[読書]今月はお仕事系以外もノンフィクションの月!2024年7月の読書

2024年7月は10冊を下回った読書量。どうも最近の長期的傾向として、読書量が明らかに落ちている。登山系Youtubeや登山雑誌に時間を奪われている代償だと思う(笑) とはいえ、こうやってまとめてみると、なかなか面白い本とも出会えたし、そんな不満ではない感じ。ひきつづき、楽しませてもらった7月の読書を一挙紹介!

目次

今月のNo.1は向坂くじらの言葉をめぐるエッセイ

そんな今月のNo.1は、向坂くじら『犬ではないと言われた犬』。これは別エントリでも書いたけど、僕が読んで胸がいっぱいになった一冊である。学校教師ではない詩人である著者が、同時に子どもたちに国語を教えることを生業として、日々何を考えて、何と戦っているのか。単なる学校のオルタナティブではない彼女の立ち位置と、鋭い言葉の数々に、ハッとさせられることが多い。国語を教える人にはぜひ読んでほしい一冊だ。文章も抜群にうまい。向坂くじらさんは、今後、国語教育界隈でも話題になるに違いない人。今後の活躍がますます楽しみだ。

[読書]詩人であり国語を教える人である著者の、言葉をめぐる刺激的なエッセイ。向坂くじら『犬ではないと言われた犬』

2024.07.20

相聞歌を詠む/読むことを通した安心や共感

『犬ではないと言われた犬』とは違った意味で印象に残った国語教育の本が、桔梗亜紀『ときめく心 中学生の相聞歌』。これはいいなあ。著者は島根県の公立中学校国語科教諭で、授業で実施した名前も性別も絶対に秘密にして相聞歌を公開する試みをまとめた本だ。歌に返歌がつくのもいい。

文学がコミュニケーションのツールになることを「大敗」と言う向坂くじらさんに対して、こちらは短歌を完全にコミュニケーションのツールとして使っている(まあ、和歌はそもそもそういうものだったのだけど)。短歌としては、ストレートすぎたり、そもそも31音になっていなかったりするのもあって、決してうまいわけではない。しかし、中学生のクラスメートの匿名の歌や、それへの返歌をとおして、場にいるクラスメートへの安心や共感がはぐくまれていったことが容易に想像できる。いかにも「学校らしい」実践で、こういう実践に惹かれるのも僕の正直なところなのだ。作品としては、「親友の恋が進んでゴールイン知らないと思う僕の気持ちは」、「いつもよりお風呂の時間が長いときあなたのことを思っているとき」「あの人が「おはよう」といういい声だ僕の心に太陽のぼる」などが好き。

匿名でそれぞれ考えていることや感じていることを交流するという点で、『私の目は死んでない!』(「今、ここで」実践)や『カキナーレ』も思い起こさせる。あれらもまた読んでみたいな、と思った。

生徒対応に授業記録、どちらも勉強になる一冊

仕事に直接役立ちそうという点では、古田直之『教室の荒れ・問題行動対応ガイド』も大変すばらしい一冊。本の帯にあるように「ゼロからわかる生徒指導」的な本である。「子どもに寄り添う」ことが良いとされがちな昨今の風潮の中で、「教師が子どもに振り回されずに、きちんと主導権を握って、その子の課題の解決(成長)に向かう」ための方針と具体的な手立てがとても丁寧に書かれている。僕も風越の教員用向け図書として読んだのだけど、これは各学校に一冊あっていい。

[読書]大方針から具体的な手立てまで、生徒指導の手引き。古田直之『教室の荒れ・問題行動対応ガイド』

2024.07.11

今月、他に読んだ教育関係の本は、ネットワーク編集委員会による、授業づくりネットワークNo.48『揃わない前提の授業を見る・感じる・考える』。こちらは、本号に授業記録を寄稿しているとっくん(片岡利允さん)の呼びかけで僕自身も授業記録の取り方について学んでいるところでもあり、授業記録の価値や記録の取り方について考えさせてもらった一冊だった。今後の仕事に生きてくると思う。

[読書]授業記録について考える材料を色々ともらったな。授業づくりネットワークNo.48『揃わない前提の授業を見る・感じる・考える』

2024.07.25

今月はノンフィクションの月!

気づくと、仕事関係以外でも、今月はノンフィクションばかりの月。保護者の方のおすすめで久しぶりに読んだ稲垣栄洋さんの本、稲垣栄洋『生き物の死にざま』がとても良かったので書いておこう。説明文というよりも、「子を思う母」のような比喩も多数使われた情緒的なエッセイで、ちょっと哀切感のあるエピソードが並んでいて、なかでも、自分の子に自分の体を食べさせるハサミムシの母親の話、生殖を繰り返してストレスがたまって衰弱してもなおも交尾をやめられないアンテキヌスの話、自分では移動できず、卵を産めなくなると見捨てられる女王蟻の話などが印象に残った。決してうれしいばかりではない、生き物の命の連鎖を感じる一冊

 

さて、テンプル・グランディン『ビジュアル・シンカーの脳』は、正直なところ、どう受け止めてよいかまだ態度を決めかねる一冊だ。内容は、自身もビジュアル・シンカー(視覚思考者)であるとするグランディンによる、視覚思考者の紹介本である。彼によると、言語で思考する言語思考者の他に、絵で思考する視覚思考者がいて、それは写真のように正確なイメージでまわりを見る物体視覚思考者と、パターンと抽象的概念で見る空間視覚思考者がいるという。

本書では、それらの人々がどのような特性を持ち、どのような活躍の場があるのかを論じる。スピルバーグ、エジソン、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチなど、「あの偉大な天才も視覚思考者だ」という、ちょっとご都合主義的な、どうして視覚思考者といえるのかの証明がとぼしい例も多数出てきて、本全体としても我田引水な印象も受けてしまう。ただ一方で、自分は間違いなく言語思考が優位な人間だし、まして言語を使った国語を教えている立場としては、無視できる問題でもない。国語を教えること、もう少し大きなことを言えば、学校教育が言語を基盤に置いていること自体が、少なからぬ人たちにとって差別的行為をしている可能性にも関わってくるのだから。これ、どう考えたらいいのだろう。

夏山シーズンの山読書は「遭難」について。

最後に今月の山読書。今月は月末に「遭難」への関心が強まった。乗鞍岳研修登山の前日に泊まった宿で読んだのが羽根田治『ドキュメント気象遭難』。雪崩、突風、落雷、低体温症、凍死、暴風雪など、気候の変化による遭難事例が多数あげられている。誰かしか死ぬ遭難事例ばかりなので気は滅入るけど、山の恐ろしさを知る意味では避けては通れない一冊だ。

羽根田治さんの「遭難」本は、以前に『山岳遭難の爪痕』などを読んだが、迫真のノンフィクションで「自分だったらどうできたのか」をシミュレーションしてしまう。そして、地形図や天気図を読めたり、たとえ日帰りの夏山でもきちんとした装備を持っていったりすることの大事さを痛感する。もっと勉強したいなあ。この「遭難」ブーム(と読んで不謹慎でなければ)は、8月も続きそうだ。

というわけで、いよいよ(とっくに?)8月に突入。僕の教員にしては短い夏休みは、これからが本番なので、ぜひたくさん楽しんで、その中に読書も位置付けていきたい!

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