2022年も5月を終えた。国語も4月5月の「序盤期」を終えて授業が完全に日常になっているところで、今年やっていることややりたいことを棚卸しして、あとで見返せるようにしたい。今年度も昨年に引き続き小学5・6年生43名を担当。授業数は週4回(校外学習などで潰れることも多く、実質週3回ペース)+漢字テストが月2回。書いたらかなり長文になっちゃったけど、いまの自分には必要なエントリだったな。
目次
作家の時間で頑張りたいこと
作家の時間では、4月の「運だめ詩」を終えて(下記エントリ参照)、作家の時間では、いま「色が変わる」というテーマでの活動が始まっている。
ちょうどいいテーマ設定を探したい!
昨年の秋からはじめた「テーマ制」(「今回は物語」「今回は説明文」などのジャンルで縛るのではなく、ジャンルを超えたお題を与えることで創作の刺激にする)、今年度はとにかく、このテーマ探しを頑張りたい。もちろん、ジャンルで縛らざるをえない回もあると思うけど(短歌とか俳句とか…)、できるだけジャンルで縛らずにテーマ制でいく。子どもの意欲やイメージを刺激して、書くと自然に何かしら学べるテーマ、それを探したい。「夢中になって書いていたら、うっかり学んじゃったもの」が理想。ほんと、理想を書くだけなら簡単なんだけど(笑)
書き手のコミュニティづくり
また、今年度もう一つ目指しているのは、メンバーがお互いの良さを認めあうことを通したコミュニティづくり。これは、『国語の未来は本づくり』を読んで、頑張りたいと思ったことだ。「教える」意識の強い僕の場合、ともすると「自分-生徒」の2者関係で授業が完結しがち。そういうことが必要な場面もあるけど、児童同士がお互いに学び合う環境をつくっていきたい。さっそく、この本の真似で、模造紙に児童の「ワザ」を蓄積しはじめているけど、他にどんな手立てがあるかな。ミニレッスンもできるだけ子どもの作品を使い、「作家」としての自覚を高めつつ、そのコミュニティを作っていこう。
読書家の時間で頑張りたいこと
読書家の時間の去年の反省は、「もともとある程度本が好きだった子たち」と「読書が嫌いだった子たち」の格差がとても広がったこと。いや、もともと「子どもに合わせる」以上格差が広がるのは織り込み済みなのだけど、読書嫌いの子たちを乗せられなかったことが反省だ。もともと本好きだった6年女子たちは、こちらのカンファランスや仲間同士の本の紹介を通して読む質も量もエンジンがかかって、ぐんぐん読んでいった。その姿も印象的だっただけに、全く読まない子との落差もまた強烈で…..。「毎日30分読もう」という掛け声は、読書嫌いの子や、先生の言うことをまじめにやろうとしない子には届かない。そういう、「読書に後ろを向いている子」をどうのせるかが、今年度の個人的テーマかな。
本を通したコミュニティづくり
ここでも鍵はコミュニティの力だと思っている。そこで今年は、授業の中に色々な人と出会う仕組みをつくっている。第一に、ちょんせいこさんのホワイトボードミーティングをそのまま使った「ペアブックトーク」。
単純に、ペアの一方が今読んでいる本について指定の時間だけ語り、もうひとりはそれをミニホワイトボードにメモして再話する活動だ。去年も思ったけど、すごくシンプルで、相手の話をぐっと聞かざるをえない仕組みなのが良い。聞いた側が感想を聞かなくて良いのも、まだ人間関係ができてない時期には安心できるはず。
去年もやっていた読書ノートも、細恵子さんの実践(下記リンク先)をもとに、僕と児童との1対1だけではなく、時に他の子ともやりとりする仕組みにしたい。これは完全に「読者の権利10か条」との衝突案件だけど、ふみこんでみる。他の子との交流を柱に、「書きたくなる読書ノート」にできないかな〜。
異年齢での本を通した関わり
コミュニティづくりという点では、異年齢との関わりも大事にしたい。それで今年度は、月に2回、現8・9年生に教室に来てもらう「ようこそ先輩」をはじめた。「いま読んでいる本」「5・6年の頃に読んでいた本」を紹介してもらう5・6年生がもっと下の学年に行く機会をつくるのもいいなと思っている。また、授業ではないけど、3〜9年生まで所属している「絵本読み聞かせプロジェクト」も毎週やっていくつもり。今年は、異学年での本を通じた関わりを、学校全体でたくさん作っていくよ〜。
「聞かれて楽しいカンファランス」は可能か?
