自分なりの理想の評価プロセスと、その課題。

今、風越学園は総括的評価のシーズン。風越のウェブサイトでは同僚のうまっちが評価について書いた素敵な文章「その人らしさが、より浮き上がるように」が掲載されています。来週からは、この文章の通りの「三者面談」が始まる予定。

人は自分の物差しを持たないといけない」という考えには僕もとても共感してるし、それと合わせて、「評価はその人の力を伸ばすためにある」というのも大切だと思ってます。評価は、ただの査定ではないのです。その評価によってその人の力が伸びることが、良い評価の条件の一つ。で、今日はその評価の話。

目次

評価はその人を伸ばすため

僕の評価についての考えに大きな影響を与えたのはこの本。もう15年近く前に読んだのだけど、「評価は人を伸ばすためにある」という大原則に立ち帰らせてくれる本だ。

実は、この本こそ僕が初めて手にした吉田新一郎本であり、ライティング・ワークショップやナンシー・アトウェルの『イン・ザ・ミドル』へと続いていく吉田さんとの縁の始まりでもあった。そして、アトウェルの『イン・ザ・ミドル』に書かれた、子どもの自己評価を柱としつつ教師からも手厚い形成的評価を与えるやり方が、僕の「理想の評価」観を作っている。

とはいえ、これまでは採点する人数の多さなどの現実的制約との折り合いで、なかなか「理想の評価」にトライすることができなかった。

「理想の評価プロセス」をやってみた

でも幸い、今年に開校したばかりの風越学園では、僕の国語の授業での受け持ち人数も40人強と少ない。今年が最大のチャンスと思って、今回は「理想の評価」をやってみようと決めていた。具体的には、こんなプロセスだ。

毎回の授業でのカンファランス

僕の評価(形成的評価)の基本は、毎回の授業での個別カンファランスである。「作家の時間」「読書家の時間」の中で、一人一人の生徒と話をして、それをメモする。今何を読んでいるか、文章を書くプロセスのどこにいるか、どんな状態か、どんな助言をしたか、これからどんな支援が必要そうか…など、短時間だけど思いついたことをメモする。これは前任校時代からやっていること。以前、甲斐利恵子先生には「仕事を増やしていますね」と笑われてしまったのだけど、利恵子先生と違って子ども一人一人のエピソードを記憶する力が弱い僕にとって、今でも、このカンファランス記録の蓄積が僕の評価の基本だ。

読書ノートへのコメント

「読書家の時間」では、毎週読書ノートを提出してもらい、それについてコメントしている。読書ノートは、ただの感想だった時期から、こちらが課題を出してそれについて書いてもらう形式へと、だんだん性質を変えてきた。11月からは生徒が選べる余地を増やすつもりだけど、この読書ノートに目を通してコメントを返すのも、カンファランスと同じく、大事な日々の評価の一つ。読む力はどうしてもアウトプットしてもらわないと見えないから、これなしだと彼らの読む力を測るのが難しい。

作品提出前の生徒の自己評価

6月から始まった僕の「作家の時間」では、生徒はエッセイ、詩、物語を書いてきた。そして、それぞれ作品提出時には自己評価を書いてもらっている。頑張ったところや工夫したところ、苦労したところや助言してほしいところ、そして執筆プロセスの中で学んだことや、書き手としての自分について発見したこと…。ここが、彼らにとって、自分の書くプロセスや書き手としての自分を評価する機会となる。

作品提出前のスタッフチェック

提出した作品には、スタッフからのコメントもある。この時は句読点なども含めて細かくチェックをして、総括的なコメントも書いて生徒に返却する。日々のカンファランスではどうしても見落とすことや、文章そのものへのチェックが不十分になりがちなので、作品ごとのスタッフチェックは大変だけど必要な評価だろう。もちろん、このスタッフチェックを受けて修正して最終的に完成させるのが、生徒たちの次の仕事になる。

6月からは、この「毎回の授業でのカンファランス〜作品提出前のスタッフチェック」までの流れが基本。エッセイでも、詩でも、物語でも、流れは同じで、それを3回やった。

生徒の総括的な自己評価

そして、このサイクルを9月末まで続けたあとで、10月にはこれまでを振り返る総括的な自己評価に入った。自己評価票のファイルを生徒に配布して、これまで書いた作品、読んだ本、学んだ技術、書き手や読み手として成長したと思うところ、これからの書き手としての目標、読み手としての目標…などを事細かに書いてもらう。これまでの作品やその自己評価、スタッフチェックのコメント、読書ノートなどを読み返しながら、彼らはだいたい3時間以上かけて自己評価を書く。僕たちも内容をチェックして不足している子には再提出してもらったし、A4の紙で6枚くらいの分量にはなるので、書くのはかなり大変だったと思う。

