思考スキルを直接教えることは思考スキルの育成につながるか?

お仕事系読書で、石井英真「今求められる学力と学びとは」を読んでいる。副題に「コンピテンシー・ベースの光と影」とあるように、いわゆるDeSeCoのキー・コンピテンシーやATC21sの21世紀型スキルや、授業への取り入れに対して、礼賛一辺倒ではないのが良い。


例えば、コンピテンシーベースの授業を組む時に見られる「思考スキルを教える」ことについての文章が面白い。石井さんは、次のように警鐘を鳴らしている。

「くらべる」(比較)、「似たような場面を考える」(類推)といった一般的な思考スキルの多くは、深く思考しているときに自ずと生じるプロセスから事後的に抽出されたものです。ゆえに、思考スキルを教えたからといって深く思考できるとは限らないし、また、自転車に自然に乗れている人が、なぜ乗れているかを意識しすぎてかえって乗れなくなるように、「思考スキルを使って考える」ということを意識させすぎると、むしろ思考することを阻害することもあります。特に思考スキルが評価の観点と結びついた場合には、結論・データ・理由付けで主張が組み立てられているか、ピラミッドチャートやボーン図といった思考のための手立てが効果的に使われているかといった視点で、授業過程の子どもたちのノートの記述や発言を事細かにチェックすることにもなりかねません。


これは、「思考スキルを教える」ことの有用性を検証しないまま「思考スキルを教えれば思考スキルが育つはずだ」という思い込みで思考スキルを教えることに対しての批判になる。これと同じことはアトウェルもReading Zoneという本で、「読解ストラテジーを教えることはかえって読解への没入を妨げてマイナスだ」「私は読解ストラテジーを直接学んではいないが、大量の読書を通じて身につけている」という形で述べている。

[ITM]「Reading Zone」に入る

2015.02.04

「思考スキル」や「メタ認知」というワードは、専門的な知識がない僕にとっては思考停止を誘いやすいところがあることを、自覚しないといけないと思う。「それを教えることが認知心理学的に良いことになっているんですよ」と言われると、認知心理学をきちんと学んだこともないのに「そういうものか」と思ってしまう。「熟達した学習者は○○というスキルを持っています」から、「じゃあそのスキルをみんなに直接教えればいいんだ」の間も、本当はかなりの飛躍があるのに、短絡的に考えてしまう傾向がある。特に、石井さんの言うとおり、グラフィック・オーガナイザーやシンキング・ツールと呼ばれる思考を可視化するツールを学校で使わせる時、その利用が評価と絡んでしまうと、本末転倒な事態にもなる(そういえばアトウェルはこういう思考の可視化ツールにも批判的。以下エントリ参照)。

 

[ITM] アトウェルが批判するもの(1)

2015.02.23

「思考スキルを直接教えること」、その功罪についてはまだわからないことが多いから、少し慎重な姿勢でいようと思う。少なくとも、ちょっと試す位ならいいけど、軽はずみな全面展開はしたくないかな。

 

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