個人的な課題としては、読書家の時間のカンファランス。カンファランスでは、読んでいる本がレベルにあっているかを確認するために、どうしても理解度を確かめる質問をする場面が出てしまう。でもこれが、本好きじゃない子にとっては、「チェックされている」ように感じられる可能性はたしかにある。読書好きの子とは本を通して楽しく話ができるのだけど、読書嫌いの子と、どんなふうに楽しいカンファランスをするか、これは僕の課題だよね。
ペナックの次の言葉には、読書嫌いの子を読書好きにする、あるいは、それ以上嫌いにさせないためのヒントが、たしかにある。そのまま受け入れるのは難しいものもあるのだけど、具体的にどうしていくか考えて実行に移したいなあ。
- 「本を読む」という動詞は、「本を読みなさい」という命令形には耐えられないものだ。(p7)
- わたしたちが読んだ一番美しいものは、たいていは好きな人のおかげである。(p96)
- 読書と和解するための唯一の条件。それは読書と引き換えに何も求めないことである。(p146)
- 私に本を読む気を起こさせてくれた数少ない大人は、それらの本の優越性を認めて身を引き、本を読んでわたしが何を理解したかを質問しないように十分気をつけてくれた。(p202)
「数字」の要素も入れてみる…
読書家の時間でもう一つ。今年の読書記録は、同僚でもあるりんちゃん(甲斐利恵子さん)の「読書1万ページ」をそのまま真似している。これは、読んだ本の累計を書いて「目指せ!1万ページ」とするもの。実は4月、この「読書1万ページ」にするか、一年間の読書記録を最後に一冊の本に製本する読書記録にするかを迷って、迷ったあげく1万ページにした。数字を前面に出したこういうやり方には、必ず弊害がある(数字を増やすことが目的になって読まなくなる)のだけど、その弊害も承知で、やってみようと思う。こういう方向性が刺激になる子もいるはず。
漢字・語彙学習で頑張りたいこと
「熟語書けるだけ加点」形式に
三番目に、漢字や語彙の学習について。これは、去年の5年生(現6年生)の漢字テストのできが本当にひどかったこともあり、今年、大きくやり方を変えた。土居正博先生のアイディアをそのまま使って、「熟語が書けたらいくらでも加点」方式にした。だから、漢字自体は10題20点で満点だけど、得点の上限がない。漢字が得意な子も苦手な子も、頑張りがそのまま得点になりやすい。
「数字」は「解放感をもたらすアクセント」になるか?
