甲斐先生の「書写」の授業は、やはり「甲斐利恵子先生の授業」でした

下記エントリに続き、僕のブログでは空前絶後になるであろう「書写」エントリの連発。実は、この短期間に二つの書写の授業を見学した影響です…。そのうち、甲斐利恵子先生の「書写」の授業についてメモを残します。

期間限定でお稽古中。なかなか面白い「書道」と「書写」の違い。

2018.12.19

甲斐先生の授業シリーズ

甲斐利恵子先生の教室とナンシー・アトウェル

2018.11.05

感銘を受けました...。甲斐利恵子先生の「少しだけ戦争と向き合う 詩を詠むことで」の発表会

2018.11.27

滅多に見学できない「書写」の授業

甲斐利恵子先生の授業でも「書写」を見学する機会はレア。とはいえ、見学して一番感銘を受けたことは、「書写の授業でも、甲斐先生は甲斐先生だなあ」ということだった。「書道」ではなく「書写」である以上「お手本を見て書く」「美しく整った字を書く」ことが一応のゴールなのだけど、その中で、生徒の個別の自由を認め、その中で指導されている

50分の授業とはいえ、片付けなどもあるので実質は40分弱。その中で、15分ほどを講義(ライティング・ワークショップで言うミニ・レッスン)に当てていらした。半紙を折っても良いので、文字と文字、部分と部分の関係に気をつけながら、全体をどうバランスよく配置するか…ということを話しておられた。この辺は、僕は、自分の書道の先生の言葉と比較して、書道と書写の違いに思いを馳せて聞いていた。詳しくは下記エントリ参照。

期間限定でお稽古中。なかなか面白い「書道」と「書写」の違い。

2018.12.19

そして、今回のミニ・レッスンのメインとなる「起筆と終筆」。「教科書にはトン、スーッ、トンと書いてあるけど、私はハッ、スーッ、バシッがいいって言ったんですよ」などと笑いも取りながら、そして具体的に生徒の名前を挙げてコツを説明していく。

個別の時間で一人一人フォロー

感銘を受けたのは、そのあとの25分ほどの「書く時間」。アトウェルのライティング・ワークショップや甲斐先生自身の作文の時間と同様、個別に作業をする生徒の間を、甲斐先生は忙しく動き回っている。そして、作文の授業と同様に、個別の生徒に合わせて助言をされていくのだ。これがいつもながら本当に丁寧。

例えば、その子の特性で「強く」「弱く」「細く」などの曖昧な表現が通じない生徒には、「ここは筆の3分の1を使って、ここは2分の1を使って書く」と、かなり具体的に指示を出す。また、型にはめようとするとやる気をなくしてしまう(=お手本通りに書かないといけない書写には向かない)性格の生徒には、最低限の補助線だけを引いてあげて、あとは伸びやかに。「夢」という漢字を書く課題だったので、大きくなりすぎても、「いいのよ、夢はでっかく」と言って背中を押す。

また、やはり字の大きさの加減がうまく調整できない生徒には、「輝」という漢字を実際に書いてみせて(これが本当に整った字でびっくり)、「これを下敷きにしてなぞってみて」と渡すので、その生徒は「これ出せばいいじゃん」と大喜び。一方で字形を綺麗に書くことにこだわりすぎて筆勢が欠けている優等生タイプの生徒には、「いい字書くねえ、でも丁寧すぎちゃって、スーッといくと、もっといい字になるかもしれない」とハードルを上げる。

こういう個別対応が、いつもながら本当に丁寧で、後になって「あの子にこういう言葉がけをしたのはなぜですか」と聞くと、きちんと根拠を持って答えてくださって、本当に感嘆する。個々の生徒をしっかり把握されているからこそできる指導である。

そして、この間の教室の雰囲気は終始和やか。立ち歩きは禁じられているものの、甲斐先生ご自身が授業中に冗談を言って、「甲斐先生、集中できない」「ごめんごめん…」と生徒に謝る一幕もあったほどだった。

一人一人の作品にも一言コメントを

40分が過ぎ、列ごとに分かれての片付け作業が始まると、生徒は「今日の1枚」を甲斐先生に提出する。甲斐先生は全員ぶんの作品にコメントを添えて次回返却される(これも大変!)のだそうだが、これを受け取る際にも一言ずつやりとりがある。

「この漢字のここの箇所がとてもよくなったわね」と具体的に変化を褒めるもの、「ここのバランスがいい」「すごく線がシャープ」「これでいいんだ、っていう居直りの良さがある」などと作品にコメントするもの、時には「先生、私出せない…」とうなだれる生徒に対して「いいのいいの、これで」「でも汚れてる」「いいのよ、人生汚れるものよ」というやりとりまで、一人一人の生徒に細やかに対応しておられた。

「美しい字を書くための語彙」という観点

僕もライティング・ワークショップで経験があるのだけど、生徒の作品の良さを見つけるには、それについて語る着眼点が必要だ。甲斐先生は、書についての着眼点をたくさんお持ちなのである。それをどこで学ばれたのだろう。ご自身も達筆なので、書道を長らく学ばれていたのだろうか、と思って聞くと、意外にも習字を意識的に学んでいたのは小学校高学年と新任の頃で、書道歴が長いわけでもないらしい。書写の教科書の学習語彙をピックアップして、「どんな語彙が文字を美しくするのか」という観点で書写指導を考えるようになったことが、大きなきっかけなのだそうだ。

この「文字を美しくする語彙」という観点が、いかにも甲斐先生。どこまでいっても「国語は語彙の学習」なのだ。そして、たとえばライティング・ワークショップで様々な書く技術を「法則」という言葉にすることが効果的なように、また、下記の本で「味を豊かにする語彙」が強調されていたように、甲斐先生の授業では、「文字を美しくする語彙」を、全体へのレッスンや個別への言葉がけで手渡しているのだろう。

まぎれもない「甲斐利恵子先生の授業」

今回の書写の授業、「最初に全体にレッスンをして、その後は書かせる。教師は机間指導」というフォーマットは珍しいものではない。というか、ありふれたものである。僕は中1娘の授業参観で娘の学校の書写の授業も見学したのだが、フォーマットは同じなのだ。にもかかわらず(娘の学校の国語の先生には申し訳ないけど)、教室の雰囲気、細やかな一人一人の指導、先生がお手本を示すこと(娘の学校ではDVD視聴だった)、など、あらゆるものが違う。甲斐先生の授業は、要するに、

  1. 「国語は語彙を育てる科目」という信念を持ち、
  2. 先生自身が様々な語彙の知識やそれを用いる技術に習熟しており
  3. 一人一人の生徒のことを深く理解し、受け入れた上で/li>
  4. 自分の知識や技術を個別の生徒に合わせて手渡す

という基本方針が、読みの授業でも、作文の授業でも、そしてこの書道の授業でも貫徹されている。だから、授業のフォーマット自体は珍しいものでないのに、「これは甲斐利恵子先生の授業だ」と思わせるのだ。もはや、一斉授業かどうか、というフォーマットの問題は関係ない。机の並びがスクール形式だから、あるいはこのジャンルの学習だから個別の生徒を見られません、ということでもない。これが、ベテランの先生が試行錯誤してたどり着いた「自分の授業」なのだと思う。やはり、凄みを感じます。

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