まずはお知らせ。勤務先の軽井沢風越学園では、新たに2021年4月着任の、中学校国語科の専門性を持つスタッフを募集します!国語だけでなく、他のスタッフも募集しますので、詳しくはリンク先をどうぞ! ここは公式な情報じゃなくて、あくまでサンプル1の目から見た国語の話だけね!
今回のエントリでは、応募を検討する人が見てくれる可能性も念頭に置きつつ(見たからと言って選考にお得な情報はないけど、応募したいかどうかの判断にはなるかも)、「今、自分が何をやっているか、どう感じているか」を書きます。ただ、あくまで僕の感じ方だし、草創期だけに体制がよく変わるのもこの学校の特徴なので、来年も同じとは限りません。
目次
主な仕事場所は学校図書館
風越学園は、中心に大きな学校図書館(ライブラリー)があるライティング・ワークショップ(作家の時間)とリーディング・ワークショップ(読書家の時間)を核に国語の授業を作っています。学校の公式サイトで見てもらえればわかるけど、「図書室」ではなくて、公共図書館のような空間。そこが僕の主戦場です。僕は6・7年の授業を、同僚のさんだーと一緒に担当中。
核は「作家の時間」「読書家の時間」
「作家の時間」(ライティング・ワークショップ)や「読書家の時間」(リーディング・ワークショップ)って何?という方は、僕のブログを検索するか、各種関連本を読んでください。特に僕が翻訳に関わったナンシー・アトウェルの『イン・ザ・ミドル』は、僕自身が強く影響を受けた本です。
「作家の時間」「読書家の時間」では、簡単にいうと、読む方は生徒が自分で本を選んで読み、書く方では、大きなジャンルの指定(今なら物語)の中で生徒が書きたいことを書きます。授業中に「カンファランス」と呼ばれる生徒との短い会話を通じて、彼らの読み書きを支えるのが僕たちの仕事です。教科書を使った「体系的な」授業ではありません。自分の頭の中の読み書きの知識をもとに、いま目の前にいる生徒に何を聞くか、助言するか(あるいはもうちょっと見守るか)の判断をその都度しながら、生徒の読み書きの成長を支えるのが僕たちの仕事です。
この教え方の良いところ
軽井沢風越学園は、一部の外野の方が理想視するような学校ではありません。ただ、この前同僚と話してたのだけど、色々と問題はあっても、こんなに形成的評価を頑張っている学校はなかなかないと思う。国語の授業なら、日々、生徒が何を読んでいるか、どんなものを書こうとしているかを尋ね、記録し、それに対してアクションする。とにかく、毎日愚直にそれを重ねてます。
例えば、風越には読書好きの子も多いけれど、読み書きが苦手な子ももちろんたくさんいる。だから、どんどん読める子にはステップアップになるような本を勧めて、読むのが嫌いな子には、最初の出会いの一冊になる本を、司書教諭のみっちゃんの協力も得ながら、一緒に考えて手渡す。書く方も、力のある子には具体的な改善点を伝えて、「自由に書こう」と言われると困ってしまうタイプの子には、一緒に考えて、なんなら一部をこっちが書いてあげたりもする。人それぞれ。
総じて、どの子に対しても、「この子の110パーセントの力を引き出す負荷をかけるにはどうしたらいいだろう?」を頭の隅で考えながら、生徒とやり取りをしている感じ。「その子の今を受け入れること」と「その子の力を伸ばすこと」のバランスは正直自分にはよくわからなくて、迷うことも多いけど、でも、ちゃんとその子なりの負荷をかけようとは思ってます。まあ、これは甲斐利恵子先生の「手持ちの力だけで勝負させない」の受け売りなんだけど….。
で、僕は風越のスタッフにしては珍しく宿題も出すし、何なら宿題を出さない子は追いかけても出させる。だから生徒からしたら「先生っぽい」面倒臭いスタッフだよなーというのも自覚してる。でも、どの子にも、生きる基盤になる読み書きの力をつけさせてあげたいんだよね。一生の支えになるような好きな本にも出会って欲しいし、書くことで自分を表現する楽しさにも出会って欲しい。それって傲慢な支配欲の裏返しかもとか、読み書きの力だけを過大に評価しすぎてるかもと自戒しつつだけど、でも、「作家の時間」や「読書家の時間」でのカンファランスを通じた、言葉の学習の力を信じています。