今年は「数字がどこまでも上を目指せる」だけでなく、思い切って漢字テストの得点上位や再テストでの伸び幅上位の子たちを公表することもしている。総じて「数字」で子どもたちを釣るやりかたで、実は僕がこういうやり方をするのは、それなりに長い国語教師人生で初めてのことだ。外野や内部から「風越らしくない」という反応も出ると思う。でも、今年はこれでやってみると決めた。
宿題をやる文化がない、授業時数が足りない、そもそも手書きの場面が少ない….率直に言って、風越は漢字学習に不利な要素だらけの学校である。また、時間や空間も流動的なので、「コツコツやる」勉強にも向いてない。その中で、どうやって子どもたちの漢字学習への意欲をあげるかを考えた時に、「数字」は一つの刺激になる。そう考えるからである。
思い出すのは、昨年度「作家の時間」「読書家の時間」を見学に来た、ある先生との会話である。通常の、時間割も空間も固定された学校では、「作家の時間」や「読書家の時間」の仕組みが、子供の側には自由で解放感のあるものとして受け止められる。授業をする側は、いわばその「ボーナス」をもらって授業ができる。でも、最初っから自由で解放感のある時間と空間で暮らす風越の子どもたちにとっては、通常の教室であれば感じられる「解放感」を「作家の時間」や「読書家の時間」に感じていないのかも、という指摘だった。これは、本当にそのとおりだと思う。
では、時間も空間も流動的なのが日常的な風越において、何が、日常に「ちょっとした解放感」をもたらすアクセントになるのか。風越学園が開校して3年めのいま、僕はそれを考えて「数字」の要素を授業に入れることにした。もちろん、得点上位の子だけを表彰すると序列の固定化をもたらすだろうから、そこは注意しなければならない。けれども、学校の中での支配的原理にあらがい、矛盾する「アクセント」を意図的に教育活動の中にしのばせること。そのことには価値があると思う。「数字重視の漢字テスト」は、読書家の時間の「読書1万ページ」とあわせて、その試みでもある。
授業前の漢字クイズも続けよう
下記エントリに書いたけど、今年度は漢字自体に興味を持ってもらうための授業前の漢字クイズもはじめた。これは、下記エントリに書いたとおり、漢字ゲームの講座をしてくださった山川晃史さんと同僚のあっきー(木村彰宏さん)、それから昨年アドバイスをくれたちょんせいこさんのおかげではじめたこと。
金曜日に授業アンケートをとったら、この漢字クイズを楽しみにしている子もけっこう多いみたい。これを励みに、一年間、授業前のホワイトボードに色々なクイズを書き続けようと思う。一年たったらけっこうストックも増えているはずだ。
この漢字クイズは「遊び」要素。漢字テストは「数字」要素。「遊び」と「数字」で、一年後に子どもたちの漢字や語彙がしっかり増えていくといいなー。そう願ってる。
総じて….「余白」や「遊び」を意識したい
「作家の時間」「読書家の時間」「漢字・語彙」という3つにわけて書いてみた。それら全体を通して、いまの自分がまだ充分にできていないこと、意識したいことが「遊び」の要素だ。国語の時間をサポートしてくれるあっきー(木村彰宏さん)に、僕がつっこんだ(言いにくい)フィードバックをもとめたところ、「丁寧に準備してつくってあるけど、がっつり国語やるという感じで、余白が足りてない」と評してくれた。これは、おそらくそのとおりだろう。前任校で仕事のしすぎで倒れた時に、先輩教員に「あすこまさんは授業準備を頑張りすぎる。全力で授業準備をしたら、全力で遊ぶ。そうやって肩の力を抜いてはじめて本当の意味で良い授業ができる」ということを言われたこともある。その頃に比べるとだいぶ勉強しなくなったけど、でも、僕の根本は変わっていないのだ(今も休日の朝からがっつり授業のことを考えているし….笑)
ただ、こういう僕の授業づくりへのまっすぐな姿勢が、僕の授業の雰囲気を、国語が好きだったり先生の言うことに従って頑張れたりする子には力がつく環境にしているし、同時に、そもそも学ぶことに後ろ向きの子には、授業の雰囲気じたいに乗りにくいものにしているのだとも思う。
自分自身が「国語や勉強が得意な子」であり、そういう子の集まる学校で育ち、またずっと母校に勤務して自分と似た子たちを教えてきた僕には、「勉強のできない子の気持ち」や、「そもそも自己肯定感や意欲が低い子の気持ち」が、根本的にはわからない。そこは自分の生育上、仕方ない。だからこそ、目の前の子どもを観察したり、色々なケースを学んだりして学習していくところだろう。そして、そういう後ろ向きの子たちを巻き込んでいくには、コミュニティづくりの視点のほかにも、意図的に「余白」をとりこむこと、脱線することが必要なのだと思う。今年はそれを意識すること、意識するだけでなく実際に実行に移すこと。3月にどこまでできているかな。きちんとふりかえれるよう、同僚のフィードバックを受けながら、日々の実践にとりくんでいきたい。