夏休み明けから体制が変わって一ヶ月、2021年9月末の自分の現在地。

夏休みが明けて一ヶ月。軽井沢風越学園では、夏中盤からのコロナウィルスの感染拡大を受けて、これまでと違う体制で新学期をスタートした。風越の特徴である「異学年」「流動的な時間と空間」をいったん封印して、活動単位を学年に区切り、利用可能エリアも大幅に制限して過ごしている。子どもたちの様子は、本家ウェブサイトのこちらこちらにも書かれているとおりだ。そして、僕にとっては、実に発見の多い一ヶ月だった。この状況は10月下旬まで続く見通しだけど、ここにひとまず「自分の現在地」を書き留めておこう。

写真は、8月末に新体制最初の一週間を過ごしたあとに登りに行った北横岳。ロープウェイが動く前から登り始めて、午前8時前に山頂へ。個人的にはけっこうしんどい一週間で、それが洗い流されるような、山頂の景色の美しさでした。

目次

小学校の先生、勉強中です…

僕はいま、自分の受け持ちの5・6年生をさらに半分に割ったグループの子たちと、毎日同じ部屋で過ごしている。彼らはずっとこの部屋で朝の集いから帰りまで過ごし、授業もライブラリーなどを使うこともあるけど、基本的にこの教室で受ける。つまりは、普通の公立小学校での学級に極めて近い日常を過ごしている。そして、これが実に興味深い。TTを組むスタッフに小学校出身の教師がいることもあり、日々が「なるほど、力量のある小学校の先生って、こうやって集団をつくるのか」という勉強だ。

その同僚は、いきなり子供に任せない。最初は構成的に場をつくってとにかく一緒に遊ぶ。遊ぶ中で子どもたちの関係性をつなぎ、リーダーシップを発揮する場面をつくり、集団としての雰囲気をやわらかくしていく。子どもたちの変化を見つけ、言葉にし、褒め、一方で、からかいや余計な茶々が集団の心を冷ますことを全員に向かってしつこく語り続ける。授業のインストラクションもそうなんだけど、万事にとても丁寧。結果として、この一ヶ月で、ずいぶんと子どもたちの関係が深まってきたし、刺々しい言葉の応酬も減ってきた(これは、一学期にも苦慮していたのだけど、なかなか減らなかった)。昼休みも一緒に過ごすのだけど、そこでも男女が混ざって遊べるようになってきた。そういう関係性の変化が、授業での子どもたちの関わりにも良い影響を与え始めているように見える。同僚は「4月の学級づくりを9月にやってる」と言っていたけど、なるほど、こういうことか。集団生活ベースの小学校の授業と、教科ベースの高校的な授業。その違いを目の当たりにして、勉強中の日々だ。

「流動的集団・空間」にいたるプロセスとは?

同時にこの一ヶ月は、僕にとって、これまで見えなかった「風越の課題」が明るみになる一ヶ月でもあった。というのも、上記のような実力ある小学校出身のスタッフが同じようにやっていても、一学期までは、同じような結果は出ていなかったからだ。56年生が一緒に遊ぶ機会も、お互いに安心して過ごせる関係性をつくる機会も、同じ学年の中でリーダーシップやフォロワーシップを学ぶ機会も、今にして思えば、圧倒的に少なかったのだ….そう思わざるを得ない。これは、風越の特徴でもある、「流動的な集団や空間」を一足とびに実現しようとした結果の課題なのだと思う。過ごす集団が変わること(異年齢ホームと、年齢の近いラーニンググループ)と、授業場所が変わること。この流動性が、指導の行き届かなさや難しさを生む。ある保護者の方が「異学年の混ざり合いがコロナで実施できないことで、かえって安定してきた」とおっしゃっていたのだけど、過ごす集団と空間を固定し、生活をベースにしてずっと同じ担任が見る小学校の担任制度は、ある意味で本当によくできているのだ。去年、小学校出身のあるスタッフが、風越の流動性の高さゆえに「子どもに声が届きにくい」と言っていたのが、「なるほどこういうことを言っていたのか」と今にしてよくわかる。

では、「流動的集団・空間」の旗を掲げるのをやめて、通常の学級担任制のような「年齢で輪切りにされた固定的集団・空間」に戻せば、万事解決だろうかというと、僕はそうは全く思わない。小学校時代の自分がそうだったように、同じ部屋でずっと同じメンバーと一緒にいることを強いられ、しかも同じスタッフにずっと見られる状況は、徐々にストレスとして蓄積される。逃げ場がない苦しさ、同じ年齢の子と常に比較される苦しさ。担任の先生の影響力が強すぎる苦しさ。さまざまな息苦しさが固定的集団・空間制には存在する。また、過ごす空間の環境(広さ、狭さ…色々)が子どもに与える影響も、非常に大きいように見える。現に今の風越でも、明らかに前のほうが伸び伸びしていた子どもたちがいて、胸が痛む。「流動的集団・空間」の良さもまた、間違いなくあるのだ。それに未来の社会をつくる観点からいっても、最終的にはどの人たちとも互いの自由を相互承認できる人に育っていってほしいのだから、特定のグループの中だけでなく、色々なグループと関われるほうが望ましい。「◯◯先生のクラスだとみんなうまくやれたけど、他の先生になったらだめになった」ことを繰り返しても、何も変わらない。

というわけで僕の考えるゴールはそう変わらない。でも、この一ヶ月の経験で、そこに至るルートが、いきなり全て流動的集団・空間なのではないだろうな、という思いになりつつある。まずは特定の集団の中で過ごし、徐々に他の集団とも関わるようになり…という、流動的集団・空間にいたるプロセスがとても大事そう。そのルートの詳細は、まだはっきり見えていない。ただ、自分たちがいったいどんな山を登ろうとしているのか、それは前よりはっきり見えてきた。そういう一ヶ月だった。

さて、自分に何ができるだろう?