で、その地道な形成的評価の甲斐もあって(と思いたい…)、最近は生徒たちの読み書きの成長が目についてきました。読書好きな子がさらにのめり込む本を紹介できたり、4月はほとんど書けなかった子の文章量がかなり伸びたり、読書嫌いを公言する子に出会いの一冊を紹介できたり。読み書きの力は全ての基盤の一つだと思っている僕としては、そういう姿が見られるのは、大きな喜びです。
変則的な授業時間割
風越学園では、9月から、授業時間割を大きく変えました。国語に関していえば、それまで「毎日1時間目」のように決まっていたものを、僕が5日間ずっとライブラリーにいて、6・7年生の生徒は「とりたいコマを合計で5つ以上とる(うち1コマは全員で集まる)」形式にしました。だから生徒は「国語は週の前半に固めよう」とか、「作家の時間を2時間連続でやって集中して進めたい」とかができるわけ。アンケートでは概ね好評だけど、一部には「面倒臭い」「そんなのスタッフが決めてよ」という子もいます。年齢やその子の自立度合いにもよります。誰もが満足は難しい。
授業が軌道に乗りかけてた夏休み前からの大幅変更は不安も大きかったのだけど、やってみると僕にとっても意外といい。自分で決めた時間に来ない子がいる実態はあるけど、一回の参加人数が減るのでカンファランスが充実するし、じっくり支援が必要な子には「履修人数が少ない午後の時間にこない?」と勧めることもできる。何より毎日ずっと国語ができるのは幸せだ。
一方で怖いのは「全員に一斉に知識を伝達する」機会が非常に限られること。知識の底抜けの危険が怖いので、9月2週目からは、毎週ミニレッスンの動画を作り、それを見て読書ノートに課題を書いてもらうことで、知識の伝達とその定着を見ようとしています。週1回クラス全員が集まる日があるので、そこも使っていくつもり。とはいえ、今後、古典分野や国文法など知識を伝達する場面がどうしても出てくるので、その時にも今の授業スタイルで行けるかどうかは、大きな課題です。また変わるかも。変わらないかも。
あと、生徒からすると毎回の授業に参加するメンバーが違うし、ミニレッスンも動画なので、個人作業に終始しがち。学び合う機会を意識的に作るのもいま直面している課題かな。授業中に、誰かの課題をみんなで解決するアクティビティを組んだり、生徒が選択できる授業コマの中に、参加者で特定の本を話しながら読み進めるブッククラブの回や、参加者で教科書を一緒に読む回を設定したり。でも、改善の余地はまだ結構あるなあ。これは国語だけで解決しようとしない方がよさそう。
国語科の外の言語活動に広げたい
風越学園には、国語と算数を軸にした「土台の学び」と、生徒が個々にやることを決める/選ぶ「セルフビルド」と、スタッフ側がテーマを決めてチームで探究する「テーマプロジェクト」の時間があります。僕の場合、「土台」と「セルフ」がもはや融合してライブラリーで読み書きを教えてます。で、テーマプロジェクトの時間は、どこか特定のテーマプロジェクトを運営するのではなく、いろいろなテーマプロジェクトを見ながら、言語活動が埋め込めそうな場面でその手伝いをさせてもらってる。
実は、1学期は僕も特定のテーマプロジェクトに関わっていたんだけど、夏休みに変更をお願いしました。理由は二つあって、一つは、もともと「話すこと・聞くこと」や説明的文章・実用的文章の読み書きはプロジェクト学習に埋め込むべきだと思っていたのに、前の体制のままだとそれが達成できそうになかったこと。もう一つは、僕自身の興味の中心がやはり言語活動にあるので、それを軸にして子どもの活動に関わるのでないと、僕自身が苦しくなること(僕は、何にでも好奇心旺盛でどんなことでも楽しくやれるタイプではないので。例えば僕が体育を教えても、僕と子どもの双方に不幸な結果にしかならない)。
