創造性を阻害しない教育のヒント。佐宗邦威『模倣と創造 13歳からのクリエイティブの教科書』

風越学園で「作家の時間」をやっている僕は、子どもたちによく「真似しよう!」と言う。「読書家の時間」のカンファランスでも「書き手として、この本で真似したいところはある?」と聞く。僕の中で、「真似すること」はとても大事なキーワードだ。というわけで、安直ながら佐宗邦威『模倣と創造 13歳からのクリエイティブの教科書』というタイトルの本を読んだ。「作家の時間」について最近考えていることと予想以上に関連した本で、色々と繋がる読書体験の面白さを感じた1冊。

「創造」を3段階のプロセスとしてとらえる

本書は、「創造」を誰でも学ぶことができる力として捉えて、その鍵を「模倣すること」「自分の気持ちに素直であること」に置く。そして、この「創造のプロセス」を「模倣・想像・創造」の3段階に整理する。日常のセンサーを働かせて好きなものを見つけて「模倣」し、そこから自分だったらどうするかを「想像」して自分のテーマと出会い、それを具現化するためにインプットとアウトプットを繰り返す「創造」の段階に進む、というわけだ。それぞれの段階で、筆者が大事だと考えるコンセプトがいくつか提示され、その説明がなされている。

筆者自身が創造性を学んだ物語

この時、筆者自身の体験談が数多く引用されているのが本書の特徴の一つだ。というのも、筆者は自分を、東京の中高一貫校から東大へに進んだ問題解決思考タイプで、いわゆる「創造性のあるタイプ」ではなかったと述べている。その筆者がゼロから創造性を学んだ物語が、この本の骨格をなしている。僕もこの筆者とバックグラウンドが同じなので、そういう意味ではとても共感を、というより「自分も学べるかも!」という希望を持って読むことができた。

これまでの読書とも重なるなあ…

ページをめくると、早々に、ありのままを観察することや、パソコンを離れて手で考えることの重要性を説く箇所に出会う。自然と、ジョン・ミューア・ローズ『見て・考えて・描く 自然探究ノート』や、オースティン・クレオン『クリエイティブの授業』を思い出す。特に、『クリエイティブの授業』とは、テーマが同じこともあるので、比較しながら読んでみるのも面白い。どちらも、好きなものを真似することや、身体を使って考えること、準備しきらないことを大事にしている。

「創造性のスランプ」を乗り越える方法

一方で、例えば上の2冊と比べたときの本書には、大きな特徴もある。それは、「13歳からのクリエイティブの教科書」というサブタイトルが示すとおり、筆者が「教育」への強い関心からも本書を執筆していることだ。13歳を「創造性のスランプが起こる時期」とする筆者は、冒頭で次のように書く。

研究によると13歳というのは、創造性のスランプが起こる時期だと言われています。子どものころ、特に小学校3〜4年生までは、誰でも自分もなかに豊かなイメージを餅、絵を描いたり何かをつくったりして表現していくことは当たり前のようにできるものです。しかし、中学生以降だんだん大人になるにつれて、絵を描ける人は減ってきます。

これは、僕らが、大人になり、他の人に対しての自分、つまり自我を持っていくことで起こるものです。自分の内面のイメージよりも、外とどのようにコミュニケーションをとっていくかを大事にすることによって、もともと使っていた創造脳を使わなくなってしまうのです。脳は、筋肉と同じで使わなくなっていくと退化していきます。(p2-3)

「創造脳」という比喩はちょっと眉唾な感じもするが、僕は創造性研究については全くの素人なので、ひとまず受け入れておく。本書では最後のほうにも

子どもの創造力を阻害しないために、大人の創造力を最大化する(p187)

という言葉もあり、子どもが本来持っている創造力をいかに阻害しないか、ということに力点が置かれている。つまり、本書は子どもの創造性を阻害しないための教育のヒントでもあるのだ。

さて、僕のブログを継続して読んでくださる方ならおわかりかもしれないが、この「創造性のスランプ」は、僕の関心領域である作文教育で子どもが書けなくなる時期と一致している。だから、と短絡的に書くわけではないが、本書は作文教育で子どもが書けるようになるヒント、としても読める。もしこのブログ記事を読んでいる国語教師の方がいたら、ぜひ作文教育の観点でも本書を読んでみてほしい。教科書の書くこと指導のページにはない、さまざまな発見があるはずである。

作文教育で育てようとしている力は、本書での「創造性」と重なる部分もあればそうでない部分もあるのだけど、本書の紹介を超えるので、それについてはまた別エントリで書いてみたい。

この記事のシェアはこちらからどうぞ!