実はこの秋から期間限定で「書道」のお稽古に通っています。2週間に一度、2時間ずつの個人レッスンなのでまだ数回なのですが、「書道」と「書写」の違いを今さらに面白く感じているので、この新鮮な気持ちが冷めないうちにメモ。
目次
小中の国語の授業で学ぶ、整った字を書く「書写」
国語の先生は知っているけど、一般の方には意外に知られていないのが「書写」と「書道」の違い。まず、小中学校の授業での「習字」は「書写」です。書写では、とめ・はね・はらいなどに注意しながら「美しく整った形の字を書く」ことが目標で、あくまで国語の授業の一部として行われています。小学校の先生や中学校の国語の先生は、免許を取るときに書写の教育法の授業も取っているので、(少なくとも建前上は)全員が書写を教えられることになっています。
高校の芸術選択科目である、表現としての「書道」
一方、「書道」は、音楽や美術などと同じく芸術の一分野。文字を使った芸術表現なのです。もちろんお手本を見て書く「臨書」もありますが、ただ形を真似るよりは書く人の解釈が入ることも多いし、技術を身につけたり自分の書風を作る上でのトレーニングといった意味合いも強い模様。「美しく整った字を書く」という実用目的ではないので、学校でも国語の授業では扱われません。高校の芸術科目の一つとして選択し、教える人にも「書道」の免許が必要です。
書道についても色々な本があると思いますが、僕が読んだのはこれだけ。これから他の本も読んでいきたい。
けっこう大きい、「書写」と「書道」の違い
この秋からの書道のお稽古、「え、そうなの?」という驚きがたくさんあって、とても面白いのです。僕は書写もきちんと学べてないし、書道にも色々な流派があるので「書写vs書道」という短絡的な二項対立は危険だとは思いますが、この秋に感じた「サンプル1」の驚きを羅列しますね。
半紙の表はザラザラ面?
書写の時間では半紙の表側はツルツルした面だと教わっていましたが、今の先生からは「筆を引っ掛けて書く、かすれを出す」目的で、ザラザラ面で書くように言われています。これ、流派による違いなのかな? ちなみに子供達の学校でもツルツル面が上で教わっているようです…。
形や墨のかすれはあまり気にしない
書写ではとにかく「形」が重視され、たとえば右払いや左払いの時にスゥーッと穂先が三角形に書けると「綺麗!」と思いますよね。でも、僕の教わる書道の先生は「形は結果論だから」とほとんど重視しません。僕が初心者だからでもあると思うのですが、「形はたくさん練習すれば自然と良くなるので、それよりも思い切りよく書きましょう」とおっしゃいます。そして、穂先までしっかり「芯」が入っているのかを重視して、「ああ、ここは芯が入っていません。我慢できずに手首をひねって離しちゃいましたね」などとおっしゃいます。この「芯」も新たに知った概念でした。
大きく、三次元で
上記とも関連するのですが、僕の先生が重視するのは「大きく書けているかどうか」。これは、実際にその文字が大きいかどうかではなく「伸びやかに書けているか」ということ。筆の勢いを見ているのですね。ですので、小さく書かずに大きく書くこと、「実際の作品は二次元の紙の上だけど、筆や体の動きは三次元で、空間を使って書いて」ということをよく指摘されます。筆(筆幹)の向きを移動する方向に向かって倒すことが大事だったり、高い位置から筆を下ろして書く(落筆を高くして書く)と、同じ起筆でも勢いが違う、のだそうです(…と書いているあたり、まだそれが実感できていません)。
緊張しないようにリラックスして書く
「書写」の授業では「静かに精神を集中して書く」のがオーソドックスではないでしょうか。実際、子供たちの授業参観で書写の授業を見学した時にも、「静かに、話さない」ということが強調されていました。僕も子供の頃、そう教わっていた気がします。
一方、これは流派も関係するし、僕が初心者だからなのかなと思いますが、僕の書道の先生は「緊張したらいい字は書けない」「いい字を書こうとしたらいい字にはならない」ということを強調されます。いい字を書いてやろうという力みが筆の勢いや伸びやかさを殺して、濃淡や強弱の変化のない、平板な、形だけ整った字(これを目指すのが「書写」かとも思いますが)にしてしまうからだそうです。だから、先生は音楽を聴きながら書くことを勧めてくださいます。
さすがの先生のコメント力
とまあ、こういう違いが初心者の僕には面白いんですね。そして、この歳になって初めて書道の先生に教わってすごいな、面白いなと思うのは、プロの先生のコメント。例えば僕が書いた2枚を比較して、
こちらの方が、文字としては小さいけど、伸びやかで大きいでしょう?
という、まだよく分からないコメントをおっしゃるだけでなく、書かれた文字を見るだけで書くプロセスが見えてしまうところがすごい。
ここで不安になって墨をつけちゃいましたね。それだと全体の流れが途切れるので、最後まで続けてください。墨が足りなくなったら、スピードを落とせば滲み出てきます。
最後まで我慢できずに、手首を使って書きましたね。腕や体全体で書きましょう。
書家の先生がいかにも軽やかに書いていく様子も「プロ」だなあと思いますが、こういう独特の言葉の使い方にもプロフェッショナリズムを見せつけられています。岡田暁生さんの、音楽を語る言葉についての本を思い出しちゃいました。
さて、書について語る言葉の意味が、いつか自分でも腹落ちする日が来るのでしょうか…。3月までの期間限定のお稽古なので、少しでもそこに近づけたらいいなあ。