それで今は、いろいろなプロジェクトを覗きながら、例えばコマ取り映画を撮影するプロジェクトのパンフレット作りに関わったり、ボードゲームを作る子のルールブック作りに助言したり、ペットボトルを集めたい子が全校放送でそれを伝える原稿を一緒に作ったり…と、各プロジェクトを言語活動面で支えようとしてます。僕はもともと、実用的な国語の力は、教科書を使った国語授業内の「ごっこあそび」ではなくて、実際の文脈に即してやるべきだと思っているので、やりがいを感じてます。ただ、子どものニーズベースだとどうしてもこういう言語活動を経験できる子の数が限られるので、設計段階から言語活動を埋め込んでいくフェーズにどう移るかが次の課題。「はいまわる経験主義」にはなりたくないぞ。
あと、今はまだ仕込んでる段階だけど、これから理科の実験レポートや社会のレポートにも関わるつもり。レポートの形式を理科や社会担当のスタッフと一緒に考えたり、ライブラリーでその課題をやってる生徒に助言したり。午後の時間は国語だけでなく、ライティング・センターのチューターっぽく、「書くこと」「話すこと」などについては領域関係なくサポートしていきたいな。
風越で働いていて良いなと思うところ
こっからは個人的な雑感。ここまでも個人的な雑感だけどね!
僕にとって風越に来て一番良かったのは、優れた幼児教育のスタッフや小学校のスタッフに出会えたこと。僕はこれまでずっと中高一貫校(しかも偏差値が高いところだし、自分の母校だし…)でしか勤務経験がなかったので、今思うとやはり経験が狭かったなー。特に風越学園で、優れた幼稚園スタッフや小学校スタッフに、僕は人生で初めて出会ったので、それは教員人生の財産だと思う。それくらい、「幼稚園の先生はここまで子どもの視点から考えるのか」とか「小学校の先生が子どもの生活の中から学習を作りたいって、つまりこういうことか」とか、色々とびっくりしたり感銘を受けたりすることが多い。
あと、基本的に、校長副校長のごりさん(岩瀬直樹さん)KAIさん(甲斐崎博史さん)を筆頭に、「すごいな、ちょっとかなわないな」と思える同僚が、年齢の上下関係なく多い。いや本当に、わが同僚ながらすごい。それは、前任校の同僚の教科内容の「凄さ」「専門性」(あそこも、ちょっと僕には太刀打ちできないすごい人たち揃いだった…)とは違うんだけど、ああでもこれって、この時期の子どもに関わるには大事な専門性だよなと思う。特に、子どもの視点で世界を見ること、一見非構成的な活動の中に学習の種を埋め込んでいくこと、場づくり….。とにかく、個々のスタッフの姿勢やスキルには、学ぶところが多いです。はい。
ただ、「風越はすごい人たちが集まってるすごい学校だよ!」と主張したいって取られると、ちょっと違って、現場の意欲ある先生たちってどの学校でもみんなすごいのかも、という気持ちも自分の中にはけっこうある。どの職場にも、すごい人はたくさんいるよね、と言うシンプルな話なのかも。「すごい人」が場によってすごくなくなるってことも、その逆もあるしね。よくわかんないけど、でも、風越のスタッフはみんなすごいなあっていう実感はある。子どもが目の前にいて、子どもに働きかけてる場面を見たり、子どもの話をしたりしてると、自然とそう思うことは増えるよね。
ここにいると自分の総合的な力量不足が露わになるし、自分の既有信念とは違う信念に出会うことも多いので、柔軟性のない僕には、毎日葛藤もある。「あー、自分って、決められた枠の中で守備範囲を限定して、コツコツ仕事したいタイプなんだなー、ここには向かないかもなー」というのも、正直、割とよく思う。でも、自分とは違う信念を持つスタッフと、子どもの話を通じて、その違いを確認したり、影響を受けて自分のやり方を少し変えたりすること。それは僕にとっては、ここでないと経験できなかった大きな財産です(ちなみに、有形な財産の方ではあまり期待できない…と個人的には思ってますが、応募希望の方は各自でちゃんと確認してください)。
風越で働いてて大変なところ
まず自分が読まないと!
