6月の学校は、4月からの二ヶ月の成果も問題点も見えてくる。疲労も溜まって、大人も子どももなかなかしんどい時期だ。僕も残業が多くて余力がなく、先週末はブログの更新もできなかった。でも、そんな中でも、一つ一つエントリを立てるほどではないけど、「忘れたくないな」と思う出来事や、生煮えの考えがいくつかあった。今回は「断章」的になるが、6月の日々の中で思い浮かんだことを断片的に記録しよう。またいつかこれを読む自分のために。
目次
「学習者中心」という言葉について
「学習者中心」という言葉は、時々とても暴力的だ、と感じる。その言葉とともに何かが表明されると、それに反対することが「学習者が中心でない」ように受け取られてしまう。そして面白いことに、「学習者中心」の言葉とともに語られる教育実践は、けっこう均質的だ。みんな似たようなことを言っている。学習者が中心であることは、教室におけるもう一方のプレイヤーである教員に、周縁であること=非個性的であること」を求めるのだろうか。しかし、子どもの個性を尊重すると称した教室で、そこにいるひとりの人間である教師の、教育観・人生・個性・好みの多様性が尊重されないで良いはずがない。「学習者中心」という言葉が教師の個性を殺さないように、自分はあまりその言葉を使わないつもりだ。少なくとも自分は、教師としての自分の人格を大事にして教室に立っている。皆がそうであるといい。
空間が働きかける3つの「構え」
人間の意欲や振る舞い、その振る舞いを生み出す「構え」(基本的姿勢)は、完全に意志的であるというよりは、無意識に環境の影響を強く受ける。例えば風越学園の環境(校舎)の場合、その遊環構造(下記の本を参照)によって、子どもたちの居心地の良さや、あるいは遊環する中で生まれる偶然の創発的機会を生み出している。つまり、単に「いる」(居心地よく、ご機嫌に過ごす)ことや、「始める」(思いつきを形をする)ことに関して、風越の子たちは環境から多くのアドバンテージをもらっているのだ。
一方で、その「始める」ことを継続して形にする、つまり「続ける」ことについてはどうだろう。この3つ目の構えについては、風越の校舎は正直向かない。そもそも自分が動き出すことを誘う回廊型のめまいを生じさせる校舎デザインだし、視界も遮られず、音も響く、とても刺激の多い環境だからだ。気が散りやすく、じっと落ち着いて何かに取り組んだり継続したりする構えは、この校舎の構造では育ちにくいのではと感じる。
では、そこをどうするのか。足りない「続ける」構えを、別の要素で育てていこうとするのか、「いる」「始める」ことだけに全振りするのか、その違いはとても大きい。僕は典型的な前者のタイプだが、もし後者を選ぶとしたらどうなるのだろう。
授業における「なんちゃって振り返り」
振り返りとは、本来、過去の自分の道のりを確認してこれから歩く行き先を決めることのはずだ。しかし、授業をしていてもしばしばそれを忘れて、あまり意味のない「なんちゃって振り返り」をしてしまうことがある。いまやっているある授業でで、なかなか参加しないある少年。話を聞くと、「この学校は自由でいてほしいところが自由ではなく、どうでもいいところが自由だ」と語り、また「どうせこの先の授業展開はスタッフが決めているんだから、ふりかえりを書いても次にこうしようと自分が考えたことができない。だったらふりかえりを書く意味がない」と語った。これは本当にそうだな、と思う。こちらがこの先の路線を決めた上で書かせる(まさしくこの使役動詞がぴったりくる)ふりかえりは、本質的に「教師の授業プランにどこまで上手に乗れたかの達成度チェック」にしかならない。
チームの状態を議論する子どもたち
僕が担当している子どもたちのあるプロジェクト。風越だけでなく他校の子どもも巻き込む大きなプロジェクトに育ちつつあるのだけど、動きが本格化する中で、子どもたちのグループ内に温度差が生じていた。中心的役割を担い、放課後にたくさんの残業もしつつ、積極的に他校の校長先生たちと交渉もしていくメンバーと、どちらかというとそれ以外の仕事を請け負う子たち。もちろん、これまでの経験値も、持っているスキルや能力も違う。もしかして意欲も違うかもしれない。それを受け入れつつも、なんとなく生じているぎくしゃくした感じをどうしようか、と僕としても考えていた。
そうしたら、子どもたちのミーティングの中で、今のチームの状況自体が議論になった。それを議題に挙げた子が「私たちの中に上下関係が生まれている」と指摘して、他の子も「自分が指示をされて手足になっている感じ」と感じたことを述べていた。そうして、チームがこういう状況に陥っている認識をみんなで共有して、いったん今のチームを解体・再編することになった。
なかなかヘビーな話題だったので、僕も完全な傍観者ではなく、議論の進行を手伝っていたのだけど、いずれにせよ、チームの状況についてのメタな議論をチームでできること、自分の感じていることを率直に出し合えていることがすごいなと思って見ていた。何より、誰もが薄々は感じていたこの問題点を最初に議題に挙げてた子がすごい。これでチームとして次の段階に入れそう。これからが楽しみ。
それにしても、自分達で最初から考えて企画する責任を持つと、人は本当にたくましくなるな。役割が人を育てる、責任が人を育てる。それを目の当たりにしている。
色々なことが起きている六月…
とまあ、色々なことが起きて、考える種もあって、感情が揺さぶられている六月を過ごしている。自分の無意識の振る舞いで人を傷つけてしまい、それに落ち込んでもいるし、帰宅してから読書する余力がないのも珍しいくらい、疲れている。国語の授業は頑張っているし、充実感も得ているけど、正直なかなかハードだ。今週もようやく半分。週末まであと2日、なんとかやっていこう。