勤務校では今日で二学期の授業が終了した。同業の皆様も同じ方が多いのでしょうか。お互いお疲れ様です(笑)
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この二学期、中学1年生の授業では、文字のない絵本を使ったり、野矢茂樹『はじめて考えるときのように』を読んだりして、最終的に「読むってどういうこと?」「読み間違えるってどういうこと?」「より深く読めるようになるにはどうしたらいい?」「考えるってどういうこと?」「よりよく考えるためにはどうしたらいい?」という問いに授業が収斂していくように設計してみた。いつもよりも自分の行動を振り返って議論する機会を増やして、読解スキルや思考スキルに焦点をあててみたんだけど、この種の授業は生徒に何が身についたか見えにくいから、正直よくわからない(汗)。グループでのディスカッションは多く取り入れたけど、毎回の授業で、もっと書かせるべきだったかしら。目指す方向としては可能性があると思うので、何回かかけてブラッシュアップが必要。誰か見学に来て助言してほしいです。
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高校三年生の授業は、後悔の念が強い。特に、最後にコマ数不足のまま森鴎外『舞姫』をやって、やっぱりうまくいかなかった。実は、年度当初は、最後の授業は「自由をめぐる哲学対話」の予定だった。でも、『舞姫』を読まないで卒業させていいのだろうか?とか、そもそもなぜ定番教材をやらないといけないのだろう?とか、いろいろと逡巡した挙句、コマ数不足を承知で押し切ったのは僕の判断だ。
予習だけはしっかりして臨んでいたんだけど、やはり授業の組み立てが最初から手探りで、無理があったと思う。毎回の授業づくりをそれなりに頑張ってきた学年だっただけに、最後の最後でああいう授業をしてしまったことが、正直とても悲しい。
個人的にはいい勉強の機会にはなった。改めて『舞姫』関連論文を読み直し、この作品が太田豊太郎の一人称手記であることにだけ絞った授業をしたのははじめてだったから。鴎外の伝記的事実や前田愛の空間論などには、今回ほとんど触れていない。この手記を書いている豊太郎の目の前に何があるかという観点や、エリスとの会話は直接話法で相沢や天方との会話は間接話法で書かれているという観点など、この教材を扱う際の別の面白さを実感できた。次回はもう少し前向きな気持ちで『舞姫』を扱えそうな気がする。
とはいえ、「自分が一番勉強しました」ではプロとしてはダメ授業なんですよ…。わかってます…。
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でもまあ、そんなこともあるさ。次がんばろ、次。まずは二学期も無事に終えてお疲れさま。そして、期末試験を作らなきゃ!