国語に限っても、授業準備はけっこう大変です。一人一人の子どもに対応できる武器を増やすには、こっちに圧倒的な読書量がないとなんともならない。だって、こっちが本を知らないとその子に本も紹介できないし、こっちに書く技術がないと、作文に助言もできないので…。少なくとも国語科スタッフとしては、日々読むこと、書くことが必要だから、そこは筋トレとして怠れないよなー。あとは、ミニレッスン動画づくりと読書ノートのチェックもあるし、生徒が作文を提出した直後には全員ぶん読んでフィードバックするしで、まあ日々仕事です。
いわゆる「空きコマ」はない
慣れない点を言えば、中高勤務の自分にとって、「国語の授業を決められたコマ数やって、残りの空きコマで校務分掌や授業準備をする」スタイルを捨てるのも初めての経験。小学校と同じく、子どもが学校にいる時間は、ほぼずっと関わります。特に自分がセルフビルドの時間のパートナーを務めてる子については、あの子が英単語を勉強するのにどんな方法がいいかなーとか、別のあの子の意欲に火がつくきっかけはないかな、理科のこの実験への参加を勧めてみようかなとか、明らかに国語の領域外のことも考えてる。こういうことは、普通の中学校や高校の国語の先生にはないことですね。
上記の例に限らず、慣れないことは多いです。だから逆に、「教科の枠組みで時間割ができてるのって、うまいシステムだな」とか「教科書って、それを使えば誰でも一通りやったことにできるんだから、やっぱりすごい仕組みなんだな」とか、従来の枠組みの「良さ」というか、それがあるにはそれなりの理由がちゃんとあるんだなってことも、逆説的だけど実感する機会は多い。それと違うことに挑戦してみるのって、やっぱり大変です。
個人的な向き不向き
あと、個人的な適性という点では、僕自身は「子どもが好きその成長を応援したくて教師になった」タイプでは全くありません。もともと研究者になりたくて、その道を諦めても勉強を続けたくて教師になりました。基本的にコミュ障だし、今でも教える相手の人間よりも教えるコンテンツに興味があります。開校半年たった今も、「小さい子たちがかわいい」とかはあまり感じてなくて、どっちかというとわがまま言うのをやめてほしいなって思ってる(笑)
たぶん、僕のようなタイプよりも、小学校の先生マインド(小さい子の成長を見るのが好き、応援したい、教科の枠なんてこだわらないよ)を持ってる人の方が、風越で働くに際して苦労や葛藤は少ないだろうなーと思います。でもまあ、結局は目の前の子どもにどんな仕事ができるかで勝負するしかないんだし、何より優れたモデルになる同僚がたくさんいる学校なので、自分の場合は「言語活動」を足がかりに教科の枠を超えて、子どもたち一人一人と関わっていければいいんじゃないかと、今はそう思うようになったかな。
まあ、今の僕はそんな感じです。とはいえ僕は僕で、これを読んでいるあなたではないので、あくまで僕の場合の一つのケースとしてご参考までに、どうぞ。興味のある方のご応募、お待ちしております!