ブログを更新できないまま、7月に突入。6月1日に「3度目の開校」(通常登校での開校)を迎えてから、ほんと、怒涛の一ヶ月だった。この一ヶ月を総括すると、「一人一人の学びに伴走する」ってどうすればいいのか。それに迷った(そして今も迷っている)一ヶ月だったと思う。
例えば、6月の第二週から、朝の1・2時間目に僕は6・7年生の国語の授業を担当しているのだけど、その時の僕のスタイルは明確だ。一人一人の読み書きの力を評価して、次にそれに応じてアクションを考える。これはナンシー・アトウェルやカール・アンダーソンのカンファランスに影響を受けているやり方で、これが僕にとっての「伴走」だ。
ある程度書ける子なら放っておくことも、逆に負荷をかけてレベルアップを目指すこともあるし、苦手意識が強い子であればポイントを絞って教えて、その変化を助けることもある。実際に自分が書いてあげることも。その辺のさじ加減は人それぞれで、その子の選択を尊重しつつも、時にぐいっと踏み込んだり、風越では珍しく?宿題を貸したりもする。僕はまあ、良くも悪くも、自分の判断で生徒に働きかける。
で、僕がそのスタイルで伴走できるのは、自分で言うのも変な話だけど、ひとえに読み書き領域についての僕の知識量(本についての知識や文章の書き方の知識)によるところが大きい。だって、その子の読んでいる本が自分の知らない本ばかりだったらそもそもアセスメントできないし、文章に関する知識や書き手としての成長の見通しがないと、「ここはぐっと押して教えよう」「ここは今は目をつぶろう」という判断をできないもの。
ただ、このスタイルだと途端に困るのが、自分の専門領域を離れた時だ。風越では3・4時間目に設定されているセルフビルドの時間、5・6時間目に設定されているテーマプロジェクトの時間である。「セルフビルド」は、子供が自分のやりたいことを自分で計画して過ごす、ある意味で一番風越学園らしい時間。とはいえ、この時間の「伴走」は難しい。
まず、現実問題として、好きなことや没頭できる子をすでに持っている子を除いて、どうしてもふらふら遊んでしまう子が出てくる(まあ、そうですよね)。そういう子達と一緒に計画を立てたりするのだけど、そうするとどうしても「ちゃんとやってる?」という管理者モードになってしまう。これって「伴走」じゃないよなあ。こういう管理が有効な子たちも一定数いるのも事実だけど、「伴走」ってなんだろう…ということを考えてしまう。
また、好きな子や没頭することがある子についても、自分がどう関わればプラスになるんだろう、ということをよく考える。というのも、こういう形式の授業だと「その子の興味に興味を持つ」ことが大事なんだけど、これが僕には苦手なんですよね…。例えばある子が工作に興味があるとき、どうやったら工作に興味のない僕が、その子の工作に興味が持てるのだろう。これ、人によっては「簡単じゃん?」案件だと知りつつ、つくづく自分は「自分が興味のあることを勉強したい人」だという事実に、苦笑しながら向き合っているところ。
そんなだから当然、有効な評価も、その先への導きもできていない。現状、蝶や昆虫についての博士みたいな子に対して僕ができるのは「へえ、すごい!」と薄っぺらく感心するだけ。おそらく、自分にもっと知識があれば、先の見通しを持ってこの子に有効な働きかけができるんだろうなと思いながら。
同様に、「美しさの探究」をテーマに設定した午後のテーマプロジェクト(小学3・4年生対象)も、自由奔放な子どもたちの相手をしながら、一緒に組んだ同僚に助けてもらってなんとかプロジェクトを進めるのに精一杯。とても「一人一人の学びに伴走する」状態じゃなかった。日々に振り回されて、一人一人の姿が見えてなかったものなあ。
結局のところ、国語の時間と、セルフビルドの時間&テーマプロジェクトの時間では、僕の関わりの質がまるで違ってしまっている(僕自身の充実度も違う)。それは、僕が自分の教科内容への興味や知識をベースにして生徒と接するタイプの人間だからだろう。
もともと自分が勉強することに興味のある(意地悪い言い方をすると自分大好きな)僕としては、この先の進む道は、他の教科についても教材研究をして知識を増やすことしかない。そうして自分がその領域に熟達すれば、ある程度見通しを持って、自分なりには伴走できる気がする。ただ、正直なところ現状を回すのでも持ち帰り仕事ばかりの日々で、週末を含めて新たな教科の勉強をする暇は到底ない(そして僕はやっぱりそんな暇があったら本を読みたいのだ)。
そんなわけで、結局のところ、今は子どもと一緒に工作を作ったり、マーブリングをしたり、楽器を弾いてみたりして、その子が興味を持っていることに自分も興味を持てるよう努力しながら「伴走」のヒントを探す状態が続いている。一人一人の学びに伴走するって、本当にどうしたらいいんだろう…。