[資料]現状の「評価ー評定」の問題点。高木展郎「学習評価の現状と課題」

2月もなかば。学校である以上は、どこだって指導要録に記載する評価(観点別のABC)・評定(小学は3段階、中学は5段階)を書かねばならないのですが、実際の作業はなかなか難しいもの。そんな中、facebookで面白い資料を教えてもらったので自分用にメモします。

そもそも「評価」「評定」って?

そもそも「評価」「評定」って? どうやってつけるの?という向きには、こちらの資料が良いかと…。このエントリで解説したりはしません、すみません。

国立教育政策研究所/教育課程研究センター/指導資料・事例集

ここの資料のうち、ざっくり概観をつかむには「学習評価の在り方ハンドブック・小中学校編」(高校編もあります)で十分かと。僕はもうすでにこれでお腹いっぱい。最低限は、下の図さえ頭に入れておけばいい(新指導要領バージョンなので注意)。

とはいえ、教科ごとの評価・評定について、「『指導と評価の一体化』のための学習評価に関する参考資料」にもざっと目を通しておきますかね。

小学校編・国語

中学校編・国語(中学校では来年度から実施)

さすがに説明としてはよくできてる。でも「そんな手間をかける余裕が現場のどこに?」とつい言いたくなる資料ではあります。業者テストに「思考判断表現」とか「知識技能」とかの観点が適当に割り振られているのもよくわかりますね。あれを項目ごとに合算しちゃえば「評価したこと」にできるので楽。毎回授業しながら評価の材料を集めるわけにもいかないし、他には現実的な解がなかなかないのでは…..。

「観点別評価」から「評定」を出す問題点

曲者なのは、この「観点別評価」(ABC)と「評定」(123)の関係。通常は、この「観点別評価」を総括して「評定」にします。先の資料「『指導と評価の一体化』のための学習評価に関する参考資料」でも、そう書いてあります(小学校編国語p17)。最初の太字部分を参照。

観点別学習状況の評価の評定への総括は,各観点の評価結果をA,B,Cの組合せ, 又は,A,B,Cを数値で表したものに基づいて総括し,その結果を小学校では3段階, 中学校では5段階で表す。

A,B,Cの組合せから評定に総括する場合,各観点とも同じ評価がそろう場合は, 小学校については,「BBB」であれば2を基本としつつ,「AAA」であれば3,「CCC」であれば1とするのが適当であると考えられる。中学校については,「BBB」 であれば3を基本としつつ,「AAA」であれば5又は4,「CCC」であれば2又は1 とするのが適当であると考えられる。それ以外の場合は,各観点のA,B,Cの数の組 合せから適切に評定することができるようあらかじめ各学校において決めておく必要 がある。

なお,観点別学習状況の評価結果は,「十分満足できる」状況と判断されるものをA,「おおむね満足できる」状況と判断されるものをB,「努力を要する」状況と判断されるものをCのように表されるが,そこで表された学習の実現状況には幅があるため,機械的に評定を算出することは適当ではない場合も予想される。

でも、これはやっぱりおかしいなと個人的に思います。そもそもこの「観点別評価」は、規準となる姿を「B」として、そこからその時々の生徒の学習状況を質的に分析して、今後の指導に役立てるはずのもの。Cの子に対して「どうしたらBの状況になるかな」と考えるためのものなんです。だから、これを総括的評価に使うのは目的外使用じゃないかなあ。逆に、Bを超えていたらどこまでいっても「A」だし、引用部分でも最後の方にちろっと補足的に書いてますが、「そこで表された学習の実現状況には幅があるため,機械的に評定を算出することは適当ではない」んですよね、そもそも。あと「AAB」「BAA」「ABA」が全部3になるとか、おかしくない?「知識技能」「思考判断表現」「主体的に学習に取り組む態度」の全てが同じ重み付けだって、どうして言えるの? …とまあ、「観点別評価」から「評定」を出そうとすると、色々と変なことが起きる気がします。

そういうモヤモヤをきちんと言語化してくださっていたのが、今日紹介したいメインの資料・高木展郎先生の資料「学習評価の現状と課題」。本来は個々の生徒の学習状況を見とって指導に活かすための質的評価であるはずの観点別評価が、数値による総括的な量的評価「評定」にすり替わることで、どんな問題が生じるのかがよくわかります。戦後の評価の歴史の概観もあって、これは押さえておくべき資料だなあと思いました。

高木展郎「学習評価の現状と課題」

facebookでこの資料を教えてくださった先生によると、新学習指導要領の改訂に際しては「評定」の廃止が議論されて実現しかけたのに、最後の最後でひっくり返されたのだそう。なぜ実現しなかったかというと、やはり、入試で内申点として評定が使われている現実が大きいんでしょうね。望ましい評価論とは別のところで、評定は必要とされている。この辺の事情は、やはり同時に教えてもらった下記資料にも書かれています。

菱村幸彦「評定の存続」

自分ごととして、評価と評定。

問題を自分ごととして捉えると、自分がやっている国語の評価の仕組み(下記エントリ)と、指導要録に書かないといけない「観点別評価」「評定」をどうリンクさせるかという大きな問題もあります。

自分なりの理想の評価プロセスと、その課題。

2020.10.23

僕の評価の柱は、とにかく日々のカンファランスとフィードバック。それから書いた作品ごとのフィードバックなんですよね。それに学習活動としての生徒の自己評価と、次の目標の設定がある。数値もABCも使わない文章だけの評価だけど、僕にとってはこの評価プロセスが今の自分の理想に近い。ただ、やはりそのままだと指導要録につける形にはなりません。

文科省のお達しを意識しすぎてこのプロセスを崩したくはないし、今年はこのプロセスの中で必要な要素を抽出して評価・評定をつけるつもり。ここまで、アトウェルの真似をしながら、子どもの自己評価と僕からの形成的評価を柱として、その子の成長を見る個人内評価を重視するスタンスでやってきた。そうやってきただけに、最後になって「54321」や「321」の数値に変換されちゃうのはいかにも残念。でも、日本の学校であるからにはそれは仕方のないこと。風越の子だって高校入試を受ける子は多いんだろうし(何しろ高校進学率が97%を超えているので…)、中学時代の評定が入試で内申点として使われる時にも本人が納得するだけの評定をつける必要がある。ああ、理想と現実を付き合わせる作業って難しいな、と思うのでありました。やらなきゃ….。

 

 

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