貴重な経験でした。甲斐利恵子先生の授業を、石川晋さんと一緒に見る。

今日は、年明け最初の甲斐利恵子先生の授業見学でした。今日は石川晋さんに、定例の勉強会の仲間や大学院生の方も一緒です。石川さんは僕がお誘いして、日程を調整していただいての参加です。どうしても、石川さんと甲斐先生のお話をそばで聞いていたかったので。

石川さんとは、前に井上太智さんの授業を一緒に見学して、授業の見方のイロハも手ほどきを受けたことがあります(下記エントリ)。その石川さんが甲斐先生の授業をどうご覧になるのか、楽しみでした。

「今日、何します?」からはじまる授業。井上太智さんの授業見学記。

2018.07.20

この日の授業は角川ビギナーズクラシックス「おくのほそ道」を使ったリレー音読発表会。授業の流れや、それを受けての石川晋さんの感想については、すでに石川さんがご自身のブログで書いてくださっています。ここでは僕の視点から、僕にとって大事だったことを書きます。

すぽんじのこころ:港区立赤坂中学校へ 2019.1.15

https://suponjinokokoro.hatenadiary.jp/entry/2019/01/15/154051

ここまで違う!授業の見方

僕にとってまず衝撃的だったのは(井上さんの授業見学で知っていたとはいえ)僕と石川さんの「授業を見る目」の歴然とした差でした。授業開始数分前に生徒たちが入ってきて、黒板の前の方でおしゃべりをしたり、担当の生徒が黒板に今日の予定を書いたりします。石川さんはそこにふらふら寄って行ってニコニコ輪の中に入って挨拶をして、その後は教室前方の机に座った女の子と世間話をしています。

僕には気さくな見学者のおじさんが授業前に生徒と交流しているだけの光景に見えたのですが、後で教えてくれたことには、なぜそこに行ったのか、何に注目したのか、なぜその女子を選んで話をしたのか、全部理由がありました。ここでは詳しくは書きませんが、この時点で石川さんはすでに見学の焦点を絞っていたというわけ。

僕はそんなことに気がつかず、石川さんが見ているそばに行って、先ほどの女子と隣の男子がペアで発表の練習をしているのを一緒に見ていたのですが、「なんとなく」見ている僕と、周到な準備と明確な意識を持って見ている石川さんとでは、当然ながら見えるものに雲泥の差があります。授業後の振り返りでその差を思い知らされました。うーん、この差はいったい…という感じです。これは、本当になんなんでしょうか…?いつか、自分にもこんな感じで授業を見られる時は来るんでしょうか…?

「言いよどむ理由は、一人一人違う」

そういう石川さんが甲斐利恵子先生に質問するのだから、授業後の振り返りもエキサイティングでした(結果として二時間に及んでしまい、利恵子先生には申し訳なかったと思います)。石川さんが、授業中のエピソードや、その中での利恵子先生の動きについて質問され、利恵子先生がそれにまた全て明確に理由をつけて答えるものですから、僕はもうメモを取るのに必死(笑) そこで改めて浮かび上がるのは、いつもながら、利恵子先生が生徒一人一人のエピソードや学習のプロセスを本当によく把握されていることでした。ちょっとした行動や発言の裏に、その生徒への思いがきちんとあるのです。

例えば、コメントを言う時に言いよどんだある生徒について聞いた時、その言いよどみの理由について、利恵子先生はこう語られていました。

それぞれ一人一人違うんですよね。言いよどむ時。●●さんの場合は、考えが浮かばない時なんです…××さんは、とてもよく考えているんだけど、言葉に敏感で、それで言いながら自分で止まっちゃうんです。

言いよどみの理由が、一人一人違う。だから、それに対する対応も違う。××さんが最終的に振り絞ってコメントを言った後、利恵子先生はそのコメントを録音したICレコーダーをわざわざもう一度再生して、みんなに聞かせます。石川さんの質問に答えて利恵子先生が言うことには、それは、「あ、今彼女は自信をなくしてる」と察知したからだそう。だからわざわざ全員に××さんの声を聞かせた。彼女のコメントに価値があることを、彼女自身に知らせるために。

一人一人異なる言いよどみの理由を察知し、瞬時にそれに応じた対応をする。ご本人は「自然に身体が動いてしまうだけ」と控えめにおっしゃるのですが、これは天性のものなのでしょうか。それとも、少しは努力でなんとかなるものなのでしょうか…。

