君は君の歩幅で歩け。「青国研」の研究会にお邪魔してきました

今日は(も?)自分用の日記。一昨日、午前中で学校を抜けて「青国研」の研究会に行ってきました。東京都青年国語研究会。かつて倉澤栄吉や大村はまが主要メンバーであったことでも知られる、歴史と伝統のある国語教師の勉強会です。今は、安居總子先生や甲斐利恵子先生が中心と言って良いのかな? なんと、隔週平日夜に定期的に授業案や授業報告を持ち寄っているのだそうです。すごい…。

目次

きっかけは「イン・ザ・ミドル」

その青国研に参加したきっかけは、おそらく甲斐先生づたいで「イン・ザ・ミドル」のことを知った青国研のみなさんが、この本の読書会を開いてくださったこと。もともと、僕がアトウェルを知った時の感想が「アメリカにも大村はまみたいな人がいるんだな」だったので、その翻訳が、大村はまの実践の流れを汲もうとする皆さんに読んでいただけるのは、本当に嬉しいことです。

今回は丸2日間の勉強会でしたが、僕は初日の午後のみの参加。まず、植田恭子先生の「時代を生きる 1945」という帯単元を発表されて質疑応答。次に僕が「イン・ザ・ミドル」について参加の皆さんの質問にお答えるする時間、そのあとに青国研の皆さんが授業案を持ち寄ったり報告したり…という時間でした。

「1945年を生きる」単元学習

まず、植田先生の発表がとても興味深いもの。1945年を生きる15歳という設定で一年間を生き、SNSで自分の気持ちを発信していく帯単元の授業。この授業は、個別の生徒の見取りと、当時の子どものことを知る資料の充実度の2点で効果が大きく変わりそうですが、こういうスケールの大きな、教師の願いのこもった単元は、僕は好きです。「本当にこれで当時の子どもの気持ちに共感できるのか、感想を見ても浅いのではないか」という趣旨の意見もありましたが、それに対しては、

中3の子って、浅いんですよ。でも、客観的にみて浅いと言うのではなく、ぎりぎりのところで勝負しているのか、そこを引き出すのが私たち教師の手腕ではないか。

と甲斐先生がおっしゃっていたように、結果としての浅い深いではなく、「その子にとって考えが深まったのかどうか」という視点で見ないといけないのでしょうね。言うは易し、だけど…。

WW/RWと国語単元学習

僕の時間では、「譲りわたす(hand over)」という訳語や、アトウェルの教室での詩の取り扱いなど、「イン・ザ・ミドル」を話題にきっかけにしながら、自然と、甲斐先生の授業を自分がどう見ているか、という話になっていきました。アトウェルのライティング/リーディング・ワークショップと、大村はまや甲斐先生の単元学習は、「個を見る」(あるいは、見ようとする)という点でとてもよく似ている。その志向が同じなので、二つの授業は自ずと様々な共通点を持ちます。その意味で、リーディング/ライティング・ワークショップを日本のカリキュラムや授業文化にどうなじませていくかという観点からも、甲斐先生の単元学習はとても勉強になります。

甲斐利恵子先生の教室とナンシー・アトウェル

2018.11.05

前を向いて学ぶ先生方の授業案

最後の一時間半ほどは、3名の先生方の授業案や実践報告を持ち寄る時間。古典の名場面/名台詞発表会の授業や、詩の出版社とタイアップしての詩の授業など、力のこもった授業の話ばかりで、背筋が伸びる思い。さすが、隔週で集まって授業検討されている皆さんは本気度が違う。「青年国語研究会」の「青年」とは「年齢でとは関係なく、前を向いて学んでいく精神の若さ」(苅谷夏子「評伝大村はま」p422)だというのは知っていたけれど、様々な年齢層や経験の方が、年齢に関係なく研鑽を積む会でした。

とりわけ、安居總子先生のように、「この方が口を開くだけで空気が引き締まる」存在がいるのは貴重で、僕のホームの研究会にはもしかしたら足りないものかもしれません….。

「君は君の歩幅で歩け」

僕がホームにしている研究会はおよそ隔月開催。その雰囲気と似ているけど、青国研はピリッとした厳しさもあって、開催期間も密なぶん、お互いの授業を知る程度や濃度も濃い感じがしました。いずれにしても、こういう勉強会がないと、怠惰な自分はなかなか勉強しないので、こういう場を大事にしよう。

最後に。この日の研究会の締めくくりに、安居先生が、かつて滑川道夫が奥様が足が不自由になった際に贈られたという次の言葉を紹介されていました(滑川自身の言葉なのか、さらに出典があるのかは、ちょっとわかりません)。

君は君の歩幅で歩け。露地小春。

今の自分には、とても良い言葉だなと思います。ナンシー・アトウェルとの出会いに恵まれ、その本を翻訳し、いままた甲斐利恵子先生の教室で学ばせていただいていると、正直、自分が知識として持っていることと自分自身ができていることのギャップが大きすぎて…。こういう人たちとの落差を真面目に埋めようとすると、僕の性格的に自分自身を追い詰めてしまうな、と思います。だから、あまり真面目にやりすぎないで、自分の歩幅で歩くって、とても大事。自分の歩幅で歩きましょう。

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