ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、本屋大賞ノンフィクション大賞をはじめとして、複数の賞を授業している今年評判のノンフィクション。イギリスのブライトンで「元底辺中学校」に進学した息子さんとの日々を描きつつ、地域社会が抱える人種や階級の問題にも切り込んでいます。舞台が中学校なので、学校の先生には特にオススメ。この息子さんとの日々からイギリスの社会と教育が垣間見えますし、それはもしかして近い未来の日本社会かもしれません。
分断された「多様な社会」の現実
この本で描かれている一つは、カトリック系の名門私立中学校と、著者の息子さんが通う学校との格差。国籍や民族は違っていても家庭環境は裕福なカトリック校と比べて、息子さんが通う公立中は経済的に厳しい白人労働者階級が中心。カトリック系の学校が、高収入に裏打ちされた「リッチな多様性」をうたいあげるのと対照的に、公立中学校には、貧困も、人種差別も、薬も、暴力もてんこ盛り。水泳大会があれば、カトリック系学校と公立学校は完全に別コースになっていて、泳ぎが速いのも学校外で水泳を習える裕福な子が多いカトリック校…「多様性」をうたう社会の分断された現実が、息子さんの学校生活から垣間見えます。そんな環境で、息子さんはマイノリティとして人種差別にも何度もあいながら、でも思慮深く、前向きに学校生活を楽しんでいきます。問題を告発する筆致ではなく、問題の中で前向きに学校生活を過ごす日々や、そこで出会う個性豊かな同級生たちが生き生きと描かれているのが、この本の魅力の一つ。
「エンパシー」を大切にする教育
もう一つ、学校教員のぼくにとっては、彼の学校生活の中で描かれる公立中学校のシティズンシップ・エデュケーションの授業もとても興味深いものでした。子供の権利条約、女子割礼問題(FGM)を含む性教育など、11歳を相手にかなり踏み込んだ教育をしているのにも驚きですが、もっとも印象深かったのは、「シンパシー」(同情や共感)と区別して「エンパシー」(他人の感情や経験などを理解する能力)を重視して教えている点でした。自然と共感できる・同情できる人に共感・同情するのと異なり、自分では特に共感も同情もしない誰かの「靴を履いてみる」能力、それがエンパシー。これがイギリスに限らず、日本でも社会の分断を食い止める鍵になりそう。感情的な共感と異なる知的作業としてのエンパシーをどう教えているのか、もう少し具体例を知りたいほど、興味を持ちました。
いつか家族みんなで話せたらいいな
ところで、僕たち一家もイギリス南西部のエクセターで一年間暮らしたこともあって、家族のこの本への興味は高く、ぼくも妻も中2の娘も読んで、感想を交換しました。今は小5の息子が借りてます。
そして、「中学生」と書かれてはいても、ブレイディみかこ氏の息子さんも、実はぼくの息子と同じ11歳。うちの中2娘が「私より年下とは思えない」と言うほどのブレイディ氏の息子さんの思考の大人っぽさにも、正直ちょっと驚いています。でもそれは、幾分かは彼の立場がもたらした大人っぽさで、そこには彼なりの苦悩があるのでしょう。「イギリスにも日本にも帰属意識を持てず、仲間意識もない」と言うブレイディ氏の息子さんの言葉が、少し寂しそうに聞こえたのは気のせいでしょうか。
最近は『銀河英雄伝説』シリーズに夢中な我が家の11歳は、この本を読んで何か感じることはあるのかなあ…彼にはまだ早すぎる本かもしれないなあと思うけど、いつの日か、この本を題材に家族でおしゃべりできる日が来たらいいな、そう思います。