とにかく親と先生方に感謝。実家から自分の「原点」が届きました。

もう先月のこと、実家の親から「もう実家にあるお前のものを全部処分するから、欲しいなら持って行って」と連絡がありました。そしてその箱を送ってもらって驚きました。その中に、小学校時代の自分の作文がたくさん入っていたのです。自分の「原点」が、30年以上経って、僕の手元に戻って来たのでした。

目次

僕のライティング・ワークショップ好きの原点!

何より驚いたのは、小学生時代の僕が、膨大な量の「お話」を書いていたことでした。デビュー作(笑)は、小学校2年生の時に書いた「いたずらビームはっしゃ!」。透明になるビームで自分を透明にした主人公がいたずらをして遊ぶも、お腹が空いて帰宅してもお母さんに気づいてもらえず困ってしまって…というお話でした。

このお話はもともとは学校の宿題だったようですが、それをきっかけにお話を書く楽しさに目覚め、小学校3年生以降は、とにかくたくさんのお話を書いています。日本昔話風のもの。画用紙で製本された「ヘビとタカとライオンの大失敗」というイソップ話風の絵本。4年生になると、「大怪盗対少年名探偵」という、上下巻合計249ページの大作も書いていました(江戸川乱歩の少年探偵団シリーズが好きだったもので…)。

他に毎日の宿題として課されていた「自学自習ノート」も、小学校5年まではほぼ全てお話でした。当の本人はすっかり忘れていたので、小学校時代の自分はこんなにもたくさんお話を書いていたのかとびっくり。僕がライティング・ワークショップに強い興味を持ち、実践しているのも、どうやらこの自分史を抜きにしては語れないようです。授業者としての自分にこんな明確な原点があったなんて…と、驚きと納得が同時に訪れる、とても不思議な経験でした。

小学校の最初の作文も

箱の中には、僕が小学校一年生の時の最初の作文もありました。「しょうがっこう たのしいですか」というお題に応えるもの。

すべりだいが、たのしかったです。ともだちと、のれたからです。おりるとき、かぜが、あたまに、むかって、はしってくるようです。

と、いきなり擬人法を使って書いていたのは我ながらすごい。いかにも「勉強のできる子」風の書き方ですが、たぶんこの書き方、どこからかパクったのでしょう。当時の僕の作文には、そういう表現が散見されます。小学校3年生の時の遠足では、最後の1行を灰谷健次郎「兎の眼」の有名な一節で締めくくってました。あの鉄三くんの作文をそのままパクるとは、なかなか図太い…。

自分が書くことを学んだ記録

小学校時代の僕の作文を振り返ると、概ね、以下のような特徴があります。

  1. とにかくたくさん書いている
  2. 小学校3年生くらいまでは、挿絵もたくさん描いている
  3. 読書を通じて他の作品から得た設定や表現がとても多い

自分はこうやって書くことを学んできたのですね。好きなお話をたくさん書く。習熟するまでは絵の助けも借りる。たくさん読んで、そこで得た着想や表現を書くことに活かす。一人でリーディング・ワークショップとライティング・ワークショップをやってたんだなあ…。本当にそう思います。とても貴重な、自分が書くことを学んだ記録。これを今まで保存してくれていた両親には感謝しかありません。

これからの自分に活かします!

そしてこの作文。今の僕にとって実際に「役立つ」ものでもあります。

これまで中高生ばかり教えていた僕が、活動の場所を幼児や小学校に移しつつあるいま、何を彼らとの接点にしたらいいのか、正直なところ、よくわからない面がありました。ここでの自分の強みってなんだろう。自分に何ができるんだろう、と。

でも、過去の作品を見ることで、「昔の僕はこうやってお話をたくさん書いていたんだ。だったら、今またそれを、子供たちと一緒にやればいいじゃないか」、そう思えるようになってきました。これも、僕の小学校時代のお話作りを見守り励ましてくださった担任の先生方と、そのお話を捨てずにとっておいてくれた両親のおかげ。ほんと、これを次の世代に「恩送り」しないといけないな。そう励まされた出来事でした。

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