スタッフからの総括的な評価

生徒が自己評価するちょっと前から、僕の方も、総括的なスタッフからの評価を書いていた。これも、これまでのカンファランスの記録や作品ごとの生徒やスタッフの評価を見ながら、それぞれの子の成長やこれからの課題について書いていく。一人一人の記録を読み直すのはかなり時間がかかり、休日を潰しての作業になった。でも、このプロセスがあることで、作品ごとの「点」の評価が、「線」になり、書き手や読み手としてのその子の姿が見えてきた。

評価カンファランスと目標設定

ここまでの評価プロセスの最後が、生徒の総括的自己評価とスタッフの総括的評価を持ち寄る「評価カンファランス」である。今週はこの「評価カンファランス週間」だった。自己評価を書いた後の生徒と、10分ずつくらい一対一で面談をする。この3ヶ月、自分でよく学べていると実感できているか、実感が持てないとしたらどう変えるといいか、僕たちスタッフからは、彼らが読み手・書き手としてどう見えているか…お互いの評価を交換しあって、それから「次の半年の目標設定」に移る。

この目標を考えてもらう時も、アトウェルの目標や大村はまの手引きを意識して、相当具体的な行動レベルでの目標の例をたくさん与えた。生徒はその中から選んでもいいし、それを参考にしながら自分で目標を考えてもいい。

僕と生徒で「これがその子にとって適切な次のチャレンジ」と合意できる目標を作ったら、評価カンファランスはおしまい。生徒は、その自己評価用紙の最後に追記された目標に署名をして、これからの授業ではその目標を視野に行動する約束をすることになる(この用紙は保護者にも総括的評価として手渡される)。

良い時間でした、評価カンファランス

実は今日は、このプロセスの最後の「評価カンファランス」を終えた日だった。この一週間、生徒一人一人と話をしてきた。良い時間だったと思う。何が良かったって、これまでの形成的評価の積み重ねの上にある総括的評価だったので、お互い、そこでの会話の内容に納得していた。生徒が自分で課題だと思うことは、僕からみても納得できるものが多かったし、時には僕から「実は、自分の読める力よりも易しい本ばかり選んで読んでいるように見えるけど、そんなことない?」などと突っ込むこともあるのだけど、そういう見立てが外れることもなく、生徒も素直に認めてくれた。

多くの生徒は、今の自分にとって必要な、これをやれば力がつくと考える目標を設定してくれたし、また、僕の方から「君はこれが必要だと思うんけど」と目標を提案しても、生徒も納得していたように思える。少なくとも、僕の方には、自分が教員としての権力を行使して彼らの意に沿わぬ目標を形ばかり強制している感覚は一度もなかった。それが僕にとっては一番良かった。

結果として、多くの生徒にとって、手抜きでもないしただのスローガンでもない、具体的で挑戦しがいのある「次の目標」が立てられたのではないかと思う。彼らはこれから、その「次の目標」に向かって動き出すことになる。

納得できる評価プロセス。その課題は…

細かな形成的評価と、その延長上にある総括的評価。生徒の自己評価を軸にした「評価カンファランス」と、次の学習目標の設定。僕の教員人生で、今回が一番納得できる評価プロセスを踏んだ実感がある。

また、生徒にとっても、作品ごとの評価や総括的自己評価を書くだけで大変なのだから、こういう評価を何年も積み重ねれば、そりゃあ力がつくでしょうとも思う。今回の評価プロセスのほとんどはナンシー・アトウェルの受け売りの部分なのだけど、「さすがアトウェルだ」という思いも強い。「なるほど、アトウェルがやってきたのはこれか」と、その価値が少しわかった嬉しさもあった。

この評価の課題も明白で、とにかく手間ひまがかかって大変なこと。毎回のカンファランスの記録、作品ごとのコメント、総括的な評価、評価カンファランス…僕のようにライティング・ワークショップをやりたくてやっている人が勝手に土日を潰すならともかく、普通の人が「お金を稼ぐ仕事」として負える分量では到底ない。勉強仲間にもよくからかわれることだけど、僕の授業は基本的に「力技」なのだ。風越の他のスタッフはもともと国語教育がやりたい人たちではないので僕のようにやることを強制はできないし、来年から新たに加わる国語のスタッフ(現在募集中)にしたところで、あまりブラックな環境は良くないよね…。

一方で、僕の欠点でもあるのだけど、どうしてもチームで足並み揃えるとか、一般にやり方を広げるという方に、関心が向きにくい。国語の授業者として行けるところまで行ってみたいし、何ならアトウェルが見ている景色を自分も見てみたい憧れの気持ちが勝る。今回の評価の手応えは自分なりにかなり良かったので、このレベルから評価の質を落としたくない気持ちも強いのだ。

とはいえ、今は40人ちょいだからできること。これが60人くらいになると自分も潰れるだろうなあ…という逡巡もある。とても良いけど、時間的にきつい。だから来年の評価の仕組みがどうなるかは僕にも全くわからない。わからないから、その良かった手応えと、感じる大きな課題だけ、今はここに書き残しておく。

 

 

 

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