さてさて、そんな中で、自分に何ができるだろう。心がけているのは、一緒に過ごさないといけない今の時期だからこそ、これまで関わりの少なかった子どもたち同士をつないでいくこと。国語の授業でも、トランプで毎回メンバーを入れ替えてペアでトークしたり、ちょんせいこさんのホワイトボードミーティングの手法で相手の言葉をきちんと聞く練習をしたり。

国語ってこういう人間関係づくりに向いている教科で、お互いの俳句の良さを見つけ合う批評活動や、相手のブックトークを聞いて書き取って再話する活動は、読み書き話す聞くの四技能にもつながるし、学び合う集団づくりにもつながる。「まずは一緒に遊ぶ」アプローチも大事だけど、僕の主戦場は国語の授業だし、子どもにとっても学校生活の多くを授業が占めているのだから、授業の中できちんと人間関係をつなぐことを意識していきたい。そのためには、人間関係についての日常の発見を、記憶が薄れないうちに細かく(覚えていられないので)記録していかなきゃいけないんだよね。これがなかなか大変で、サボりがちなんだけど…。

他では、自分がもっと公平な聞き手になりたいと思う。なにか喧嘩などのトラブルがあったときに、すぐに自分の判断で結論を言わない。そこに関わっていた子たちの話を、全員の話をきちんと聞いて書き取っていく。それだけで解決することって多いな、ということを、この一ヶ月学んできた。すぐに大人の自分が問題を解決しようとすると、それは必ず誰かの声を封じることになる。まずは聞くこと。ギスギスした雰囲気をつくりがちな子に対してこそ、聞くこと。頭ではわかっていても、効果を実感しても、ついおこたっちゃう。まだまだだなー。

あとは、絵本の読み聞かせ。これは完全に石川晋さんのこの本の影響(笑)で、朝の集いでは可能な限り絵本を読んでいる。

もともと僕は知っている絵本のストックが少ないので、同僚にも聞きながら。今の状況だとまずは一緒に笑えるものやお話の構成がよくできていて引き込まれるものがいいかな(→結果、落語絵本に頼ることが多くなる)、とか、物語が続いたから、ノンフィクションの写真絵本を入れてみよう、とか、しんみりしたお話はどのくらいのタイミングで入れようか…とか、考えながら選ぶ。風越には幼児保育のスタッフがたくさんいるのだけど、その人たちはみんな「朝はその日の過ごし方をイメージして本を選ぶ」そうだ。今の自分はそこまではできないけど、「これどうかな」と思ったものを読んでみて、子どもの反応を見ながらストックを増やしていきたい。

8時半になるとチリンと鈴を鳴らして声をかけて読み始める。回数を重ねるごとに子どもたちの集まりが少しずつ早くなってきたなー、と思う。後ろのほうで聞いてない風の男子たちが、時々絵本に反応しているのも嬉しい。もともと国語教師である自分の専門性(がなんだかもはやよくわからなくなってきたけど)を、今の環境で活かすとはどういうことか。それを考えたときに、読み聞かせはもっと頑張っていきたいなあ。

トレッキングが新しい趣味になるかも?

実はこの一ヶ月、僕のプライベートにも大きな変化がある。なんと毎週のようにトレッキングに行っているのだ。東信の高峯山や北八ヶ岳の白駒池周辺の森のような軽い散策から、北横岳、蓼科山、先週は硫黄岳にも登った。どれも登山ビギナー向けコースとはいえ、超インドア派の僕にはかつてなかったこと。これまでは、週末も基本的には読書か授業準備をしていたのだから、妻も驚いている。

でも同時に妻は、「あなたは昔から切羽詰まると一人になりたがるからね」とも言っていて、きっとそういうことなんだろうなと自分でも思う。ずっと同じ子たちと一緒にいる日常が、もちろん嫌なことが具体的にあるわけじゃないけど、やはりどこか僕にはしっくりこなくて、疲れてしまって、リセットしたい。だから登山に出るのはいつも早朝午前3〜4時頃。まだ人がほとんどいない山に一人で登って、景色を満喫して、一人で帰る。一人でいる時間をつくって、バランスをとってるんだろうな。

そんな現実逃避から始まった登山も、やって見ると楽しいものだ。北八ヶ岳の静かに沈む苔の森の薄暗い風情も素敵だし、硫黄岳の山頂近く、「赤岩の頭」から眺める高山が連なる迫力には目を奪われる。次は山頂でお湯を沸かしたい、山小屋に泊まって横岳から赤岳を縦走したい、将来は北アルプスにも行けたらいいな….などと夢がふくらむ。森の魅力と山の魅力を兼ね備えた長野県。せっかくそこに住んでいるのだから、こちらも楽しく続けていきたいな。

というわけで、2021年9月末時点での自分の現在地でした。また来週から、頑張りましょう。

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