終業式の日(風越の場合は「おわりの日」)を終えて、ようやく夏休みがやってきた。といっても自由では全くなく、ふりかえりやた二学期の企画やらで忙しい。そんな日々ではあるけど、少し子どもたちから離れて振り返られることのありがたみも感じている。僕の授業のふりかえりはまた後日エントリに書くことにして、ここでは「7月の詩」について書いていきたい。
目次
高見順「われは草なり」
今月のトップは高見順「われは草なり」。もはやクラシックな詩と呼んでもいい、教科書にも載った有名な詩だ。僕も学校か、あるいは塾のテキストで小学生時代にもう知っていたはず。僕は子どもの頃からこの詩の歯切れいい七五調のがお気に入りで、自分でもよく口ずさんでいた。「伸びられぬ日は/伸びぬなり/伸びられる日は/伸びるなり」とあっけらかんと真実を告げるこの箇所が特に好きだった。そうそう、伸びられない日は伸びないんだよね。
実はこの詩、去年も「窓の詩」候補作品にしたが、その時には3位にも入らなかった。それが今年は2位にけっこうな差をつけてのトップ当選。メンバーが変わると順位も変わるのだな。
井上ひさし「なのだソング」
今月の2位は、これも七五調のリズムをもつ井上ひさし「なのだソング」。各行の最後は「なのだ」で脚韻をふみ、行の最初にも音の重なりがある、楽しくも技巧的なプロテストソングである。僕はこの詩を読むたびに、なんとなく『ルドルフとイッパイアッテナ』の野良猫たちを思い起こす。なのだソングのたくましさや、たとえマンマにありつけなくても痩せ我慢している愛嬌が、そうさせるのかもしれない。
島田陽子「おおきな木」
得票数こそ3位だったものの、今月一番大きな反応があったのはこの詩だった。トップ画像にもある通り、詩の形がそのままおおきな木の形をしているユニークな詩だ。形式だけでなく、大阪の方言をふんだんに使って「おおき」な音で楽しんでいる様子が、いかにも島田陽子。この詩はおおきな木によびかけるように、大きな声で遠くまで届けたい。
今月の選にもれた作品たち
いつものことだが、選にもれた作品にも、いや、そこにこそ、僕の一押しの作品も多い。ヘルマン・ヘッセ「青い蝶」は、消えていく青い蝶を幸福に例えた、美しい小箱のような逸品。
青い蝶
ヘルマン・ヘッセ(岡田朝雄 訳)一羽の小さい青い蝶が
風に吹かれて飛んでゆく
真珠母(しんじゅも)色のにわか雨が
きらきらちらちら消えてゆくそのように一瞬きらめきながら
そのように風に飛ばされて
しあわせがわたしに合図しながら
きらきらちらちら消えていった
「しあわせがわたしに合図しながら」という行が好きだ。なぜ、風に飛ばされながら、わたしに合図するのだろう。じゃあね、なのか、またね、なのか。カール・ブッセの「山のあなた」の「幸(さいわい)」よりも親しげで、それでいて手のとどかないところは同じだ。
今月の他の候補は、金井直「あじさい」とまど・みちお「クジャク」。めくるめく陶酔の中にあるような「あじさい」も、その詩行もまた美しく痩せて立っていそうな「クジャク」も、どちらも味わい深い詩だ。それだけに選にもれたのは残念だったが、金井直「あじさい」は、結果を聞いて残念がっている人の多さが印象に残った。どんな詩でも、それをいいと思ってくれる読み手に出会えたものは幸福だ。