、目標と自分との距離を測りたいのか、広い文脈で現在の自分をとらえなおしたいのか、など。 - 自分が使える資源
周囲にリフレクションを手伝ってくれる人はいるか、文献などの資料は活用できるか、など。 - リフレクションの頻度やかける時間
どの程度の期間続けるか、どのくらいの時間をどうやって確保するか、など。
こうした制約条件の中で、その時々の「最適解」は変わってくるのだと思う。また何より、「正解のモデル」を決めてしまうと、そのモデルを使うこと自体が目的化してしまって、リフレクションにならない。
だから、これから書く「6つの対話のムーブメント」もあくまで現時点の僕にとって最適と判断したというにすぎない。そのことは自覚しておきたい。
「6つの対話のムーブメント」とは
Johnsの6つの対話のムーブメント(six dialogical movements)は次のような6ステップからなるリフレクションのモデルだ。
- ジャーナルを書く
第1のムーブメント「自己との対話」。リフレクションのジャーナルを書く。日々、落ち着ける時間と場所を確保してその日気になったことを書く。即時性が大事で、気になる出来事を記録しておく。(日ごとの内容やテーマに統一性があるかどうかは特に気にしなくて良いのだと思う) - リフレクティブ・ナラティブを書く
第2のムーブメント「ジャーナルとの対話」。先のステップで書いたジャーナルを読み、出来事を客観的に振り返る。その時に対話の手助けとして、MSR (Models for Structured Reflection)という質問リストを用いる(関連記事を参照)。 - 他の資料を読む
第3のムーブメント「他の資料との対話」。より広い視野で物事を捉えて深い洞察を得るために、振り返りたい問題に関する別の資料(論文や本やウェブなど何でも良い)に当たる。 - 他者と話しあう
第4のムーブメント「他者との対話」。他の資料との対話に引き続き、他者と共同で意味を産出することによって、さらに深い洞察を得る。 - リフレクションのプロセスを表現する
第5のムーブメント「自分のリフレクションの旅との対話」。これまでのリフレクションの旅を開示するのにふさわしいプロットを用いて、統一性のあるリフレクティブ・ナラティブのテクストを書く。自分のリフレクションの旅自体を振り返り、テクストにする(面白いのはここではクリエイティブ・ライティングが想定されている点で、詩を書いたり絵を描いたりする場合なども例に挙げられていた) - 自分のリフレクションについて他者と話し合う
第6のムーブメント「他者との対話」。第5のムーブメントで表現された自分のリフレクションの経験について他者と話し合い、次の社会的行動に結びつける
こうやって書き写すだけでも、丁寧なステップを踏んでリフレクションを進めているのがわかる。
「6つの対話のムーブメント」の強みと弱み
このモデルの強みは、初心者にもとっつきやすい質問リストを用いた方法(第2のムーブメント)と、リフレクションを深め、広い視野を得るための「自分以外のもの」との対話(第3&第4&第6のムーブメント)を組み合わせた点にあると思う。個人的な経験としては、やはり第3&第4のムーブメント(先行研究や他者との対話)の力を感じたのだが、そこにいたるまでの第2のムーブメントで具体的な指針(MSR)があるのはありがたかった。
一方でお察しの通り、このモデルにはとても時間がかかり、資源も必要になる。対話のための他者の手助けも必要だし、文献収集のプロセスもある。すべてのプロセスを遂行する時間の余裕は、普通に働いている人にはないと思う。このモデル、もともと看護系のものなのだけど、看護士さんがこれをできるとはちょっと考えにくいんだよな…。
問題が「自分の手を離れてしまう」一瞬にどう向き合うか
また個人的に面白かったのは第3のムーブメント(先行研究との対話)での経験。ここでは問題の周囲の文脈を広く捉えるために、色々な文献を読む。ところが面白いことに、問題が生じる背景が分析されている文献にたくさん出会った結果、「すべてが必然的条件であって、問題が解決不可能に感じられてくる」一瞬が来るのだ。なーんだ、やっぱり誰でもそうなるんだ、僕のせいじゃないのね、これは僕にはどうにもできないことなのね、という一瞬。
最終的にはその一瞬を乗り越えるヒントもまた別の文献や他者との対話にあったのだけど、これは個人的にとても面白い経験だった。自分の問題を解決するためにリフレクションをはじめたはずなのに、問題の背景となる構造を分析することで、かえって問題が自分の手を離れてしまう一瞬。おそらく、こうした一瞬は、リフレクションの過程で必要なプロセスかもしれないとは思う(根拠は直感w)。でも、いったんはその一瞬にたどり着いた上で、そこからどう問題を「自分のもとに返してくる」のか。この部分がもしかしてリフレクションの鍵になるのかもなあ、ということを漠然と感じた。
対話を欠いたリフレクションはただの自己正当化になる
いずれにせよ、リフレクションには何らかの意味での「他者」との対話が必要だ、というのは間違いないだろう。Bulman(2013)のReflective Practice in Nursing(邦訳は「看護における反省的実践」)にも次のような一文が引用されている(p238)。
対話は、思考を支え同時にそれに挑戦するためには不可欠なものだ。なぜなら、批判性を育てるための他者との対話なくしては、リフレクションのプロセスはすぐに無批判な自己肯定になってしまうから。
問題は、この認識に立ちつつも、様々な現実的な制約の中で、どう持続可能な自分なりのやり方を模索していくか、というところにあるのだと思う。