誰もが大事にされる教室

上の例に限らず、甲斐利恵子教室では一人一人の生徒が大切にされている。そう思える場面が沢山あります。「あ、ここはこの生徒のための時間だな」と思う場面を、これまでも見てきました。今回も、発表の文章を書くのに時間をかけた他の生徒のある生徒(思いはいっぱいあるけどまとまらない生徒)の作文が話題になりました。彼女は、一生懸命書いたのだけど、あと一言書ききれなかったところがあったそうなのです。でも、その最後の一言を、みんなで書いてみることから、次の授業を始めるつもりだと、利恵子先生はおっしゃっていました。これは、△△さんは嬉しいでしょうね。こんな風に、誰もが大事にされている感じがするのです。そして、その中できちんと言葉の力を鍛えている。

そもそも、今回の発表会では、これまでと比べて「批評の言葉を使う」ということへの意識があまり置かれていませんでした。それも、中3の受験前の生徒たちの雰囲気に利恵子先生が(無意識に?)考慮された結果なのだと思います。そうだということも、石川さんが引き出してくださいました。石川さんによると、中3の教室としては、この授業の雰囲気は(もちろん良い意味で)特異なのだそうです。

こういう石川さんと利恵子先生の、微細なところにも注目して濃密な情報がやりとりされる会話。その中で「言いたいことがありそうなのに手を上げない生徒なんです」「気持ちは開いているのはよくわかるので…」という言葉がさらっと入るので、僕はもっぱら「基本的な質問で申し訳ないんですけど、今、気持ちは開いているのがよくわかるとおっしゃいましたよね。どうしてわかるんですか」みたいに、素人的質問をする役目でした(笑)

では、僕はどうするのか?

石川晋さんと甲斐利恵子先生。このお二人はまぎれもない「名人」です。改めて痛感しました。単元の構成力、三年間の見通し、授業中の判断の緻密さ、何より、生徒一人一人を見て、彼らの成長のプロセスをエピソードとして把握する力。僕と全くレベルが違います。

僕のライティング・ワークショップもご覧になっている石川さん曰く、僕のカンファランスは過剰で、利恵子先生に比べると△だそうです。この理由もよくわかります。僕がカンファランスを通じて一生懸命生徒の「情報」を集めているのに対して、利恵子先生は生徒の「ストーリー」を見ているからです。カンファランスの内容をいちいちiPadにメモして、その画面を見ながら次にカンファランスに行く生徒を選ぶ僕と、ニコニコ笑って生徒と談笑している(だけに見える)利恵子先生の姿の対比は、本当に象徴的でしょう。

ただ、大事なことは、僕は石川さんでも利恵子先生でもないということ。もともと記憶力はとても悪いし、人の感情に対する感応も低いところがあるので、僕にこのお二人の真似ができるとは思えない。では、どうすればいいのか?

一つは、「文章で記録する」「メモする」という自分の強み(苦手ではないこと)を生かして、このお二人とは違う記録の仕方や授業スタイルを身につけていくこと。もう一つは、完全に真似はできないまでも、このお二人のように物事を見る練習をすること。つまり、文字化して情報化するのではなく、些細な点に注目して、エピソードを繋げて、生徒を物語として見られるように努力してみる、ということです。

今のところ、僕は後者に興味があります。個別の生徒への働きかけを基調とするライティング/リーディング・ワークショップの教員にとって、石川さんや利恵子先生のような生徒の見方ができることは、とても大きな武器になるからです(利恵子先生がアトウェルによく似ているということは、このブログでも何度も書きました)。

また、文字化する、というのは、その都度クリアに意味づける(曖昧なものを曖昧なままに放っておかない)ということなので、そのメリットもあればデメリットもあるなと感じています。例えば、先ほど僕は「自分は情報を集めているけど、利恵子先生はストーリーを見ている」と書きました。これは、おそらく現状認識として間違ってないのだと思いますが、それでもこう書くことで、両者の違いを過度に対比的にして、固定的にしてしまう可能性がある。文字にして記録するって、こういう怖さもあるな、と。

どんなふうにやればいいのかはまだわからないけど、目標の方向は見えている。あとは、そこにいく自分のルートを探し、自分の歩幅で歩くこと。ライティング/リーディング・ワークショップのレベルを上げるために、僕はこれをやらないといけないかな、と思っています。

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