アトウェルはIn the MIddleの第一版(1987)から第二版(1998)で70%を、そして第二版から第三版(2014)まででも80%を変えているのだが(改めて書くとこれ凄いことだよね…)、当然すべてのバージョンで必ず触れている項目というものがある。「カンファランスの心得」もその一つだ。カンファランスは、ライティング・ワークショップの鍵である「一対一での個別のやり取り」のこと。ここでは「教師と生徒のカンファランス」に絞って、第一版から第三版までの違いを見てみよう。
初版(1987)のカンファランスのガイドライン
初版で94ページにまとめられている「教師向けのカンファランスのガイドライン」を簡単にまとめると次のようになる。
(1)カンファランスは短く。1分か2分で。「全部を聞いてしまったら、教師がコントロールすることになる」
(2)できるだけ多くの書き手とカンファランスする
(3)自分から生徒のところに行く。
(4)生徒とアイコンタクトする(生徒の原稿を見たり読んだりするのではない)
(5)何が書かれるべきかを書き手に言わない。
(6)できていないことに不満を言うのではなく、書き手が知っていることやできていることを生かす
(7)良し悪しの判断を言うのを控える。
(8)自分が好奇心のある人間として興味のあることについて聞く。書き手がもっと話すような聞き方で聞く。
全体として、一人の読み手として生徒の話を聞くのだ、という姿勢が徹底しているガイドラインだ。特に(5)(7)(8)にその姿勢が表れているけど、あくまでオーナシップを書き手に与えるということにこだわっている。
(7)については、「言ってもいいんじゃないの?」という考え方もあると思う。下記エントリにも書いたように、「goodもbadも言わない。判断しない」という考え方にも一理ある。
アトウェルも安易に褒めてはいけない理由として、「書き手がそれ以上やらなくなるかもしれない」「書き手自身の判断基準を作ることができない」、そして特に、安易なgood!やvery good!は、「人が人に対して行うやり方ではない」と言っている。
第二版と第三版のガイドライン
これを、以前に下記エントリで書いた第二版と第三版のガイドラインと比べてみよう。
改めてここに抜き出してみると、第二版(1998)のガイドラインは、
(1)全ての生徒に責任を持つ
(2)カンファランスしていない生徒をメモし、次回必ずする
(3)生徒のところへ行く
(4)膝立ちにするか、座る(立ったままカンファランスしない)
(5)ささやき声で行う(教師の声が大きければ、教室が騒がしくなる)
(6)生徒が自分の作文について話すのを聞くこと、自分で静かに彼らの文章を読むのことのバランスをとる
(7)生徒の文章が長い時は、持ち帰ってポストイットにコメントを書き、返却する
(8)生徒ができていないことではなく、できたことをベースにする
(9)誉める時は具体的に。
(10)生徒が関心のあることについて聞く(広がりのある質問をする)
(11)記録をとる
(12)デモンストレーションしてもよいか尋ねる時は慎重に。
(13)辛抱強く。自分と生徒を信頼すること。In the Middle 第二版(pp224-226)
第三版(2014)のガイドラインは、
(1)常に時計を見て、全ての生徒に責任を持つことを忘れない。
(2)ミニレッスンで教えたことと関連づけて教える。
(3)長い文章は授業中には読まない。持ち帰る。
(4)カンファランスを個人的で、親密なものにする。肩を並べて、目を見て、ささやく。
(5)生徒に失望しないこと。少なくとも、目の前では。
(6)生徒が抱えている問題への解決策を実際にやってみせるのが良いと判断したら、生徒に「あなたの原稿に書いてみていい?」と許可を求める。終わったら「これはあなたのやりたいことにとって役に立った?」と聞く。
(7)生徒の文章の長所に気づくこと。
(8)直接的に言うことをためらわない。ただし、理由や解決策も添えて。
(9)生徒に対しても、自分に対しても、辛抱強くあること。In the Middle 第三版(pp211-213)
カンファランスのガイドラインに見るアトウェルの変化
こうして並べてみると、この25年以上にわたる期間のアトウェルの変化がはっきりと見て取れる。例えば、初版では、良し悪しのジャッジをしなかったアトウェルは、第二班では自分でデモンストレーション(手本)を示すようになり、第三版でもそれを継続させて、生徒に対して見本を示したり解決策を示したりするのをためらわなくなっている。僕が以前に第三版を読んだ時の印象(下記エントリ)は正しかった。このブログでも何度か書いているが、「ファシリテーター」から「ティーチャー」へ、アトウェルはある意味で回帰しているのだ。かといって生徒に題材などを決めさせる点は変わっていないので、一斉授業ではないフォーマットの中での教え方を見つけた、ということなのかもしれない。
この変化、どう思いますか?
さてこの変化、あなたはどう思いますか? 「教えること」と「生徒の自主性を尊重すること」の「適切な」バランスが取れるようになったと思いますか? それとも、アトウェルは「後退」してしまったのだと思いますか? これは話者の教育観が表れそうで、ぜひ聞いてみたいテーマ。本当はアトウェルご本人に「もしあなたの変化を『後退している』と言われたらどう思いますか?」とお尋ねしたいところだけど、さすがにそんな勇気はないなあ…。